003:白い絹のスカーフ

 桜来おうらい学園中等部のお昼は給食だ。


 縦に四席、横に四列の机を十字に分けて、四つの班を作って一緒に食べる。


 一学期の今は、席順が出席番号順に並んでいるから、私は廊下側から二列目の一番後ろの席になる。偶然だけれども、前の席はルームメイトの琴宝ことほだ。『橘家たちばなや琴宝』と『椿谷つばきたに美青みお』の間に『た行』の人がいない。


 その日も私達、一年四組は四つの班に分かれて給食を食べていた。


 いつもは隣の席で、給食の時だけ向かい合う榊木さかきさんは眠そうにご飯を食べている。小柄な体と、どこか猫を思わせる顔立ちはあまり同い年に見えない。


 斜め向かいに座っている楓山かえでやまさんとはまだあまり話した事がない。物静かな人で、美人なんだけどいまいち表情がなくて何を考えているのか分からない。ショートボブの髪の毛に少し赤みが勝った瞳はいつ見ても同じ表情を浮かべているように見える。


 隣の席の琴宝は行儀よく食べる。部屋で何か食べる時はラフになる。けれど、食堂や教室ではとても姿勢がよく、私がよく分かっていないテーブルマナーも、多分完璧に食べる。


 他の三つの班は少し、賑やか。


 でも、私達の班はなんと言うか、話を盛り上げていくタイプがいないからか、静かだ。


 この日も静かに食べ終えるんだろうな……私のぼんやりとした予想は、外れる。


「にゅ?」


 鮭のムニエルを崩していた榊木さんが、教室の黒板側の入り口に目をやった。


「どうしたの?」


「これは……」


「誰かくる」


 私が尋ねると、榊木さんが答える前に、楓山さんが被せてきた。


 誰か? 先生に用事がある誰か? 給食の時間は始まったばかりだから、生徒ではない。


「皆さん」


 なんだろう、疑問に思う間に、担任の躑躅峠つつじとうげ先生が立ち上がった。先生の席は窓際だから、廊下側を向いている私と琴宝は振り返った。


「絶対に反応してはいけません」


 もう暑くなる季節だというのに、寒気がした。


 たまにくる、理不尽なタイプの不思議だ。


 先生は分かるらしく、教室にいると注意を促してくる。


 無視しよう、私は食事に戻った。


 その時、教室の黒板側の入り口が開いて、誰かが入ってきた。


 怖い。物凄く怖い。


 けど、こういう時は集団でいないと危険だ。耐えるしかない。


 視界の端にちらっと、白い被り物をした頭が目に入った。


「失礼しまーす」


 聞いた事がない声だ。癖がなく、よく通る聞きやすい声だった。


「白い絹のスカーフが落ちていました。誰かの落とし物ではないですか」


 その『誰か』は教室に入る事なく、白い絹のスカーフを振って尋ねた。


 あんな人は学園にいただろうか。白い被り物をしている事と、桜来のベージュ色のブレザーを着ている事しか情報がない。けど、いない筈だ。


「白い絹のスカーフでーす。知りませんかー」


 クラスの中には、食器を動かす僅かな音だけが響いた。


「別のクラスですかー」


 白い被り物の『誰か』はそろそろ帰りそうだった。



 ぞっとして、思わず声が漏れそうになるのを、必死にこらえた。


 先生は絶対に反応するなって言った。


 今、どうしてそんな風に言うのか分かった気がする。


「失礼しましたー」


 ピシャッ、と教室のドアが閉まり、『それ』は出ていった。


 私はあの何かがくるのにいち早く気づいていた榊木さんに目をやった。


「誰か反応するとそのクラスに入っていいっていうタイプだねー」


 榊木さんは怖いもの知らずなのか暢気なだけなのか、慣れている感じで私と、琴宝と、楓山さんの無言の問いかけに答えた。


「誰だったんだろう」


 楓山さんが首を傾げた。多分、私は青い顔をしていると思う。琴宝の方を見ると、別に怖くもなさそうだった。


「桜来落ちた人じゃない?」


「でも、制服着てた……」


 この班で感覚が普通なのは私しかいないのだろうか。


「なんで白い絹のスカーフなんだろ」


 本当に感覚がずれている榊木さんはメモ帳を取り出して何か書き込んだ。


「落とし物」


 楓山さんはすっと自分より大分座高が低い榊木さんの顔を覗き込んで、単語だけを呟いた。


「いや、スカーフを学校につけてくる人はいない……そして『どこなら入れますか』って言葉……」


 榊木さんはメモ帳に色々書きながら考えている。


「考えるだけ無駄だと思うけどね」


 切り替えが早いのは琴宝だ。さっさと牛乳瓶のふたを開けている。


「まーそうなんだけど。気になるから他のクラスの子にも聞いてみるよ」


 一しきりメモを終えた榊木さんは、ご飯の残りを片づけにかかった。


「週一でこういうのがくるって、変なとこだよねー。桜来」


「今みたいに危ないのは二週に一度くらいだと思うよ」


「美青、慣れ過ぎじゃない?」


「え」


 榊木さんに指摘されて、私は自分の感覚が麻痺しているらしい事を自覚した。


 仕方ないじゃん、慣れないと本当にやってられないんだから。


「……そうかも」


 なんて言えないから、私は控えめに肯定した。


 その後、給食の時間は何事もなく終わって、私は所属している文芸部の読書会で読む本に手をつけた。


 ……白い絹のスカーフの人は、どのクラスまで回ったんだろう。


 それだけが、気になった。

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