25話 人殺しの烙印
「……来てくださいましたか。でも……。遅かったのかもしれません……」
あの洞窟で出会った日の一週間後。パンネさんと僕が、セルファ君の家に訪れた時。セルファ君はベッドの中で凄いやつれた顔をしてそう言った。
「シッティ。お客様に、紅茶と茶菓子を」
「はい、坊ちゃま」
セルファ君は、やつれた表情のままで屋敷のメイドに指示を飛ばす。
「どう……、なされたんですか? セルファ君?」
パンネさんが、あの爽やかな様子だったセルファ君の表情の激変に驚いたように。気遣いをしながらも尋ねる。
「はは……。人を……、殺しました。殺してしまいました。相手は罪人でしたけれどね。でも……、僕はもう、人殺しだ。この手は。もう。僕の心はもう、綺麗事を言えなくなってしまった」
うなだれて、干からびた唇で。セルファ君はそう言った。
「殺した……? 人を……? ……傷を抉るようなことになるかもしれませんが。話せるようでしたら、ぜひ話してください。なぜ、貴方がそのようなことをせねばならなかったかを」
セルファ君は、虚ろな目をして。それでも、救いを求めるような視線でパンネさんを見た。
「父上と、師匠が。人というモノは、一度殺しさえすれば慣れる。人を殺すことに慣れる。そう言って、死刑囚の処刑を僕にさせたのです……」
「……アクエスさまは。貴方を跡継ぎになさいたがっていますね……。そんな、強引な手段で貴方の手を汚させるとは」
「手を汚す、ですか。そうですね、僕の手はもう、汚れてしまった。父上は言いましたよ。軍人というモノは、無辜の民が殺業に塗れずに生きていくために、自ら手を汚す意思を持つ者のことを言うものだと。僕は、人を殺して……。知りました。このような苛烈なことを、父上たちは平気な顔を装って、罪悪感を殺して。常日頃から行っているのだと……」
セルファ君は。もう僕ら子供の世界の住人では無くなってしまった。人が人と共に生きている世界の中で、人を殺してしまったこと。それは、人に対して恐れを覚えることと共に、自分が人を殺す力を持ってしまっていることの証明になっちゃうんだから。僕だって、剣術道場で習っている剣技を使えば。簡単に街行く人を殺せることはわかっている。でも。それが、人に剣を向けることをする理由にはならない。
「『死にたくない。やり直す。ぜんぶ俺が悪かった。頼む、殺さないでくれ』と。死刑囚は叫んでいました。僕は。弱い自分を押し殺して、心を殺して。父上の期待と、師匠の教えと。そう言った物の圧力に負けて。殺したくはなかったのに、殺してしまいました。風の刃で、あの哀れな罪人の首を斬りとばして……」
セルファ君は、頭を抱えて。ひどい頭痛に見舞われているかのように、ベッドの中でもがき苦しんだ。
「こんなに。人を殺す罪悪感というものは、こんなにも苦しいのですね。あの罪人が、どんな罪を為していても。あの最後の言葉たちも命惜しさの嘘だったとしても。それを無視して、人格を持った存在の抹消をする。パンネさん……。人には人を裁く権利などというものは、本当にあるのでしょうか? 僕にはわからない。本当にわからない。罪を犯したのだって、止むを得なかった理由があったのかもしれない。歪んだ人格で犯罪を犯したわけであっても、その人格が歪む理由があったのかもしれない。そんなこと、考えても仕方ないのに。僕が人を殺した事実は消えないのに。言い訳をするな、逃げを打つな。お前は人を殺した。そういう幻聴が聞こえるようで。僕はもう、どうにかなりそうです……」
パンネさんは、かける言葉を探しているように瞬きを何度か繰り返した。
「セルファ君。お父さんは、嫌いですか?」
「……好きです。強くて、優しい父です」
「でも、アクエスさまは魔導師団の長。魔法軍団の長です。軍隊に所属している軍人です。人を殺すことを生業としている方です。戦争ともなれば、敵兵を一人でも多く殺すことが、必要とされる稼業の方です」
「……はい」
「それでも、アクエスさまを貴方が好きだという事は。アクエスさまは人を殺すにあたって、自分の中に正当な理由を持っているからかと思われます。それによって、自分の心を歪ませずに生きていれている」
「……」
「戦争というものは、敵を殺さなければ。自らの国が敵国に蹂躙され、大切な物を失っていくという悲しいものです。こちらが平和を唱えても、敵がそれになびく保証など、何処にもありません」
「……はい、そうです」
「であるならば。峻別をなさいませ。ハッキリと分けるのです」
「なにを、ですか?」
「『敵』と『味方』をです。こちらに害意を抱く者を敵。こちらに好意を抱く者を味方。敵に強く当たり、味方に優しく接する。それが、今の乱世のこの大陸においての人が持つべき心構えかと。私はそう思います」
「……敵であれば、殺しても構わない……というのですか?」
「違います。敵を殺したくないのであれば、敵を敵でなくせば良いのです」
「何をおっしゃっているのですか? パンネさん」
「巨大な。強大な力。威圧するだけで、敵方が逃げ散り、事によっては降参するだけの力。それを持てれば、人を殺すことは少なくて済みます」
「……殺せる主導権を握れば、殺さない選択もできる……。そういう事ですか?」
「その通りです。弱き者の唱える平和ほど、陳腐なものはありませんから」
パンネさんは長い言葉を紡いだ後に。妙に柔らかみのある笑顔を浮かべた。
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