第36話 忍→男のケジメ 憲正→くだらない儀式

「優子……。僕は愛しているんだよ……」




 確かにそう聞こえた。


 何を……?


 何を言ってるんだ?

 けんせい


 愛しているって……ゆうをか?


 嘘だろう?


 友人としては好きだけど、異性としては全然好みじゃないって言ってたじゃないか!


 それにお前は、俺の気持ちを知っているだろう?

 かなおい邸での合宿の晩、みんなで好きな女の子の名前を言い合ったじゃないか。


 俺がひじりゆうって打ち明けた時、「幼稚園の頃からバレバレだよ」って笑ってたじゃないか。

 お前は「好きなコは地球上にいない」とかぬかして、みんなから大ブーイングされていたけど。


 俺の気持ちを知っておきながら、優子に告白するなんて……。




 そうだ、優子。


 建物の陰になって姿は見えないけど、憲正の前に居るんだろう?

 気配と魔力を感じる。


 ……憲正の告白に、何て答えるんだ?




 怖い。

 聞きたくない。


 もし優子が憲正を選んでしまったら、俺は……。


 俺は……。




「忍が悲しむと思うけど……。わかったわ、何とかする」




 これは……。


 「わかった」ということは、憲正の気持ちを受け入れるって意味だよな?


 そうか……。

 そうなんだ……。


 憲正は背が高くて、カッコイイもんな。


 優子が選ぶのも、当然か。




 俺は2人に気付かれないよう、その場を去った。


 【おんぎょう】スキルを発動。


 すれ違う生徒達の誰も、俺が見えない。

 認識できない。


 このまま本当に、消えてしまいたいな……。






○●○●○●○●○●○●○●○●○






 憲正が優子に告白し、受け入れられた晩。


 俺はかなおいさんの許可を取り、私設ドーム球場にいた。


 理由を何も聞かずに球場を使わせてくれて、本当に感謝している。




 学生服のままマウンドに立ち、バックスクリーンを眺めていた。


 景色が全部、色あせて見える。


 つい数時間前まで、世界は色鮮やかだったのに。

 夢に満ち溢れて、キラキラと輝いていたっていうのに。




「忍……。何の用だい? こんな場所に呼び出して」




 聞き慣れた声に、振り返る。


 学生服にバットケースを担いだ、けんざき憲正の姿があった。




「憲正……どうして言ってくれなかったんだ? お前が優子のことを好きだとわかっていたら、俺は早々に諦められたのに……。10年も想いをこじらせずに、済んだだろうに……」


「忍? ……いったい何を言ってるの?」


「お前も愛しているんだろう? 優子を。そして優子も、それに応えた。……俺はとんだピエロってわけだ。ハハハッ」


 自分でもビックリするぐらい、乾いた笑い声だった。




「部室棟裏での会話を、聞いていたのか……。誤解だよ! 忍!」


「照れなくてもいいだろ? 祝福するぜ。幼馴染同士が好き合って、恋人同士になるなんて素晴らしいことじゃないか。嬉しいぜ」


「違う! 優子は僕じゃなくて……。ああ! もう! 投手ピッチャーってのはどうしてこう、面倒くさい奴が多いんだ!」


「憲正……。打席に立って、バットを構えろよ」


「忍……」


「俺なりのけじめってヤツだ。好きなコが、自分よりずっと優れた男を選んだんだと思いたい。……いまから打ち頃のストレートを投げるから、ホームランにしてくれ。特大の飛距離で頼むぜ」


「言い出したら、聞かない男だもんね。わかってるよ」


 憲正はバットを取り出し、素振りを始めた。


 相変わらず、流れるようなフォームだ。




 俺の方は、準備ができている。


 1人でドーム球場内のフェンスに投げ込み、肩を作っていた。




「忍。このくだらない儀式が終わったら、ちゃんと話を聞いてもらうからね」


 カチンときた。


 何がくだらない儀式だ。


 これは俺が優子への思いを断ち切るための、大事な……。




 ピッチャープレートを踏んでいると、そこからドス黒い感情が流れ込んでくる。


 なんでだ?

 なんで俺が、諦めなきゃならない?


 憲正はちょっと、ズルいんじゃないのか?

 横から優子をかっさらって行くなんて。


 俺だって……。

 俺だっていずれは、優子に告白するつもりだったんだ。


 せめて身長が優子と並んだら、異性として意識してもらえるかもしれないと。

 そうなったら、想いを打ち明けようと……。




 なのにこいつは……。

 親友だと思っていた男は……。




 どす黒い感情は、足元から入って体を昇ってきた。

 そしてそのまま、ボールへと乗り移っていく。




 ボールは憎悪を目一杯吸い込んで、俺の手を離れる。


 160km/hオーバーの球だ。


 左打席に入っている、憲正のこめかみに。

 ヘルメットも被っていない、剥き出しの急所に向かい飛んでいく。






「どうして避けなかったんだ……。どうして……」




 剣崎憲正は、俺のボールを全く避けなかった。


 微動だにせず、ボールが自分の頭部に向かってくるのを見据えていた。




「知っているからさ。はっとり忍というピッチャーのコントロールを。変化球のキレを。……そして故意に死球デッドボールを当てるようなマネができない、フェアな男だってことも」




 俺はストレートを投げたつもりだった。


 だけどボールは大きく真横に変化して、憲正の横を素通り。


 高速スライダーになってしまった。




 力が抜けた。

 体を支えていられない。


 俺はマウンド上で四つん這いになり、項垂れてしまった。




「忍……」


 憲正がすぐ側まで近づいているのが、気配でわかった。


 ダメだ。

 頭が重くて、持ち上がらない。




 突然、プシュー! という音が聞こえた。


 一瞬遅れて、後頭部がやたら冷たくなる。




「冷てぇええっ!!」


冷感コールドスプレーだ。頭を冷やしなよ。試合中は氷のように冷静なくせに、優子が絡むとすぐ熱くなるんだから。世話がやけるよ、まったく。僕がいなくなったら、優子にしっかり忍の手綱を握っててもらわないと」


「『僕がいなくなったら』……だって? 憲正、それってどういう意味だ?」


「そのままの意味だよ。……忍。キミや優子と一緒に甲子園を目指せるのは、今年が最初で最後だ。夏が終われば僕は、遠くへ行く」




 憲正の眼鏡が、球場照明を反射して光った。

 そのせいで、瞳が見えない。


 だけどきっと、寂しそうな目をしていたんだろう。

 声がそうだったから。




「憲正……。遠くってまさか、メジャーリーグに挑戦する気か? 向こうの高校に転校して、卒業と同時にプロ入りをめざして……。いまのお前なら、確実にイケるとは思うけど」


「違うよ、メジャーリーグじゃない。アメリカなんかよりも、もっともっと遠くに行くんだ。そしてたぶん、もう帰ってこない。忍とは、2度と会えなくなる」




 憲正が、眼鏡を外した。


 スクエア型レンズの下に隠れていた瞳は……。

 やっぱり寂しそうだった。






「忍。僕は夏の甲子園が終わり次第、この地球を去る。異世界アラミレスに戻るんだ」






 

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