006:勿忘沼のメヌシ003

 私のカメラに映った黒い服の女性の顔は、分からなかった。


 黒く長い髪の毛が顔にかかっていて、見えなかったから。


 このまま撮っているのはよくない気がする。


 なんの根拠もない直感だった。


 でも、カメラを回している事自体が怖い。


 私はスマホのカメラを閉じた。


「釣れないね」


「まあそんなに簡単に釣れても張り合いがないよ」


 琴宝ことほ牡丹座ぼたんざさんは平和に釣りをしている。


 よく目を凝らす。二人が気づいていないだけで、その黒い和服の女の人は対岸に静かに立っている。


 釣りをしている二人に話すのは危険な気がした。菫川すみれかわさんなら大丈夫な理由もないけれど、でも、菫川さんしか頼れない。


「菫川さん」


 私は声を小さくして、菫川さんの方に近寄った。


「どうかした?」


 菫川さんはすぐに、察した顔になった。


「変なのが撮れて……」


 私はスマホを開いて、見たくもないさっきの動画を開いた。最初の方の二人のあれこれはどうでもいいので、対岸をズームした所まで飛ばした。


 やっぱり、黒い和服の誰かは映ってる。


 菫川さんは私の手からスマホを取って、それを食い入るように見ている。


「……喪服を着た髪の長い女」


「……何か知ってるの?」


「うん。お守り、しっかり持ってて」


「え? う、うん……」


 菫川さんは、私にスマホを返して、琴宝と牡丹座さんの方に向かった。


 いや、一人じゃ心細いよ?


 私は数歩遅れて、菫川さんの後に続いた。


「二人共、ごめん、帰り支度して」


「え?」


 菫川さんが琴宝と牡丹座さんに声をかけると、琴宝が不思議そうな顔をして振り向いた。


「危ない物が出てる」


「あのでっかいヘビの事?」


 牡丹座さんは、対岸を指さして菫川さんに答えた。無警戒過ぎないか。


「あー、メロメにはそう見える何かがいるんだ」


 琴宝はすぐに納得した。琴宝の肝の太さは本当に羨ましい。


 けれど、ヘビ?


 どうしてそんな風に見えるのか……私は、スマホのカメラで対岸を映した。


 ズームした瞬間、私は自分が迂闊に行動した事を後悔した。


 にぃ……と喪服の女性が笑ったのが、見えたから。


「逃げよう!!」


 私が固まっている間に、牡丹座さんが叫んだ。私はスマホを閉じて、すぐに駆け出した。


 慣れているのは菫川さんだった。ベンチから二人分の荷物を取って、牡丹座さんのリュックをを琴宝にパス。


 琴宝は受け取って、元きた道を走る。牡丹座さんは釣竿を落としてすぐに駆け出していた。


 元々荷物が少なかった私は、とにかくみんなからはぐれないように走るしかなかった。


「みんな! こっち!」


 すぐに、菫川さんに呼び止められる。


 菫川さんは脇道を示していた。細いけど、人が通れる道だ。


「急ごう!」


 後ろを見て何か、焦ったような顔をした牡丹座さんがそちらに向かう。私と琴宝もその後に続く。


 菫川さん、牡丹座さん、私、琴宝の順でそのくねくねした道を走った。下り坂で、舗装されていない道はとにかく危ない。動きやすい恰好でこいって言った菫川さんは、ここまで見越していた?


 たまに牡丹座さんが後ろを振り返る。何か追いかけてきているのかも知れないけれど、それを確認できる余裕は私にはない。


「開けた所に出る!」


 先頭をいく菫川さんが叫んだ。


 細い道から一気に開けた所に出て、私は転びそうになるのをなんとか踏ん張った。


 そこからどうするのかと思ったけど、菫川さんは袖で汗を拭っているだけで動かない。


「ここまでくれば流石にあれも追ってこないと思う」


 私は菫川さんの言葉を聞いて、ようやく周りを見回す余裕ができた。


 狛犬が置いてある。神社らしい。人がいる感じではないけど、鳥居と少しの石段が見える。


「メロメ、何が見えたの?」


 琴宝が牡丹座さんに尋ねる。


「大きなヘビがペンギンを狙ってた」


 ぞっとした。


 あのままあそこにいたら、私はどうなっていたのか……考えるだけで、怖い。


「参拝してこうか。この辺で頼れるの、ここくらいだし」


 神社の方を示す菫川さん。菫川さんがいてくれる事がとても心強い。


「うん……」


「あと椿谷つばきたにさん、撮ってた動画はすぐに消して」


「分かった……」


 あんな怖い目に遭って、動画を残しておく選択肢なんてなかった。


 私がスマホから動画を消すと、四人で神社に入った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る