第22話 憧れのスーパーカーを手に入れたからって、俺は浮かれてなんかいない。本当だぞ?

 アレクセイが運転するパナメーラで送ってもらい、俺とゆめはメガディーラーの前に到着した。




「いらっしゃいませ、かなおい様」


 店長さん直々のお出迎えだ。


「すみません。お忙しいでしょうに、店長さん自ら……」


「いえいえ。金生様は、大事なお得意様ですから」


「わがままばかり言う、面倒な客でしょう?」


「とんでもございません。……GT3RSの件でしたら、当店としても希少車の輸入実績ができて大助かりなのですよ。展示車両をまとめて3台ご購入いただいた件も、ありがたいことです」


 そうか、よかった。

 無理を言って、迷惑かけたかなという後ろめたさがあったんだ。




「ウチのご主人様が、ワガママでごめんなさいね。お詫びにもう1台、車買いますから。あそこに展示してある、ごっつい車とかいいかな。6540万円か……。ご主人様なら、軽い軽い」


 おい、夢花。

 そういう冗談はやめろ。


「ロールスロイス・ファントムエイトでございますね? すぐに見積もりを出させていただきます」


 ほら見ろ。

 買わないとは、もう言えない雰囲気だ。




「……いえ。今から見積もりとは、野暮な話でしたね。金生様は一刻も早く、GT3RSと対面したいでしょう。商談は、またの機会にしましょう」


「……わかっちゃいます?」


「それだけ納車を楽しみにしていただけて、自動車にたずさわる者として光栄です」


 店長さんにまで、バレバレか。

 いい歳して、恥ずかしい。




 店長さんの案内で、店の奥へと進んでいく。

 説明によると、愛車と対面するための納車室があるらしい。


 納車室へ向かう途中、あることに気付いた。


「そういえば、最初にこのお店へ来た時の女性営業さんがいませんね」


 俺と夢花に、なかなか失礼な態度を取ってくれた人だ。

 ちゃんと車を買う客だとわかってもらえたはずだから、もうあんな態度は取らないと思うが……。




「彼女は金生様以外のお客様にも、失礼な応対が目立ちました。なのでいま、研修施設『ジュデッカ』にて再教育が行われています」


 「ジュデッカ」ってたしか、詩人ダンテの神曲に登場する最終地獄のことだよな?

 なんつうネーミングだ。

 地獄のような再教育が、行われているに違いない。




「着きました。ここが納車室です」


 店長さんからうながされ、室内に足を踏み入れる。


 そこには俺が、憧れていた車が置かれていた。




 ポルシェ911GT3RS。




「へえ、意外。ご主人様って、こういう派手な車が好きなのね」


「まあ……派手だよな……」


 女神アメジスト様の独断で塗られたミッドナイトパープルは、どちらかというと上品な車体色だ。

 派手なのは色ではなく、レーシングカーばりの空力エアロパーツ。




「なにこのデッカイ翼。こんなの付けてたら、地面にめり込むんじゃないの?」


 夢花が胡散臭そうに、車体後部の巨大なリヤウイングを眺める。


「大型リヤウイングが、女の子にダサいと言われるのは理解できるが……。しかし普通、『空でも飛ぶの?』って言うもんじゃないのか?」


「……? これって風の力で車体を地面に押さえつけて、安定させるためについてるんじゃないの? 飛行機の翼と、逆向きの形をしているし」


「いや、合ってるが……。それがわかる女の子は、珍しいな」


「学校で理科を真面目に習っていたら、わかるでしょ」


 たぶん、ほとんどの人はわからんと思う。

 やっぱこいつ、頭いいな。

 成績学年1位は、伊達じゃない。




 店長さんから、リモコンキーが渡された。




 現実感が湧かないな。

 まさかこの俺が、ポルシェ911のオーナーになる日がくるとは。


 ちょっと前まで、移動手段は自転車のみだったのに。




「それじゃ行きましょうか、ご主人様。慣らし運転に」


「……ああ」


 運転席に乗り、エンジンをかける。

 そっとアクセルを開けると、水平対向エンジンの乾いた音がした。






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 ポルシェ911GT3RSは俺と夢花を乗せ、バイパス道路をなめらかに走ってゆく。


 素晴らしい走りだ。

 車体が自分の体になったかのような、一体感を覚える。




「前から思っていたんだけどさ。ご主人様って、運転上手いわよね」


「そうか? 普通だよ、普通」


「操作はすごくていねいで正確だしさ、10台ぐらい先の車まで動きを見てるでしょ? 後ろに目が付いてるみたいに、後続車の動きも把握しているし」


「助手席から見ているだけでそれを察する、お前の方が凄いと思うぞ? 眼球の動きでわかったのか?」


「うん。死んだお母さんも、運転上手でね。ご主人様と、同じような目の動きをしていた」


「プロのトラックドライバーと、運転が似ているなんて光栄だな」


「……ね! ね! せっかく運転上手な人が、速そうな車に乗っているのよ。ちょ~っとだけ、飛ばしてみない?」


「だめだめ。安全運転、安全運転。それにこの車はまだ、慣らし運転中だからな」


「ちぇ~っ、面白くないな。こんな車が好きなくせに、飛ばしたいっていう欲求はないの?」


「全然ないね」


 そうさ。

 俺は若い頃、普通の人の一生分ぐらいそういうことをやった。

 もう、充分だ。




「ふう~ん。ま、いっか。……慣らし運転って、けっこう走らないといけないのよね? 遠出しない?」


「それには大賛成だ。ドライブよりだしな」




 3月の空は、どこまでも青く晴れ渡っていた。






■□■□■□■□■□■□■□■□■






「本当に、いい天気だよな……」




 現在俺は車を降り、空を見上げている。


 場所は山の上にある展望所。

 けっこう有名な観光スポットで、駐車場には多くの車が停まっている。


 俺は愛車から、ちょっと距離を取っていた。

 みんなが911GT3RSを、しげしげと眺めていくんだ。

 近くにいて、オーナーだとバレたらなんか恥ずかしい。


 夢花は飲み物を買いに行ってくれている。

 静かな1人の時間だ。




「お~? お前、金生じゃないか?」


 空に溶けていた意識が、引き戻される。


 嫌~な声が聞こえた。

 人生でもう2度と、関わりたくないと思っていた奴の声だ。


 無視すれば、人違いだと思ってくれるかな?




「おい、無視すんなよ。元上司を無視とは、ふてえ野郎だ。そのもじゃもじゃ頭に眼鏡、ひょろノッポ体型は、派遣のくせに生意気な金生だろうが! ああ、すまん。クビになったから、もう派遣社員ですらないな」


 ……ダメか。


 仕方なく俺は、声のした方向に視線を向ける。






 派遣社員時代に俺をいびってきたさわの野郎が、嫌らしい笑顔で立っていた。





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