第2話 研修期間
ある日、女の子の赤ちゃんが生まれた。
暖かな陽気に包まれた晴れた朝だった。
シエルと名付けられた赤子は、この国の王女の兄であり宰相という国内政治の最高位に就くカエラム・ヌビラムと、彼の妻とは別の女性との間に生まれた子供だ。
この国は一夫多妻制ではない。
だから妾としてではなく使用人として母子共に屋敷内に住まわせることになった。
相手はカエラムの幼馴染でアン・ソレイルという。アンの父は政治家であったが対抗勢力の罠に嵌り、王の逆鱗に触れ爵位を剝奪された。絶望した両親はアンを残し、自らその生涯に幕を閉じた。
悲しみに暮れる彼女を救ったのが、当時すでに政治家として名を上げ、幼馴染でもあったカエラムとその友人であった。
カエラムはアンの身分を偽り、使用人として自分の屋敷に向かい入れていた。
半年ほどすると王宮にいる友人の元へ使用人として仕えさせ、自分も側で見守ることにした。
アンは美しい女性だった。王国では珍しい漆黒の髪に空色の瞳をもち、一介の使用人とは思えない気品に溢れていた。元は貴族の家庭に生まれ、政治家の娘として質の高い教育も受けていたのだから当然と言えば当然であった。
社交界ではお披露目される前であったことと、父親が溺愛しすぎて公式の場に顔を出させることがなかったから王宮内でもソレイル家の令嬢であることは隠し通せた。
だから只の使用人の一人として手を出そうという者は少なくなかったが、病気の王太子の側仕えや王女の侍女として王族の近くで働き始めると近寄る者は減っていった。
何事もなく数年間が過ぎていたが、ある日事件が起きてしまった。
アンの妊娠が発覚した。
王族の誰かがお手つきをしたのではと城内の一部ではざわついたが、父親は自分だとカエラム本人が名乗り出た。王族の関係者は安堵したが、現役の宰相のスキャンダルはまずいとして隠蔽することになった。
カエラムの本妻は激怒したが宰相の妻という立場と、まだ公になっていないスキャンダルを隠すためにも家庭内別居で平静を装っている。
カエラムには本妻との間に二人の男児がいる。まだ幼い二人は母の怒りと悲しみを目にし、シエルとその母が全ての元凶であるとして憎んでいた。父についてはこの国の政治的トップであり尊敬こそすれ間違いなどあるはずがないと信じていた。
シエルが生まれた事実を知る者も同じくカエラムに非はなく、アンが何かの謀略を巡らせたのだの、根も葉もない噂をするほどであった。それ程にカエラムは良き家長であり上司であると信頼されていた。事実、家族思いの心優しい男であり、政治家としても優秀な人物であった。外交手腕も高く評価されており、国政が安定しているのはカエラムのおかげだという者は多くいた。
しかし水清ければ魚棲まず、国内の政敵は少なくはなかった。このスキャダルが公になれば失脚のネタにされそうなものだ。
だが王女の兄という立場が王族派をカエラム擁護の側に付かせる。王族派には権力が集中していて黒でも白にできてしまう。批判の的をすげ替えることなどは容易で、 母子が悪者にさえなってしまえば後は如何様にでもできるといった具合だ。
シエルが生まれて3か月ほど経ったが、誕生を喜んだ者は数えるほどしかいなかった。
「とまぁ……これが彼女の生まれる前から今までの状況ですね」
クロリスは関りのありそうな人物の天の声から情報を聞き出しまとめて教えてくれた。亡くなってしまった人からの情報は得られないそうだが十分だろう。
「俺の配属先さぁ、ハードモードすぎない?」
「確かにかわいそうな境遇ではありますよねぇ」
天の声に転生した俺はその生涯を共にする配属先に連れてこられた。
連れてこられたというか、生まれたての赤ん坊に向けて放り投げられてリンクするという雑な扱いを受けた。
「なんかこう……神秘的な感じとか、良い感じの演出とかなかったの? 送り出された時はもうちょっと良い感じだったと思うんだけどさぁ。あと、あんた着いてくんのかよ!」
「あ、そういう感じがよかったですか? もう少し早くに着いていれば出来たのですが、すでに生まれてしまっていましたので、つい」
てへぺろって、いつの時代のリアクションかは知らないが、たまにおどけた感じでくるこんな上司はイヤだ。
「ついじゃないよ。あの子も天の声をこんな雑に授けられてかわいそうだよ」
「ああ、授かる……というよりもお互いが認識できるようになるのは12歳になってから神の洗礼を受けて、になります」
「ん? 12歳になってからとは? まだ出来ていないの?」
「はい、貴方様の声が聞こえるようになるのは洗礼を受けてからになります。
心身ともにある程度成長し、体内外の魔力を操るのに適した年齢になってから……ということらしいです」
では何故、今連れてこられたのか?
