第三十三話 「おれを元居た部屋に戻してくれないか?」

 豊臣軍は大阪に帰って来た。


 その後おれを襲った船頭の名は五島安兵衛だと分かった。藩主である黒田利則殿の自害を知ると、主君にはお目見えも出来ない下級武士であったが、秀矩を殺害して一矢を報いようと決意。一人ひそかに機会を伺っていたとの事だった。

 だがこうして捕らえられてしまったのだが、意外にも秀矩は命を狙った自分を助命したばかりか、家臣に面倒を見させているではないか。

 あの時、安兵衛は確信を持って刀を振るったのだが、その一太刀が空を切った。信じられなかったが、それでも自分の不覚として認めたのだ。それが剣に生きる武士のけじめであると。だから刀を捨てたのだった。


「なぜ殺さなかったのだ?」

「そういうところがあの方らしいところだ」

「おれはどうなる」

「さあな、それはおぬし次第だろう」


 幸村の返事に安兵衛はまた目をつむった。


「幸村殿」

「なんだ?」

「秀矩様に合わせてはもらえぬだろうか」


 無言の反抗を貫いてきた安兵衛も、ついに頭を下げる事になった。





 おれの前に座ると、安兵衛は深々と頭を下げ、


「秀矩様……」


 そのまま頭を上げようとはしなかった。


「安兵衛とやら」

「はっ」

「もうよい、頭を上げよ」


 安兵衛がやっと頭を上げる。


「それにしても、すごかった。その方の一太刀は怖かったぞ」

「ははっ」


 また頭を下げてしまった。

 この後安兵衛はおれの家臣となり、練習試合などでは幸村配下の者をしのぐ剣さばきを発揮するのだった。

 その剣豪ぶりを世に知らしめる出来事が有った。安兵衛が城下を一人で歩いていた時の事だ、五人組の侍から呼び止められた。だが言ってくる意味がよく分からない。仇だとかなんだとか。誰かと人違いをしているようである。なんとか誤解を解こうとしたが、ついにこれ以上の問答は無用と、三人から刃を向けられてしまう。


 その後たまたま居合わせた野次馬から広まった噂なのだが、安兵衛が刀を抜くと、最初に切った者が倒れる前に他の二人も切ってしまったという。おれが襲われて幸村の家臣達が取り囲んだ時、もしも安兵衛が刀を捨てなかったら大変な被害が出ていたかもしれなかったのだ。




 九州遠征の翌年、長崎の太郎兵衛から連絡が有った。パインが先の戦で見かけた新式の銃に、大変興味を持っているという。だから二丁の新式火縄銃を進呈する事にした。

 やがてパインを通じて知られた新式銃には、まだライフリングが無いマスケットしか知らない欧州の軍事専門家達が驚愕する事となる。なにしろ史実ではライフリングを施された銃が普及するのは、まだ二〇〇年以上も後の事なのだ。だから当初は銃の精度があまりに高いため、教会からこれは悪魔の銃だと言われてしまう。

 確かに従来の弾が何処に飛ぶか分からないようなマスケットの時代からしたら、必殺の能力を秘めた新式銃は悪魔がもたらしたものだと考えるのも無理はない。

 この時代の短銃での決闘などを見れば、当たる確率は半分くらいを想定したものではなかったのか。だから互いの勇気を競い合うという意味合いが有ったのだ。それが必殺の銃となれば、ただの殺し合いになってしまう。


 おれのやったことは……


 結局パインからは新式銃の発注が大量に来た。ただし欧州の基準に合わせて台尻等の改良をしてほしい部分もあるとの事だった。

 


 おれは大坂城に仁吉を呼び出した。

 自分が兵器の威力を加速させてしまったという事に対して、気持ちの整理がつかないまま、新式火縄銃の成果を認め称賛した。報奨金はもちろん、名字帯刀を許し、屋敷を与えた。

 さらに元込め銃の可能性を話し出すと、仁吉は身を乗り出すようにしておれの説明を聞いていた。調子に乗ったおれは、将来機関銃なんて自動連発の銃も出来ると言ってしまった。

