第三十五話 元込めの火縄銃
大阪城の一室で、仁吉はおれの前に出ると深々と頭を下げた。
「仁吉」
「はい」
「銃は今どうなっているんだ?」
「実は今日殿がお呼びという事で、新しい物をお持ちしました」
なんと仁吉は元込めの火縄銃を開発したと言うのだった。
確かにおれは以前、仁吉に元込めの銃を造れないかと提案したことが有った。アイディアを幾つか説明したのだが、まさか本当に出来るとは思わなかった。
仁吉が持参したその銃にはレバーが付いており、下げて前に押し、弾を入れ、また引いて上げることで装填完了となるシンプルだがしっかりした構造だった。さらに弾は従来のミニエー弾より少し長くなっており、弾道の安定性が増して有効射程距離が伸びたとの説明だ。
「今撃って見せてくれぬか」
「分かりました」
庭に出る際、幸村に声を掛けた。
「幸村」
「はい」
「先込め火縄銃と射手も用意せよ」
「はっ」
試射は満足のいくものだったが、肝心なことは従来の先込め式火縄銃との比較だ。両者を並べて早さを競合わせてみたのだ。
結果は元込め銃は先込めと比べて約二倍から三倍の速さで撃てる事が分かった。さらに言えば先込め銃と違い、地面に伏せた状態からでも弾を込め撃つことが出来る。これは元込め構造の大きな強みだろう。
「仁吉」
「はい」
「後は耐久性だ。百発続けて撃てるように努力せよ」
「分かりました」
ただ元込め式銃でも火薬と弾丸は別々に入れる必要がある。薬莢で弾と一体になっていればいいのだが、さすがにこの時代の鍛冶職人でそれは難しい。弾頭・発射薬・着火薬が薬莢で一体化されるのはこの時代よりも二百年も後の事である。それと難を言えば、発砲時に高圧ガスがレバーの辺りから少し漏れている事だ。撃つごとに青白い硝煙が銃の周囲を覆い視界が悪くなっていく。
それと弾を入れ、その後ろに火薬の包みを入れた後、小さな工具を使って押し込めているのが気になった。レバーを引く操作で、それら一連の動作を素早く同時に出来ないだろうか。
仁吉にその二点を話したが、既にこの銃は五百丁ほど出来ているとの事だった。もちろん更なる改良と増産を指示した。
すでにイングランドは世界制覇に乗り出して、世界の情勢は刻々と変化している。前回は共闘したのであるが予断は許されない。最後は必ず日本にまでやって来るだろう。その際にどんな通商条件を持ち出されるか分からないのだ。もはや殺人兵器だのと言ってはいられない。やり返す実力が無ければ一方的にやられるだけなのだ。
一四世紀から一九世紀までは「ミニ氷河期」と呼ばれている。
その後の気温は上昇に転じ、さらに東京では、過去百年間の間に約三℃上昇したという。地球温暖化の影響と、ヒートアイランド現象によるものだ。
やはり秀吉の時代の冬は寒かったのだ。そのうえエアコンなど無く、火鉢しかないのだから寒がりのおれには相当こたえる。
そしてついに秀矩が亡くなった。かねての打ち合わせ通り、遺体はひそかに埋葬され、佐助のうなだれ泣き崩れる姿がおれの目に痛く映る。
佐助も秀矩の事情を全く知らない訳では無いのだが、目の前でその死に直面するとさすがに感情が抑えられないのだろう。
思わず、おれはここに居るよと声を掛けたくなった。
だが、その佐助に寄り添ったトキを見ると、
「あれっ」
腰元のトキではないか。いつの間にかガイドのトキから腰元のトキに戻っていた。
「トキ、そなたは」
「ガイドの私では佐助がかわいそうで。ガイドと腰元の二人に転生したの」
「…………凄い」
なじんでいた腰元とガイドの二人を同時に操れるようである。だがその佐助も次第に、新しいおれに笑顔を見せるようになってきた。
欧州を支配下に入れたイングランドは、アジアにも目を向けていた。
この時代アジアの大国であったのは中国だ。まだ万里と呼ばれる長城の内側だけであったのだが、その広大な地域を支配していた明王朝は既に末期を迎えていた。万暦帝の治世の後半、宦官が政治の実権を握り、民衆が重い税負担に反発し各地で暴動が起こっていた。
そして遼東地方(後の満州、現在の東北地方)では女真を統一したヌルハチが、明から独立しようと機会をうかがっている。
