第33話 男は心の中に獣を飼っているものです
奴のブガッティ・シロンは排気口から炎を吐きながら、ぐんぐん加速していく。
メインストレートで、あっという間に引っぺがされた。
「ああ! やっぱりダメ。車両価格だけでも3億円オーバーの車に、オプションとパッケージ込々でも4000万円の車じゃ勝てっこないわ。財力無双なご主人様が、お金の力で負けるなんて……」
「夢花ってほんと、車は価格がすべてだと思っているよな」
「価格だけじゃないでしょう? 最高速度も向こうは400km/hオーバー。こっちは296km/h。パワーも向こうは1500馬力。こっちは525馬力」
「大した記憶力だな。なら、車体重量の差はどうだ?」
「えっ? 興味ないから、見ていなかったわ」
「こっちの方が、500kg以上軽い」
当然軽い方が加速は良くなる。
速いスピードで曲がれるようになる
ブレーキがよく効く。
コーナーを曲がる度に差が詰まり、直線的なデザインのテールランプが大きく見えてきた。
「もうひとつこっちの車が有利なのは、ダウンフォースだな。風の力で、地面に強く押し付けられている」
「後ろにある、あのデッカイ翼のおかげ?」
普通のポルシェ911と違い、GT3RSはレーシングカーばりの
おかげで路面に吸い付くような走りだ。
スピードを上げれば上げるほどに、安定感が増す。
「……運転手の腕も、こっちの圧勝みたいね。白ブタの奴、カーブでフラフラしてて危ないわ。それなのにご主人様の運転は、びっくりするぐらい綺麗……。タイヤも少し滑っているのに、なんでこんなに怖くないの?」
「夢花の肝っ玉が、座っているからじゃないのか?」
実際は、夢花の運転センスがいいからだと思う。
これでも俺は、かなり安全マージンを取って走っているんだ。
助手席に、夢花がいることだしな。
こいつはその余裕を、敏感に感じ取っている。
「このコースも、初めて走ったんじゃなさそうね」
「言ったろ? 『昔、ちょっとな』って」
このオートポリスというサーキットは、俺の庭みたいなもんだ。
路面のシミひとつまで把握している。
気が遠くなるまで走り込んだあの頃と、何も変わっていない。
白椨のシロンなんて、俺の縄張りに迷い込んだエサに過ぎない。
曲がりくねった
しかし直線に入った瞬間、奴はぐんぐん離れていく。
「あ~! 全体ではこっちが速いのに、直線だけ向こうが速すぎる! これじゃ、抜けない」
夢花が悲観的なことをを言うが、そうは思わない。
902mしかないこの直線じゃ、いかにブガッティ・シロンでも400km/hまで加速する暇がないからな。
直角に曲がった1コーナーが近づき、シロンのブレーキランプが光った。
俺はまだ、アクセル全開のままだ。
「ちょっとご主人様! これじゃ止まれない!」
「心配するな。ポルシェのブレーキは世界一だ」
白椨よりだいぶ遅いタイミングで、俺はブレーキを踏んだ。
ほとんど蹴飛ばすような踏力。
それでもタイヤが滑らないように、微妙なコントロールを入れる。
重いエンジンを尻に積んだポルシェ911は、フルブレーキングの時こそ理想的な重量バランスになる。
おまけにこのGT3RSの大型リヤウイングは
急ブレーキで翼が動き、空気抵抗の少なさを優先した形から安定感を重視した形に変形する。
「うぐっ! なんて急ブレーキ! バイクじゃ考えられない!」
たしかに強烈な減速Gだ。
内臓や骨が軋む。
だが今は、この感覚が懐かしくて心地いい。
白椨のシロンがだいぶ前にいたが、ブレーキタイミングを遅らせたのであっさり横並びになってしまった。
「このヘッタクソが! ウチのご主人様とは、役者が違うのよ!」
助手席側にいるシロンに向かって、夢花がビシッ! と中指を立てる。
やめなさい。
年頃の女の子がはしたない。
きっちりと減速を終えた俺は、余裕をもって1コーナーを曲がり終えた。
あとはポルシェ911の得意とする、立ち上がり加速でぶっちぎって……あれ?
「あっ、白ブタの奴。曲がりきれない」
俺もルームミラーで確認した。
夢花の言う通り。
オーバースピードでコーナーに突っ込んだシロンは曲がりきれず、コースの外へと飛び出した。
減速のために設けられている
「やっちまったか……。怪我してないといいんだが……」
「脂肪というプロテクターがあるから大丈夫よ。それより3億円オーバーの車が可哀想だわ」
酷い言われようだが、俺も世界有数のスーパーカーが失われてしまったことの方が残念だ。
俺と夢花を乗せたポルシェ911は、クールダウンでゆっくりサーキットを回る。
くそ……。
やっぱりこの場所はいいな。
この歳になって、未練タラタラとは情けない。
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コースから退場してパドックへ行くと、大歓声と拍手で迎えられた。
「スーパーカーグランドツーリング」の参加者達だ。
みんな白椨の行動には、怒り心頭だったらしい。
俺が奴のシロンをブチ抜いたことが、よっぽど痛快だったようだ。
やがて白椨が、トボトボとコース脇を歩いて帰ってきた。
夢花が満面の笑みで、札束を顔面に叩きつけたのは言うまでもない。
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「……でね。ご主人様が白ブタにビシッと言い放ったの! 『夢花のおっぱいは俺のもんだ! 手を出すんじゃねえ!』って」
「俺はそんな台詞、ひとことも吐いていないぞ?」
その日の夕方、屋敷のリビングでは
聞いているのりタン先生やアレクセイが本気にするので、やめて欲しい。
「金生さん、元レーシングドライバーだったんですね~。ネットで調べました~。金生
なぜか今日もメイド服なのりタン先生が、スマートフォン片手に興奮している。
「元レーシングドライバーなんて言っても、アマチュアですよ。プロには……なれませんでした」
……あの日、あの行動を取っていなかったらプロになれただろうか?
いや。
俺じゃ、やっぱり無理だったかな。
「旦那様。またレースに挑戦してみてはいかがですか?
茶葉50gで1万円超えの高級玉露を淹れてくれながら、アレクセイが提案してきた。
「よしてくれよ。この歳で、今さら昔の夢を追いかけるなんて……」
「私は旦那様のおかげで、今でも執事という夢を追わせていただいております。それに……」
イケオジ執事は、野性的な笑みを浮かべた。
「男はいくつになっても、心の中に
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