 だが、その話をしている途中でふと、


 ――おれは一体何をしているのだ――


 造られた新式銃は既に九百丁を超えている。本当におれはこんな殺人兵器の開発をしたいのか。そんな思いが沸き上がって来た。


「仁吉」

「はい」

「……忘れてくれ」

「はっ?」

「今おれが話した事は全て忘れてくれないか」

「…………」


 だが、おれはすでに話してしまったのだ。多分仁吉の脳裏に浮かんで来た新しい銃への思いは、もう止められないだろう。

 それに新式銃は既にイギリスに渡ってしまった。たとえ仁吉がやらなくても、何処かで銃の更なる改良がなされるだろう……


 事実その後、とんでもない話がパインを通じてもたらされた。

 イギリスが新式銃を大量生産して、他のキリスト教国、手始めにフランス侵攻を計画していると言うのだ。

 パインの予想では、当然イギリスの侵略はフランスだけに留まらないだろう。圧倒的に有利な新式銃があるのだから、間違いなく世界制覇を目指すと言って来た。


 此処に悪魔がいたらきっと言うだろう。


「何を善人ぶってる。イギリスの行動はお前の潜在意識そのものなのだ。先を越されるんだよ」




 おれは佐助とトキを呼び出した。


「佐助、トキ、ガールズコレクションをやるぞ!」

「わあ、何処で開催するんですか?」


 佐助が興奮して聞いてきた。


「そうだな、大阪城はどうだ。この城を一般に開放する」

「えっ、そんな事――」

「一大イベントになるぞ。天守閣からモデルが下りてくるんだ」


 佐助とトキ、歌舞伎座の女の子達が一堂に会し、スカートのすそを翻して色鮮やかに会場を飾る。見学に訪れた町の衆から海外の商人たちは、息をのんで見つめていた。

 こうして一般庶民が大阪城に入るという画期的なイベントと、華やかなショーは成功裏に終わった。


「殿、大成功でしたね」

「ああ……」


 佐助が顔を輝かせている。


「佐助」

「え?」

「いい思い出になったな、ありがとう」

「……何ですか、急に改まって」



 ――佐助、ごめんな、おれはこの世界の人間じゃないんだ。本体は別な異世界に有る。ここに居るおれは記憶だけの結翔なんだ。もう帰らなくっちゃならない。そうするしかない。空気のような存在って例えがあるが、今このおれはそれ以下だ。空気なら動けば風が起こるし、激しくなれば台風にもなる。だがおれはどうだ。記憶だけのおれがどう動いても、何も起こらない。転生している鶴松が居るからこそ、おれは存在を感じているだけなのだ。

 最近おれは無限な時の流れを旅するというトキの気持ちが分かる気がしてきた……



 佐助は何かを感じたようだが、これ以上何も話しようがない。

 これでもう思い残すことは無いと言いたいところだが、やっぱりどこかで未練を吹っ切るしかないな。

 佐助が居ない時を見計らって、おれはトキに声を掛けた。


「トキ」

「なあに」

「おれを元居た部屋に戻してくれないか?」


 バタフライ効果は、地球の裏側でちょうちょが羽ばたくと、その影響が世界にとんでもない影響を及ぼすかもしれないという考えだ。

 エジプトのナイル川が氾濫しないで肥沃な水が流れ込まなくなったため、土地がやせて飢饉が起こった。原因は一万キロ以上も離れたニカラグアの火山噴火が原因との説がある。噴煙が気象を変化させたのだ。

 飢えたナイル下流に住まう国民の不満はクレオパトラに向かう。気象の変化だろうと何だろうと、国民に十分な食料を与えるのは為政者の務めである。窮地に立たされた彼女は、ローマのカエサルに近づいた。その後の華やかなクレオパトラの物語は、有名な歴史として残る事になる。全ては地球の裏側で起こった噴火が遠因だった。

 火山の噴火は確かにインパクトの大きな出来事だが、帆船の時代に銃の革命的な改良などという事も、この先世界にどんな結果をもたらすのかと考えると恐ろしいものがある。

 殺人兵器の開発は確実に加速されてしまったのだ。未来社会はおれが漠然と考えていたものとは全く違う、恐ろしい様相を呈してきた。イギリスは新式銃で世界征服を企てていると言う。やはりこれは止めるべきだ。だが元の世界に戻って全てが無かったことになるのであれば、やるしかない。


「……本当にそれでいいの?」


 トキは言わなくても分かっていた。


「うん、もう決心したんだ」

「分かったわ」

「あ、トキ」


 おれはトキを見つめた。


「……ありがとう、いい経験が出来た。トキと出会えて本当に楽しかったよ」

「…………」






 おれの机はパソコンやらゲーム機やらが雑然と並んでいる。コーヒーのコップはこぼさないような位置にずらす。そしてパソコンに鶴松と打ち込んでエンターキーを押そうとした時、ふと、なにかを感じた。


「あ、やばい、忘れてた。ガスを点けっぱなしだぜ!」


 台所に飛んでいった。緑のたぬきを食おうとお湯を沸かしてたのを忘れていたのだ。だがその時、後ろで小さな声がしたのを、おれは気付かなかった。


「じゃあ、これでお別れね、殿……」






 うぐいすが盛んに鳴いている。

 此処は大阪城跡地だ。

 ゲームにも飽きてきたおれはある日、歴史好きの者が集まるツアーに参加した。秀吉の築いた城で未発見の石垣が見つかったから、それを見学しようというものだった。

 そして今は移動して此処に来ているのだが……

 実はそのツアーのガイドさんがめちゃくちゃ可愛くって色っぽい方なのだ。


 ――ワオッ――


 もう何度心の中で叫んだか。

 おれは石垣なんかそっちのけで、そのガイドさんを見続けていた。

 そして、なんと、なんと、そのガイドさんと特別お友達になれそうなのだ。

 その方は何故かおれにだけこっそり、自己紹介の時とは違う呼び名を教えてくれた。


「私の名はトキって言うのよ」

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