第37話 練習用と本番用とスペア用と部品取り用だ

 「ヌコレーシングファクトリー」。


 俺がレースをやっていた頃、お世話になったショップだ。




 今日は10年ぶりに、そのお店へとやってきていた。


 ガラス扉を開けて店舗内に入ると、作業着姿の小柄な女性が反応した。




「じゅ……じゅんいち兄ちゃんかにゃあ?」


たまちゃんか……」


 ミディアムショートの髪でお団子を作り、猫耳みたいにしているこの子は珠代。

 ショップの社長、弩古さんの娘だ。




 珠代ちゃんは勢いよく走ってきて、俺に抱きついた。


 うっ。

 相変わらず体格は小柄なのに、特定の部分は凄いボリュームだ。

 ゆめに匹敵する。


 最後に会った時は、まだ中学生だった。

 そこから10年間で、色々と成長したみたいだな。




「動画のコメント、見てくれたんだにゃあ。潤一兄ちゃんのバカバカ! なんで急にレースやめて、姿を消したんだにゃあ。タマヨはめっちゃ悲しかったんだにゃあ」


「ごめんな、珠代ちゃん。……あの時俺が軽率な行動を取ったせいで、みんなの夢を台無しにしてしまった。だから気まずくてな」


「あの件なら、潤一兄ちゃんは何も悪くないにゃあ。みんな別のことに怒っているにゃあ。黙って消えて、10年間音沙汰なしだったことだにゃあ」


「本当に悪かった。みんなにも、謝らないとな。お父さんは?」


「……店には来てないにゃあ。引退して、最近元気がないんだにゃあ」


「そうか……」




 弩古社長……。

 威勢がいいレースエンジニアであり、チーム監督でもあったんだがな。




「いまはタマヨが、このショップを切り盛りしてるんだにゃあ」


「へえ、そいつはすごい」


「すごいのは潤一兄ちゃんだにゃあ。配信動画見たにゃあ。とんでもないお金持ちになったみたいだにゃあ」


「まあ昔と比べると、お金に余裕はあるよ」


 レースをやっていた頃は、本当にお金がなかった。

 自動車レースってやつは、とてつもなくお金がかかる。

 俺は裕福な家庭の生まれでもないのに、無理して競技を続けていた。

 おかげでいつも金欠だった。

 それでもプロになりたかったんだ。




「お金に余裕はできても、すっかり腑抜けてしまったようね」


 背後から、珠代ちゃんとは違う女性の声が聞こえた。

 新たな来店者だ。


 10年ぶりだが、聞き間違えるはずもない。

 同窓会の時も会いたいと思っていたが、いざ対面するとなると緊張する。




ゆき……」


「久しぶりね。潤一」




 流れる漆黒の長髪。

 涼しげで整った目鼻立ち。

 10年前と、ほとんど姿は変わっていない。


 かつての俺の恋人。

 ヌコレーシングのレースクィーンでもあった、はや美雪が立っていた。




「にゃあ~。美雪姉ちゃんだにゃあ。お久しぶりだにゃあ」


「珠代ちゃんとは、半年ぶりくらいかしら?」


「そうだにゃあ。美雪姉ちゃんは潤一兄ちゃんと会うの、10年ぶりぐらいだにゃあ。腑抜けとか言って、喧嘩しちゃダメだにゃあ」


「本当のことよ。この男はもう、私達の知っているかなおい潤一じゃないわ。動画内でメイドさんとバカやってヘラヘラしている、牙を抜かれた腑抜けよ」


 美雪は冷たい目で俺を見ながら、刺々しい口調で言ってくる。




「昔のあなたは、そんなんじゃなかった。高校時代から、レースに出る資金を貯めるんだってアルバイトして、就職してからも、お給料を自分の夢につぎ込んで……。お金なんか持っていなくても、ギラギラしていてカッコ良かった……」


「人間いつまでも、そんな刹那的な生き方ができるわけじゃない」


「それでも私は、もう少し見ていたかった。夢に向かって走り続けるあなたを」




 美雪だけでなく、珠代ちゃんまで寂しそうな表情をした。


 ああ。

 昔の俺は、色んな人の期待を……夢を裏切ってしまったんだな。




「最近はお金に困っていないようね。そのお金で、レースに復帰しようとは思わないの?」


「いまさらな話だな。もうサーキットに、俺みたいなオッサンの居場所はない」


「ふん。せいぜいこれからも、メイドさん達とバカやってればいいわ。――そうそう、ひとつ警告してあげる。ユメイドちゃんだっけ? 動画に出てくる、巻き髪ストロベリーブロンドの子。あの子とは、かかわり合わないほうがいいわ」




 ……は?


 こいつ、何を言ってるんだ?




「夢花は大事な動画投稿のパートナーだし、屋敷の優秀な使用人だ」


「どんなに優秀でも、あの子は男を破滅させるタイプよ。動画の発案、あの子でしょう? 企画が潤一らしくないもの。あんなに浪費家な子をそばに置いていると、いまにあなたの資産を食いつぶすわよ?」




 ……なんだろう?


 すごく胸がチリつく。




「弁護士さんだっていう、ちっちゃなメイドさんもダメね。コスプレして法律解説の動画を配信するなんて、TPOをわきまえていない非常識弁護士よ。まさかあんな人に、法律相談しているんじゃないでしょうね?」


「……夢花ものりタン先生も、俺の大事な家族でビジネスパートナーだ。取り消してもらおうか?」


「取り消さないわ。あなたをダメにしていく存在を、私は認めない。……そうね。あなたがダメな男じゃないって証明できたら、取り消してもいいわ」


「何をすれば証明できる?」


「スーパー耐久シリーズで、総合優勝してみなさい」


 スーパー耐久シリーズというのは、かつて俺が参戦していたレース。

 アマチュアの最高峰で、プロも出場してくる。

 下位のクラスで優勝した経験はあるが、総合優勝した経験はない。


 総合優勝争いをする最速のST-Xクラスは、フェラーリとかランボルギーニとか、とてつもなくお金のかかるマシンばかりだからな。

 当時の貧乏な俺では、とても参戦できなかった。




 俺は美雪と珠代ちゃんが見ている前で、スマホ通話を始めた。


『お電話ありがとうございます。コンシェルジュサービス担当のむらさきしょうです』


「こんにちは、女神アメジスト様。すぐに仕入れて欲しいものがあるんですけど」


『もう! 私が人間って設定を、無視しないでください! ……それで金生様。今回はどのようなものが必要ですか? お金さえ出せば、クレムリン宮殿でも引っ張ってきますよ』


「ポルシェ911……今回はそれの、GT3を仕入れてください」


 GT3Rは、普段俺が乗っているGT3RSとは違う。

 公道は走れない。

 サーキット専用に作られた、完全なレーシングカーだ。


 アマチュアレーシングドライバーに向けて販売されているから、金さえあれば誰でも買うことができる。

 お値段は7000万円するが。




『1台でいいんですか? スペアマシンも要りません?』


「念のため、4台ください。練習走行用、レース本番用、スペア用、部品取り用で。それとポルシェの工場ファクトリーにある予備パーツも、あるだけ全部買い占めてください」


『そうこなくっちゃ♪ すぐお屋敷に送りますね』




 珠代ちゃんは、カタカタと震えていた。

 3億円近い買い物は、刺激が強過ぎたようだ。




 美雪はうすら笑いを浮かべていた。

 ずいぶん余裕じゃないか。




 見ていろよ?

 あっさり優勝して、夢花やのりタン先生への発言を取り消させてやるからな?





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る