翌年パインから、クロムウェルの別動隊がその明王朝に、南から攻め込もうとしているとの連絡が有った。イングランドから出されていた条約要求を、不平等であるという理由で蹴ったという事だ。おれが恐れているのは正にそれであった。同じ事が日本でも起きないという保証はない。
イングランドが動き出す二十年ほど前、スペインの無敵艦隊は兵士約一万八千、船員、その他非戦闘員の一万二千、総数約三万人を艦船に満載してイングランドに向かった。
計画では当初スペイン・フェリペ二世は、外地で交戦中の精鋭部隊と合流する予定だった。数百隻の艦船と兵員三万が合わされば、合計六万近くの兵士が参加する上陸作戦となる。
しかしその計画は挫折して、実際に参加した船舶は百三十隻で上陸する兵士の数は一万八千だった。船の種類にもよるが、一隻平均で上陸出来る兵士は約百四十人程度と思われる。今は船が大型化してもっと多いかもしれない。
待ち構えているイングランド軍艦船は二百隻であった。
またレパントの海戦(一五七一年)では地中海の覇権を争って、教皇・スペイン・ヴェネチアの連合軍とオスマン帝国海軍がギリシャのコリント湾口で激突した。この時の主力艦は両軍ともに大勢でオールを漕ぐガレー船であったが、オスマン帝国戦艦の総数は三百隻であった。いずれもこの時代の海戦を伴う上陸作戦は、すでに壮大な物量戦になっていたようだ。
イングランドの目的は世界制覇である。最終目的地である日本が思うような通商条約に調印しない時は、間違いなく総力を上げて侵攻して来るだろう。その際は四百隻ほどの大艦船団でやって来ると思っておいた方が良い。上陸する兵士の数は五万から六万か。何しろ前回の戦では、日本の鉄砲隊にスペインとポルトガルの連合軍が完膚なきまでにやられているのだ。もっともたった五隻や七隻のガレオン船での襲撃など、彼ら欧州勢にとってみればほんの小手調べに過ぎなかったに違いない。ジパングは黄金の国、侵攻作戦はこれからが本番なのだ。
元寇(げんこう)は鎌倉時代中期に、二度にわたり行われた日本侵攻である。来襲した軍船は大小合わせて七百から九百隻余り。兵員は四万近くにもなったと言う。
イングランドが侵攻してくれば、日本にとって二度目、三百数十年ぶりとなる非常事態だ。
「太郎兵衛はおるか?」
「はい」
大阪に戻っている太郎兵衛に言っておきたい事がある。
「太郎兵衛、硝石の事だ」
この男もおれの事情を知っている数少ない一人だ。
「国内での生産も急がせるが、輸入も出来るだけ多くしてもらいたい」
「分かりました」
イングランドが明を制圧してしまったら、硝石の輸入が難しくなる。日本国内での生産もある程度は出来るようだが、十分な火薬を作るためには絶対必要な物だ。
「幸村」
「はい」
「仁吉を呼べ」
おれは再び仁吉を呼び出した。
「仁吉、今度は大筒(おおづつ)を作ってもらうぞ」
「…………」
「但し、従来の大筒とは違う」
この時代のキャノン砲と呼ばれる大砲は、ボーリングの球サイズの弾丸を発射する。破壊力はあるものの有効射程距離は二百五十メートル程度であった。
カルバリン砲というものは砲弾はメロン程度の大きさで、破壊力ではキャノン砲に劣るが、有効射程距離は三百五十メートル程度と有利であった。
「小口径のものでいい」
「…………」
「握りこぶしほどの径で円筒状の弾丸を撃てるように造ってみろ」
「分かりました」
着弾した際に起爆して爆発させる事はまだ無理だが、円筒状の砲弾はミニエー弾で習得済みの技術だから出来るだろう。射程距離を伸ばすため、当然ライフリングを施してもらう。イングランド軍の大砲にライフリングが施されているかどうか定かではないが、新式銃の構造を見ているのだから、当然砲でも考えるに違いない。有効射程距離は小型であるからと、この時代の約二倍、四百メートルから六百メートルを要求した。さらに大砲にも元込め式を提案した。砲身の後部にスクリューがあり、それを回して砲尾を開け装填する、といった仕組みである。しかし仁吉にネジの概念を説明するのには手間取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます