第三十二話 「こやつ、なに者――」

 次は鹿児島湾岸での戦闘である。これが最後になるはずだ。


「トキ」

「はい」

「忠恒殿の所に頼む」

「殿!」


 トキが戸惑ったようにおれを見た。


「どうした?」

「大丈夫なの、せめて間隔を開けたら?」


 トキの心配は分かる。転送が鼻血の原因なのは明らかだ。しかし、だからと言って今ここで止めるわけにはいかない。


「このまま何度も転送を続けたら貴方の身体が壊れてしまうわ」

「いや、トキ、これが最後だ、頼む、やってくれ」


 最後かどうか、そんな事は分かりもしないのだが、今は行かざるを得ない。おれを見るトキがため息をついた。





 対面した忠恒殿がすぐ声を掛けて来る。


「殿、それは、どうなされた?」


 また鼻血が出てきたのだ。

 おれは何とかその場を取り繕い、忠恒殿には事情を話して、沿岸から二キロ離れたくらいの防衛ラインを敷いてほしいと頼んだ。

 ただこの頃になると、さすがに豊臣側藩主や周囲の者達がおれの神出鬼没ぶりを怪しみ始めた。伝令のように早馬を使えば、ほぼ中心の熊本城から、九州の全域に三日ほどで到着出来るのだが……


 もっとも鹿児島に居たその直後、平戸に現れ、さらには他の豊臣側軍の本陣などと次々に移動したとしても、それぞれの場所に居る者同士は、すぐには確認のしようも無いのだから憶測にすぎない。とうとう影武者をうまく使っているのでは、との噂から、さらには天狗と共に空を駆けていたのを見たと言う者まで現れる始末であった。


 やがて豊臣軍が到着したすぐ後で、イギリス軍船四隻が鹿児島湾に姿を現した。スペイン軍の騒いでいる姿がはっきり見て取れる。

 翌朝、湾岸沿いに陣取るスペイン軍に対して、陸と海側からの熾烈な総攻撃が始まった。薩摩軍はありったけの銃を出して来ているのではないか。見ると女性のスナイパーまで居る。

 そして正午過ぎ、ついに最後のスペイン軍から降伏のサインが出され、これで九州の戦は終結した。





 小早川家と黒田家、藤堂家は改易とした。加藤家は領地を増やし、その代わり、小西家と長年にわたる境界線争いには加藤家側が譲ることで解決を図らせた。

 長崎港は豊臣家の直轄領となった。小早川家は当初改易を拒み籠城を開始したのだが、豊臣軍側の大軍に包囲されて四か月後に食料が尽き降伏した。


 大阪に帰る少し前、筑前国を流れる川岸に来ていた時だった。たまたま幸村やトキ、家臣達は離れたところにおり、佐助と二人だけになって、おれが渡し船の船頭に声を掛けたその直後、


「――!」

「んっ」


 何が起きたか分からないまま、後ずさったおれは足が絡まり仰向けに転んでしまった。


「なに者!」


 叫んだ佐助が刀を抜いた。見るといつの間にか船頭の手にも刀が握られているではないか。

 やっと起き上がったおれも刀を抜いたが、小太刀しか持っていない。

 手拭いで頭を覆っている船頭は、無言でじりじりと間合いを詰めてくる。

 こいつは侍だ、発する殺気が尋常ではない。


 ――これはまずい事になった――


 船頭はまず佐助に鋭い太刀を浴びせて来た。忍びと言ってもやはり女子だ。刀でかろうじて受け止めた佐助の身体がぐっと下がる。

 おれは思わず横合いから船頭の顔に向かって刀を振るう――

 船頭は佐助を突き放すと、返す刀でおれをなで斬りにした。


「あっ」

「殿!」


 腕が熱い。


 くそ、切られたのか。




 いや、これは、もっと深刻だ。




 刃がおれの身体にずるっと入って来たのを感じた!




