007:勿忘沼のメヌシ004

 猿黄沢さるきざわははっきり言って田舎なので、お金を使う事はないと思っていた。


 でも、もしかしたら自販機くらい置いてあるかも知れない。だからポーチの中に小銭入れを入れておいた。


 まさかその小銭を全部、名前も分からない神社の賽銭箱に入れる事になるとは思ってもみなかった。


 菫川すみれかわさんの提案で神社に入った私達四人は、お賽銭を入れて神様にお願いごとをした。


 そのあと、菫川さんの案内で染井寮そめいりょうに帰る事になった。牡丹座ぼたんざさんも琴宝ことほも釣竿を勿忘沼わすれなぬまに置いてきていたけれど、まさか取りに帰るわけにもいかない。


 琴宝はさっきまで抱えていた牡丹座さんのリュックを持ち主に返して、菫川さんは鞄を抱えて歩いていた。私はとにかく怖くて、ポーチからお守りを取り出してそっと両手で抱いていた。


 私、琴宝、牡丹座さんにとっては知らない所まできていたので、先頭を歩くのは菫川さんだ。


「時期じゃないと思って油断してた……ごめんね」


 私達の前を歩く菫川さんは、しゅんとした様子で謝ってきた。


「カニちゃんの所為じゃないよ。誰の所為でもない事ってあるし」


 牡丹座さんが後ろから菫川さんの背中を撫でて慰める。


 確かに、菫川さんの所為じゃない。寧ろ、菫川さんがいなかったら危なかった。牡丹座さんも助けてくれた。


「時期じゃないってどういう事?」


 琴宝はまあ……凄い強靭なハートで支えてくれる。


「お祖母ちゃんから聞いた事がある。『勿忘沼で桑の実を見つけても、絶対に食べるな』『食べると“メヌシ”に連れていかれる』って……」


 落ち込んでいるらしく、菫川さんは元気なく琴宝の言葉に答えた。


「桑の実が熟すのは大体六月……確かにまだ早いね」


 牡丹座さんが空を見上げた。


「メヌシって?」


 私は聞き慣れない言葉に、疑問を覚えた。


「勿忘沼の主……みたいな意味みたい。みんな『メヌシ』って呼んでた」


「ねえ美青みお、それってどんな恰好してたの?」


 菫川さんの言葉に、唯一具体的に『メヌシ』を見ていない琴宝が私の顔を覗き込んだ。


「喪服を着てて、黒い髪の毛を長く伸ばしてて、顔はよく分からなかったけど、口元で笑って……その瞬間に牡丹座さんが叫んだ」


「メロメでいいよ。一緒に死地を抜けたんだし」


「死地って……」


 そんな怖い所にいたのか、私達は……。


「メヌシっていう何かが動いた瞬間、沼の空気が変わった。あのままあそこにいたら……ペンギンだけじゃなくて、僕達どうなってたか分からないな」


 牡丹座さん……改め、メロメさんには何か、特殊な感覚があるみたいだ。それで見ると、とんでもない事が起きていたらしい。


「メヌシ……由来は分からないの? けい


 琴宝は菫川さんの下の名前を呼んだ。


「分からない……なんだか昔はよそから学者さんがきて、色々調べてたらしいけど……」


 振り返った菫川さんの顔は、憂鬱そうだった。


「メヌシ……『女』っていう漢字には『メ』って読み方があるから、それと『主』を合わせて『メヌシ』?」


 私は漢和辞典を読んだ記憶から、当てにならない推測を出してみた。


「あー、確かにそういう風に書けるね。流石文芸部」


 琴宝は楽しそうに私を指さしてくる。ここで褒められても全然嬉しくない。


「……勿忘沼のメヌシは、神隠しを起こすとも言うから、椿谷つばきたにさんはもういかない方がいいと思う。撮ったのがまずかったのかも知れないけど、私達じゃ分からないし」


「神隠しって、あの神隠し?」


「うん。メヌシにさらわれた子供が、何年かしてから老人になって帰ってきたっていう話があった」


「……どこで調べたの? それ……」


「調べなくても、家で教えられる。その神隠しは昭和の終わり頃の事みたい」


 私達が生まれるずっと前だけど、それでも比較的最近じゃないか、それ。


「それ……私はこの辺歩いてて大丈夫なのかな……」


 本格的なお祓いとか、受けた方がいい気がする。


「勿忘沼のメヌシは勿忘沼から離れないって聞いたから、近づかない限りは大丈夫」


「今度釣りにいく時は美青抜きだね」


「まあペンギンって迂闊だし」


「あんな目に遭ってまだ釣りにいく気なの!?」


 琴宝とメロメのあまりにも怖いもの知らずな会話に、私は驚いて叫んだ。


「桑の実は食べちゃダメだよ」


 対応できる菫川さんも菫川さんで凄い。


 ……あれ。


 私、リフレッシュどころか疲れてない?


 なんにせよ、身の危険は過ぎた……ならいいんだけど。



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