第44話 ボールよ風に乗って

 捕手キャッチャーけんせいから要求された球は、ストレートじゃなかった。




 ――魔球ライザー。


 異常なバックスピンで、打者からは大きく浮き上がって見える球。




 いや、ダメだろ?


 確かにライザーなら、ボールの下を空振りさせることができる。


 だけどあれは、【とうてき】スキルのおかげで投げられていた球だ。


 1分間に、9000回転ぐらいのバックスピンを掛けなきゃいけない。


 メジャーリーグの最高記録が、2800回転ぐらい。


 とても人間に出せる回転数じゃない。




 マスクの奥で、憲正の眼鏡がキラリと光る。


 そうかよ。

 【投擲】スキルなしでも、浮き上がるような球を投げられるって信じてるのか。


 買い被り過ぎだ。




 自軍ベンチの方向から、視線を感じる。

 ジリジリと、熱い視線を。


 監督である、ゆうの視線だ。


 顔を見ないでもわかるぜ。

 俺がすめらぎを打ち取ると、じんも疑っていないな。


 男ってのは、好きな女の子から期待されるとスペック上がる生き物なんだよ。


 憲正がそれで、ホームランを打ったようにな。




 ――やってやる。




 ランナーなんて気にしない。


 どうせこの1球で終わる。




 これでもかというぐらい、大きなワインドアップモーション。


 グラウンドからエネルギーを吸い上げるように、体を捻る。


 これがひじり親子のトルネード投法だ。


 ボールよ、風に乗れ。


 浮かび上がり、どこまでも飛んで行け。




 今までの人生で1番、ボールの縫い目に指がかかった感触があった。


 【投擲】スキルを持っていた頃よりもだ。




 相変わらず、球威はない。


 だけど綺麗なバックスピンがかかった。


 回転軸のブレも、全くない。


 糸を引くような白球が、憲正のミットに吸い込まれて――




 球の軌道に見惚れていたら、ボールが消えた。


 一瞬遅れて、金属音が聞こえる。




 ――打たれた?




 曇り空を見上げる。


 白い点が、みるみる小さくなっていった。




 「風に乗れ」、「浮かび上がり、どこまでも飛んで行け」とは思ったけど、打たれて飛んで行けなんて言ってない。




 その場から、一歩も動けなかった。


 ああ……。

 くそ……。

 これは疲労だな。


 天下のくに学院打線を相手にするのは、ものすごく疲れた。


 もうすべてがおっくうだ。

 全身が重い。




 できることと言えば、グラブをそらに突き上げることぐらいだな。




 パスッという軽い衝撃が、右手に伝わる。




 その瞬間、雲が切れた。


 陽光がマウンドを照らす。




 視線をホームベース方向へ。


 ピッチャーフライを打ち上げてしまった皇が、打席で崩れ落ちているのが見えた。




 ゲームセット。

 俺達の勝ちだ。




 マスクを上げた憲正は、あまり喜んでいるように見えない。


 「しのぶなら当然でしょ?」って顔だ。


 当然じゃねえよ。

 すげえキツい試合だったよ。




「うわっ! うるせえ!」




 歓声が凄すぎて、耳が痛い。


 手で抑えていたら、揉みくちゃにされた。


 駆け寄ってきた、ウチの内野陣だ。

 外野の連中も、向かってきている。




「わっぷ! お前ら! よせ! まずは整列しろ! 試合終了の礼だ!」


 はしゃぐ部員たちの統率を取るのは、主将キャプテンの務めだ。


 完封して、エースピッチャーとしての務めも果たした。


 ふう。

 これで一安心だぜ。




 ……ん?

 俺、大事なことを忘れているような?


 くに学院をスキルなしで完封したら、何かあったような……?


 思い出せない。

 【記憶力強化】スキルも、封印されているせいか?


 まあいいか。


 今はただ、勝利に酔いしれよう。




 チーム同士の挨拶を済ませ、応援団への挨拶。


 ハハッ。

 みんな喜び過ぎだろ。


 お祭り騒ぎだ。


 あっ。

 3年生のキャーキャー3姉妹がいる。

 抱き合って泣いていた。

 

 先輩方、まだ準決勝ですぜ?

 甲子園行きを決めたら、この人達はどんな反応をするだろうか?




 ブラスバンド部の皆さん、演奏お疲れ様でした。

 熱い演奏に、めちゃめちゃテンション上がりましたとも。




 あ~、校長。


 興奮で顔が真っ赤ですね。

 地肌剥き出しの頭部も。


 ありがとうございました。

 全校応援がなければ、勝てなかったと思います。


 火の国学院応援団の迫力は、凄かったから。


 くまかど応援団がそれに負けていなかったから、俺達はされずにプレーすることができました。


 4打席連続敬遠なんて大ブーイング必至な戦法も、迷わず選択できました。




『ありがとうございました!!』




 形だけじゃない。


 腹の底から感謝を込めて、俺は応援団に礼をした。


 きっと他の選手みんなも、同じ気持ちだったろう。




 ベンチでは優子監督が、満面の笑みで出迎えてくれた。




「忍……。ものすごくカッコよかったよ」




 このひと言だけで、ヘロヘロになるまで投げ抜いた甲斐があったな。






○●○●○●○●○●○●○●○●○






 勝ったことは嬉しいけど、浮かれてばかりはいられない。


 まだ決勝戦が残っている。


 この後行われる、準決勝第2試合。

 その勝者を相手にして勝たなければ、甲子園には行けない。


 スキルもレベルも封印された状態で勝つのは、かなり大変だ。


 ……というわけで、準決勝第2試合をしっかり観ておかないと。




 俺達くまかど野球部一同は学生服に着替えて、スタンドに向かう。


 途中トイレに立ち寄ったせいで、みんなとは別行動になってしまった。


 合流しないと。




 早足で球場内の廊下を歩いていると、気まずい相手を見つけてしまった。


 皇と、火の国学院の正捕手だ。


 反射的に、自動販売機の陰に隠れてしまう。


 そこからそっと様子を伺って、驚いた。




 ……え?


 3年生捕手はともかく、なんで皇が号泣してるんだ?


 お前はそういうキャラじゃないだろ?




「すみません先輩……。おれが失点しなければ……。打てていれば……」


「それは違うぞ、皇。投手ピッチャーがお前じゃなきゃ、もっと点を取られていた。打てなかったのは、敬遠され続けたから……。お前の後ろを打つ5番の俺が、不甲斐なかったからだ」


「先輩達の夏が……。高校野球が……。おれのせいでこんな終わり方を……」


「お前のせいじゃない。お前のおかげで、夢が見れた。短い間だったけど、楽しかった。……皇。お前はまだ、1年生だ。春夏合わせて、あと4回も甲子園に行くチャンスがある。来年頑張れば……」


「来年先輩達は、もういないじゃないですか! おれは先輩達と一緒に、甲子園へ行きたかったんだ!」




 なんだよ……。


 皇、どうしちまったんだよ……。


 お前は中学時代、先輩だろうが誰だろうが屁とも思っていなかったろ。


 「チームが負けるのは、皆がおれの足を引っ張るからだ」とか、ふざけたこと言ってたじゃないか。


 それがこんな……。

 チームの敗北に責任を感じて、泣くなんて……。


 強豪校での日々は――高校野球は、こんなにも人を変えるのか。






 次に皇と戦うとしたら、秋の大会だ。


 そこでの皇おうは、もっと手ごわい相手になっているかもしれない。





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