「殿!」

「こやつ、なに者――」

「切れ、切れ!」


 ただならぬ気配に気づいた家臣達がやっと駆けつけて来たようだ……

 改易に納得いかない者はあるだろうが、戦の結果で仕方のない事だ。それとも他にも恨みを抱く者がいたのか。


「佐助は何処だ」

「殿、私はここに」


 仰向けに倒れたおれを、佐助が両手で支えていた。


「佐助か、これはもう、だめだ……」

「しっかりなさいませ!」


 おれは体中の血がどんどん流れ出ていくのが分かった。佐助の腕を掴んだおれの指が血で真っ赤になっている。

 もう時間がなさそうだ。


「幸村」

「はい」

「大阪にも長崎以上の港を造れ」


 おれは思わず話し始めた。


「殿、あまり話さない方が――」


 幸村がおれを制してくる。


「いや話しておこう。国際港として世界に恥じない港をだ」

「港でしたら、今でも堺――」

「大阪城の西に、堺以上の港を造るのだ」


 今の神戸港である。長崎に次ぐ港を造り、イギリスなどの商船を招こうというのだ。


「佐助」

「……はい」


 ぼろぼろと流れ始めた佐助の涙が、おれの顔に落ちて来る。その涙を見て、おれは自分の状況をはっきりと理解した。だが切られたはずなのに、なぜか痛みは感じない。


「港が出来たら、開港祝いにガールズ・コレクションを開け。スカートのすそを広げてそなたたちがまた歩くのだ。盛大なものにせよ」

「……分かり……ました」


 佐助は泣きじゃくりそうになりながら、なんとか返事をした。幸村の横にトキが居る。


「トキ」

「ユイト!」

「船頭は……」

「切られました」


 尋常でない剣の使い手であったが、トキが手を貸して切り伏せたようである。


「やっぱりそなたの言う通りだったよ。未来は予測が……つかない……」


 おれは力なくトキを眺めた。だがもうその姿も良く見えない。鶴松の身体を気にしていたのだが、まさかおれの方が先に行くとは……

 未来の書店で五島安兵衛の話を読んだ。襲撃は失敗しておれは助かったはずだ。だが、この世界では殺されるのか……


「最後がこんな事になるなんて、思いもしなかった」

「殿」

「トキ、ひとつ、だけ……」


 ――くそ、まだ話すことがあるのに。口が動かなくなってきた――


「頼、み、が……」


 トキが立ち上がった。






 ――私としたことが、気付くのが遅かったわ――







 小早川、黒田、藤堂家は次々に改易、長崎港は豊臣家の直轄領となった。小早川家は改易を拒み籠城したのだが、四か月後には食料が尽き降伏した。


 豊臣軍が大阪に帰る前、筑前国を流れる川岸に来ていた時だった。トキや家臣達は離れたところにおり、佐助とおれだけで渡し船の船頭に声を掛けたその直後、


「――!」

「んっ」


 一瞬何が起きたかのか分からず、後ずさったおれは仰向けに転んでしまった。


「なに者!」


 叫んだ佐助が刀を抜く。見るといつの間にか船頭の手にも刀が握られている。

 やっと起き上がったおれも刀を抜いたが、小太刀しか持っていない。

 船頭は、じりじりと間合いを詰めてくる。

 こいつは侍だ、殺気が尋常でない。


 ――まずい事になった――


 船頭は佐助に鋭い太刀を浴びせて来た。忍びと言ってもそこは女子だ。刀でかろうじて受け止めた佐助の身体がぐっと下がる。

 おれは横合いから船頭の顔に向かって刀を振るおうとした。

 船頭は佐助を突き放すと、返す刀でおれをなで斬り――


「あっ」

「殿!」


 だが、その瞬間不思議なことが起こった。

 船頭の刃が空を切ったのだ。


「んっ」


 あるはずの手ごたえが無く、思わずつんのめる船頭――


「なに!」


 狼狽するのも無理はない。おれと佐助の立ち位置がいつの間にかずれているではないか。


「殿!」

「こやつ、なに者――」

「切れ、切れ!」


 ただならぬ気配に気づいた家臣達が駆けつけて来た。


「待て、切るな!」


 おれは船頭を切ろうとする家臣達を止めた。


「殿、お怪我は有りませんか?」

「おれは心配ない。それよりも船頭を捕らえろ」

「はっ」


 襲撃が失敗したと悟った船頭が刀を捨てると、後ろ手にされおれの前に突き出された。


「その方、名は何という」

「…………」


 敵意むき出しの船頭はおれをにらみつけた。


「なぜおれを襲ったのだ?」

「殺せ」


 おれの問いかけを無視した船頭は、そう言ったまま目を閉じた。後は何を聞いても無駄だった。


「幸村」

「はい」

「この男はその方に預ける」

「分かりました」


 おれはトキと二人だけになるのを待って言った、


「トキ」

「なあに」

「ありがとう、助けてくれたんだね」

「ごめんね、気づくのが遅れて。事件が起こった時、私は生身の人間に転生していたでしょ。その人の感覚の範囲内でしか情報を得られなかったの。でも、あなたを転生させたのは私の責任でもあるから、死んでしまっては申し訳なかったのよ」


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