「通常、生まれてすぐに配属されます。動物などはすぐに仕事が始まりますが、人族だけはこうしないとダメみたいなんです。ですから成長の過程を見て適したスキルを選択できるように準備をしておいてください。生まれ持った才能や適性を判断しステータスを振り分ける必要もありますよ」
洗礼式までは準備期間であり、声が届く原理など、未だに不明なことがこの天の声事業部にもあるらしい。
「先行き不明瞭なベンチャー企業みたいだな。わかんないでやってるのって大丈夫なの?」
「洗礼自体に意味がないことはわかっているのですが、何故かあれをしないと声が届かないのです。例外がない訳ではありませんが、特に人族に関してはこの仕様を変えられないまま続いているのです」
真面目な表情で話すクロリスは本気で困ったという顔をしている。
少しでも気がついたことがあれば報告をすることも準備期間でする業務の一つだと話し、
「我々の声がなければスキルを獲得することはありません。寧ろそれぞれが自力で得た知恵や工夫だけで生きていく方が良いのでは……という意見もあって、我々が邪魔をしているのではと……」
「魂の強さ、てやつか?」
「……はい」
「なんで魂を鍛えなきゃならんの? 繰り返し生を受けるために必要なのかも知れないけど」
「……」
言えないばかりは困るのだが、クロリスにも立場があるし本当に困っていそうだから無理に言わせる必要はないかと思っていた。
「正解ですー!」
「良い加減にしろよ! 神妙な顔するからもっと大事なことがあるのかと思ってちょっと察したのに察せてなかったじゃん、俺。恥かいたよ。やめて!」
——なんだその舌出してテヘ顔は?こいつマジで許せねぇ。本気で殴りたくなってきた。
それでも嘘をついている事だけはわかっていた。
とりあえず12歳になるまでは見守るしかないが、このハードな境遇を見ている俺が耐えられるかが心配になってきた。
それでも姿が見えていないはずの俺を時々じっと見つめている(気がする)。この娘を、何とか幸せにしてあげたいとは思う。これが親心なのだろうか?
自分が今どんな顔をしているのかわからない。
——会えるのは当分先だろうけど、よろしくな
まだ届かない声をかけた時、かすかに彼女は笑った気がした。
その瞬間、轟音とともにシエルと母親がいた部屋の壁が吹き飛ばされた。
壁に大きな穴が空き、砕けた窓枠やガラスが反対側の壁に突き刺さり、家具や調度品も吹き飛ばされた。
シエルの母は咄嗟に赤ん坊を抱え込むように身をすくめて爆風から守った。
だが衝撃で吹き飛ばされた身体は激しく壁に打ちつけられる。
子供の無事を確認するとそのまま気を失った。
突然の爆音に屋敷は混乱に陥る。シエルたちの部屋以外にも3か所ほど吹き飛ばされ、火の手が回り始めたのか煙が屋敷内を漂い、それに紛れて数人の武装した男が侵入してきた。
この手のテロは何故か真昼間に行われることが多い。多くの人を巻き込むためだろうか。カエラムは執務の多くを王宮で行うことは王都の人間には広く知られており、暗殺を狙ったものとは考えにくい。
では賊の狙いは何であったのか。
強盗にしては少々派手過ぎる。対抗勢力によるクーデターにしてはお粗末だ。
頭のおかしい犯罪者集団がたまたま……とは考えにくい。
なぜなら賊は明らかに誰かを探していた。誘拐目的にしても強引な手口だ。
賊の頭領らしき男が駆け付けた警備兵を倒していく。
「赤ん坊だ! 赤ん坊を探せ!」
どうやら探しているのはシエルで確定のようだ。この屋敷に赤子は一人だけなのだから。
「ヌビラムを引きずり下ろすネタだ、死体でも構わん」
「相手の女はどうします?」
「女は生きていたら一緒に連れてこい。さっきの爆破で死んだならいらん。屋敷の人間は抵抗する奴だけ殺せ、いいな!」
指示を受けた数名が爆破した各階の部屋を目指し動き始めた。
爆破する場所はある程度のあたりをつけていたらしい。
この屋敷は宰相になれば王国から貸し与えられる住居兼官邸で、執務以外にも外交の場としても使用される。常時30~40人が働いていて邸内の家事担当以外にも警備兵や執務補佐が数名配置されている。家事担当は住み込みで働く者が多く、離れの別館が使用人たちの居住区となっていた。
今回狙われたのはこの別館であった。
当然、宰相夫人やその子供たちに被害はなかった。それどころか昼間は非番の者以外はこの別館にいるはずもないため、賊は堂々と侵入し標的のシエルを探している。
これは後日わかった事も含まれる。
駆けつけた警備兵は数名。万が一に備えて本邸の警備に人員が割かれた。
火の手が上がったことで事故による火災であると判断したものが多数いた。
多くの使用人が自室の私物を心配し、官邸で働く執務官たちは延焼に備えて訓練どおりに必要な資料の持ちだしと宰相夫人とその子供たちの避難を手分けして行っている。
屋敷に住む多くの者がシエルたち母娘を疎ましく思いながらも、なぜか誰もその存在を思い出せないでいた。
彼女たちの事を思い出した時には、すべてが終わった後だった
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