001:卵

 私立桜来おうらい学園は不思議なことがよく起こる。


 階段を上がって、教室まで、ほんの少しの廊下を歩いている時だった。


 今日は早く寮を出られたな、一番乗りかな、私の前には人がいなかった。


 だからだろうか、廊下の真ん中に落ちている卵は誰かに踏まれる事なく、この校舎が傾いていないことを示していた。


 私は思わずしゃがんで、割らないように気をつけて、その卵を手に取った。


 見た目、ニワトリの卵に近い。卵の見分け方を知っているわけじゃないけど、形としてはニワトリが生む、スーパーでよく見るものと変わらない。


 ただ、大きさは問題だった。


 アボカドくらい大きい。


 ニワトリはこんなに大きな卵を産むのだろうか。


 私は手の中の卵を割らないように気をつけながら、立ち上がった。


 どう観察しても卵は少し大きいニワトリの卵で、他に何か変わった所はない。


 私は思い切って、卵を顔に近づけて、くんくん、においを嗅いだ。


 なんの香りもしない。嫌なにおいがしても嫌だけど。


 ……嘘だ。いいにおいがする卵も嫌だ。


 卵の重さを真面目に考えた事はないけれど、大きい分、重い。重い? 負担になるほどじゃない。ただ、空のお茶碗を持っているくらいの感覚はある。


美青みお


 私が卵を持って途方に暮れていると、後ろから声をかけられた。


琴宝ことほ


 振り向く。端麗で大人びた顔が目に入る。ルームメイトの橘家たちばなや琴宝が登校してきていた。


 琴宝は私の方に歩いてきて、首を傾げた。腰まで届く長い髪の毛が揺れない程度の、静かな動き。琴宝はあまり大袈裟な動きをしない。


「どうしたの?」


「これ……落ちてた」


 私は手の中の卵を琴宝に見せる。琴宝は不可解そうな顔でその卵を見た。


「鶏卵……形は似てるけど違うな。ちょっと貸して」


「うん」


 琴宝が手を私に差し出す。私はその手に、割れないようにして卵を渡す。


 私には分からないことでも、琴宝には分かるのかも知れない。きっと卵をよく観察して……。


「いこう」


「え?」


 琴宝は腕を上げて卵を持ったまま、教室の方に歩き出した。卵を割らないように持っているだけで、何かを確かめようともしない。


「待ってよ!」


 私は置いていかれないように、少し急ぎ足になって五歩歩いた。琴宝に追いついて、歩調を合わせる。琴宝の方を見るけれど、琴宝は黒曜石みたいな瞳を卵に送りもしない。


 私が卵を発見した所から教室までなんて、そんなにかからない。すぐに琴宝の方が先に教室に入る。


 琴宝の後ろから教室に入った私は、彼女の後をついていく。席は前後しているけれど、琴宝は自分の席にはいかず、窓に向かった。


 どうするんだろう。私は琴宝の横に立った。


「美青、カメラ」


「え?」


「中で何か動いてる」


「う、うん!」


 琴宝が卵を見せて、私に短く要求と説明をした。


 私は慌てて携帯を取り出して、カメラを開いて、琴宝の方に向けた。


 その間に琴宝は窓を開けて、卵を持った両手をそっと外に出した。


 パキ、殻の割れる音が、妙に大きく聞こえた。


 パキパキパキパキ……みるみる卵は割れ、中から何かが出てきた。


 全体の姿は鳥に似ている。ただ、ワニみたいな頭を持っている。翼はあるけれど、ドラゴンかと思うような翼だった。足は羽毛がないだけで鳥に見えた。尾羽がある事が更にこの生物の正体を不明にする。


 生まれたばかりの謎の生物を、琴宝はどうするのか。


 私は、手が震えないように注意しながら琴宝の両手の上で翼を広げる怪奇生物を撮った。


 音もなく、怪奇生物は宙に飛んだ。生まれてすぐの巣立ちだから、少しよろめいた。けれど、まったく鳥類に見えないその生き物は上手く飛んで、教室の前を過ぎ去っていった。


 一体なんなのだ、気になるが、気にしていたらこの学園ではやっていられない。


 それが桜来学園という場所だから。


 昔から、そうだったらしい。


 私達にとっては面白いようで、怖い。でも、害はない。考えても答えが出ないから、みんなあまり深くは考えない。


「ごめん、多分こうだろうって思ったけど、後先考えてなかった。ハンカチ貸して」


「うん……」


 私はカメラを止め、ポケットからハンカチを取り出して琴宝に渡した。


 一応、卵の中には水分があった。水分は違和感があるが、ぬるぬるしていそうな液体に濡れた両手を、琴宝は念入りに拭いている。私のハンカチで。


「あの怪獣、上手く撮れた?」


 怪獣、確かに怪獣の子どもと言われるとしっくりくる。


 私は、内心ハンカチを気にしながら撮った動画を再生して、琴宝に見せた。


「上手く撮れてるね。これ、二人で一緒に不思議記録の活動にしよう」


 琴宝は褒めてくれるけれど、新調したばかりのハンカチが台なしになった気分は晴れなかった。廊下の真ん中で卵を持っているルームメイトを見て、すぐに桜来にしかない科目の活動にする事を思いつく機転は凄いんだけど。



「……うん」


 多分、不満そうな顔をしていると思う。


 そのあと、私は琴宝から返されたハンカチをどうするか、頭を抱えることになった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る