第38話 メイドは100億円もらえるもんだと思い込んでいる

(あっさり優勝して、ゆめやのりタン先生への発言を取り消させてやるからな?)




 ……なんて考えていた俺は、相当におめでたい奴だったと思う。


 サーキットのピット内で、俺は死んでいた。

 心臓は破裂しそうだし、呼吸はいつまでも整わない。

 おまけに全身の筋肉が、ズタズタになったみたいだ。


 34万円の自立式高級ハンモックに寝かされているんだが、しばらくは起き上がれそうにない。




「……化け物マシンめ」




 隣にたたずむポルシェ911GT3Rを眺めながら、吐き捨てた。


 この車、屋敷に送られてきた時には紫色に塗装されていた。

 工場出荷時のレーシングカーってやつは、カーボン地剥き出しの真っ黒ボディであることが多い。

 わざわざ紫色に塗られていたのは、女神アメジスト様の自己主張だろう。


 ところが今は、可愛らしいシルバーピンクに塗装されている。


「メイン出資者スポンサーである、カナユメチャンネルのイメージカラーはシルバーピンクよ!」


 という夢花の主張で、この色に塗り替えられてしまった。

 チャンネルのカラーっていうか、お前の髪色だよな?


 女神様、怒らないでくださいよ?




 さて、このGT3R。

 結論から言うと、俺には速すぎる。


 乗りやすくはあるんだが、体力がついていかない。

 ハイスピードで曲がれるマシンであればあるほど、遠心力に耐える筋力が必要になるからな。


 レース復帰を決意してすぐ、専属トレーナーを雇って本格的なトレーニングを始めてはいる。

 ……だからってすぐに、トップアスリート並みの体力が付くわけはないよな。




「くそっ。昔は『金さえあれば俺だって優勝できる』って、思ってたんだけどな」


 現役時代は、資金力不足に悩まされることが多かった。

 練習用のタイヤや燃料を買うことすら、ままならなかった。


 今はどうだ?

 俺がヌコレーシングに出資したがくは650億円。

 これはF1トップチームの年間予算と同等だ。

 国内レースのチームとしては、ふざけた資金力だろう。


 なのに肝心のドライバーが、このざまじゃ……。




「旦那様。少し焦っておられるのではありませんか?」


 俺専用に調合されたドリンクを手渡しながら、アレクセイが気遣ってくれた。


「……そうだな。正直、焦っている。焦っても仕方ないのはわかっているんだが……。俺がダメなら、相方に期待するしかない」




 スーパー耐久シリーズは、2人以上のドライバーが運転を交代しながら走る。

 俺がヘバって遅くなっても、パートナーが速ければ優勝の可能性はゼロじゃない。


 今日はこの後、パートナーとなるドライバーのオーディションをやる予定だ。


 元ポルシェ企業ワークスドライバーと、日本最高峰レースであるGT500の元チャンピオンが参加してくれる。


 この2人にウチのマシンで走ってもらい、速かった方を俺の相方として雇う。


 偉大な実績のあるプロドライバー達にオーディションを受けろだなんて、ちょっとムッとされたことだろう。

 だけど今は、少しでも実力が上のパートナーが欲しいんだ。


 交通費・宿泊費全額支給+オーディションを受けてもらえるだけで1億出すと言ったら、なんとかOKをもらえた。




「そういえば、夢花はどうしたんだ? ついさっきまで、メイド服のままピット周辺をうろついていたのに」


「娘ならさっき、モーターホームへと入って行きました。着替えると言って」


「着替え? またレースクィーンコスチュームか?」


 そういえば、レースクィーンも雇わないとな。

 30人ぐらい雇うか?

 他のチームにプレッシャーをかける狙いで。


 できることは、なんでもやってやる。


 腹黒いことを考えていたら、着替えを終えた夢花がやってきた。 




「お前……。その恰好はどういうつもりだ?」


「えへへへ……。似合う?」


 夢花はマシンと同じ、ピンク色のレーシングスーツを着込んでいた。

 ヘルメットも抱えている。

 いつもかぶる2輪用じゃなく、4輪用のやつだ。




「まさかとは思うが……。このGT3Rで走る気じゃないだろうな?」


「まさかただ走るだけと思っていないでしょうね? あたしもオーディションを受けるのよ。コースライセンスも競技者ライセンスも取ったわ」


 眼鏡がずり落ちてしまった。

 車の運転免許取ってから、若葉マーク外れていない奴が何言ってるんだ?


「無茶だ……。お前の運転センスが抜群なのは認めるけど、経験が足りなさ過ぎる。サーキットも初めてだし、本格的なレーシングカーも初めてだろ?」


「大丈夫よ。白ブタのブガッティ・シロンをぶっちぎった時、あたし助手席で見てたから。ご主人様の走りをね。あれの真似をすればいいんでしょ?」


 なんて無謀な。

 いくらこいつでも、助手席から見ただけで経験者と同じように走れるはずがない。


 しかし自腹で装備一式揃えたのに、ダメっていうのも可哀想だな。

 30万円ぐらいは、かかっているはずだ。




「……しょうがないな。無理をしない。車を壊さないと約束するならいいぞ」


「やった! さすがご主人様! あたしが走るところを車載カメラで撮って、動画配信するつもりなの」


 動画配信者として挑むわけか。

 それならまあ、無茶はしないだろう。


 GT3Rに乗ることを許可されて、夢花はピョンピョンと飛び跳ねて喜んだ。

 その様子を見て、ピリピリしていた感情がやわらいでいく。




「……アレクセイ、俺は忘れていたよ。レースを楽しむ心を」


「楽しむ心を取り戻せたのなら、何よりです。人間その方が、パフォーマンスを発揮できます」




 ピットの隅を見やれば、のりタン先生とたまちゃんが競技規則書を読み漁っている。


 車はこれ以上改造できないルールだが、規則に抜け道がないか考えてくれているようだ。


 マシンの周囲では、大勢のメカニック達が作業をしていた。

 昔も一緒にレースをやっていた、仲間達だ。


 そうさ。

 あの頃と同じ仲間がいる。

 あの頃より仲間が増えた。

 あの頃と違い、お金の心配をせずに走れるんだ。


 ゆきの発言は撤回させたいが、そのことばかり考えていると勝てない気がする。


 まずは楽しむことにしよう。







■□■□■□■□■□■□■□■□■






 その日の夕方。


 オーディション終了後、俺はモーターホームで頭を抱えていた。


 テーブルの向かい側には、珠代ちゃんが座っている。




「まさかこんな結果になるとは……。どうする?」


「にゃあ。チーフエンジニアとして言わせてもらうと、時計は噓つかないにゃあ。タイムが速いドライバーを、起用するのが1番だにゃあ」




 本日、オーディションを受けに来てくれたプロドライバー達。

 2人とも、輝かしい実績の持ち主だ。


 オーディションでも、さすがはプロという走りを見せてくれた。




 しかし……。




「1分45秒427……なんだこのデタラメなタイムは? ST-Xクラスのコース最速記録レコードじゃないか……」


「コースレコード? 何ソレ? おいしいの?」


 メイド服に着替えて戻ってきた夢花に、俺は溜息をついた。


「夢花……。お前は本当に人間か?」




 プロ2人を差し置いて、ぶっちぎりのタイムを記録したのはウチのじゃじゃ馬メイドだった。






「あたしが1番速かったの? レース本番で、乗ってもいいわよ? 契約金は100億円で。レーサーはそれぐらいもらうもんだって、ネットで見たわ」




 夢花……。

 それはF1史上最も稼いだドライバーと言われる、ミハエル・シューマッハの推定年俸だ。





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