第十七話 徳川本陣を突け
左翼を守る忠恒殿の隊は忠勝隊から攻撃を受けているとの情報だったが、忠恒隊の背後にいた吉継隊がすかさず援護に入ると、今度は左横から一豊隊が突撃して来た為、敵味方の区別がつかないほどの混戦状態だとの連絡である。
「長政(浅野長政)」
「はっ」
「兵四千を率いて左翼に回れ。状況を見て忠恒殿や吉継隊の援護に入るんだ」
「かしこまりました」
豊臣本隊六万二千から兵四千を引連れて長政は出陣した。
その後忠恒殿は負傷して後退し始めたが、代わりに長政隊が割って入ると、激闘の末一豊隊は崩れ去り戦線を離脱したという。
中央付近で清正隊の前に陣を構え、状況を見守っていた忠吉隊の一部が挑発したが、清正隊は応戦しなかった。そこでその者たちが清正隊に襲い掛かると清正隊の激しい抵抗に遭って数十名が討ち取られ後退する。それを後方で見ていた秀忠が自身の隊と忠吉隊全軍に清正隊攻撃を命じたようだ。
「嘉明は、一万五千を率いて清正隊を支援せよ」
「はっ」
「安治は六千で後方に待機。状況を見て討って出ろ」
「分かりました!」
加藤嘉明は本陣の五万八千から一万五千を、脇坂安治は六千を引連れて出陣した。秀家隊は目の前の直政隊を銃撃、攻撃に移ると、数に劣る敵は徐々に後退しているようだ。
「才蔵」
「はっ」
「秀家に前に出過ぎるなと言え!」
最前線と後方では戦況の見え方が違う。総司令官は戦場を俯瞰しての的確な総合判断が必要なのだ。
「分かりました」
「それから横の清正隊が苦戦しているようなら、支援しろと伝えろ」
「はっ」
さらに正則隊は正面の秀忠の軍に満を持して突入。
だがここでまたとんでもない報告が入ってきた。なんと戦場を大きく迂回して長曾我部隊支援に向かうはずであった細川忠興隊である。それが勝手に目標を変更して徳川本陣に攻撃を加えようとし、行く手を阻まれ混戦になっているという。
「細川の奴め!」
しかし長曾我部隊と行長隊は必死の防戦を行い、増田、池田隊はそれに撃ち勝つ事が出来ず、この方面での侵攻に手間取っているようである。
そして戦線はどこも優劣がつけがたく、膠着状態が増えてきた。
「才蔵は戻ったか?」
「はっ、これに」
「今すぐ敵本隊の近くにまでもぐり込めるか?」
「必要なら私がまいります」
「ならば、徳川方の隊から、豊臣側へ寝返った隊が出たと噂を流して来い」
「それでしたら、お任せください」
才蔵は不敵に笑い、おれの前から姿を消した。
やがて徳川方の軍から寝返った者が出た、との情報が飛び交ったため、徳川本陣の周囲を固める大名たちに動揺が走る。中には早くも離脱しようとするものまで現れる始末。家康はそれを鎮めようと手を尽くすも、なかなか収まらない状態だと才蔵は知らせて来た。
――よし、勝負だ――
「勝永、兵二万を率いて徳川殿本陣を突け」
「はっ」
「幸長、一万五千を率いて、勝永の邪魔をする者どもを蹴散らせ!」
「はっ!」
「殿」
「才蔵は何処だ」
「殿!」
家臣が何度も声を掛けてくる。
「なんだ!」
「そんなに兵を出したら、殿を守る者が居なくなります」
確かに勝永と幸長が出陣したら残りの兵は三千も無い。行長の残していった兵二千も後から支援に行かせてしまったからである。
「分かっておる。才蔵、安治に戻って来いと連絡せよ」
「分かりました」
だがこの時点で家康本陣突入のチャンスが来たと、そればかりに気を配っていたからなのだが、やはりおれの周囲が手薄になり始めているのを甘く考えていた。
豊臣本陣の守備が極端に薄くなっているのを見た伊達の別動隊が、急襲して来たのだった。
「殿!」
「佐助」
「早くお逃げ下さい」
だが、もう遅い。既に周囲は数千の伊達隊で埋め尽くされている。それに対してすでに動ける味方の兵は五百か千に減っている。
「くそおっ!」
おれは始めて刀を抜いた。
佐助も刀を構え、おれの背後に居る。他におれを守る者は三好清海入道、弟の伊佐入道、由利鎌之助に根津甚八だ。
三好清海入道は真田十勇士の一人として数えられる巨漢の豪傑で、その顔は黒鉄のように黒光りして、髪はぼうぼうと伸び放題である。弟の三好伊三入道と共に固い樫の六角棒を振り回して敵兵を次々となぎ倒している。
「デアッ」
繰り出された槍の先をかわした清海入道はその兵士の首を片手で掴み、めりっとねじり倒した。
どさりと重い音がする。
「フンッ」
突き下ろした樫の六角棒が顔にめり込むと、哀れなその男は絶命する。引き抜いた棒の先からはぽたぽたと血が滴っていた。
それを見た十人余りの兵士が清海入道を押し包んでいるが、誰も前に出ようとはしない。
「情けないのう。それでもその方らは男か。来ぬのなら儂の方から行くぞ」
そこに、
「兄者!」
「おう」
「何を遊んでおられる」
弟の伊佐入道が現れると兵士たちはさらに動揺する、雲を突くような入道が二人になったのだ。
兵士を指揮する侍大将が躍起になっている。
「ええい、掛かれかかれ、束になってやってしまえ!」
やっと決心がついたのか、兵士たちが槍を突き出してきたが、皆腰が引けている。
「しゃああっ!」
入道の影二つが動いた。縦横無尽に回り続ける二本の六角棒は、次々と兵士たちをなぎ倒して止まることを知らない。周囲にうごめく、骨を折られて横たわる兵たち。そこに、
「とおおっ!」
勇ましい掛け声と共に動いた者が居る。さすがは侍大将である、清海入道に真っ向から切り掛かって来たのだ。しかし、
「うりゃっ」
「ぐっ」
無慈悲な六角棒がうなると、大将の首が直角にへし折れた。
そして混とんとしてきた戦場を大股で歩き、辺りを窺うようにして現れたのは槍を片手の由利鎌之助である。実在した人物であって、鎖鎌を得意とし槍の名手ともされる。当初は真田昌幸・幸村親子の命を幾度と狙っていたが、後に幸村の人柄に惚れ、以後は家臣として仕えている。
「清海殿、殿はどちらに?」
確かに殿の姿が見えないではないか。その時、
「殿!」
言いざま敵雑兵の首を横薙ぎに断った荒武者が姿を現した。海賊の統領であったとも伝えられ、豪胆な太刀を振るう事で知られる根津甚八である。だが皆で探すが、どこにも殿の姿が見当たらない。
「しまった、殿を見失ったぞ」
「佐助はどこだ。一緒に居たはずだ」
その頃おれはもう夢中で重い刀を振り回していた。
敵雑兵の槍が迫って来る。
思わず目をつぶりそうになるが、佐助がその槍をすんでのところで逸らしてくれた。
「佐助」
「殿」
「くそ!」
おれは目の前の敵雑兵に向かい刀を突き出したが、刃先が甲冑にあたりすべって逸れる。そこに横からまた新たな槍が突き出されてきた。
「ぐっ!」
おれの兜がゆがんで落ちそうになり前が見えない。ずるっと上げると、突き出されたはずの槍が見えず、いつの間にか周囲に味方が増えている――?
「佐助、大丈夫か?」
「殿」
幸い傍に居た佐助も無事のようだ。だが後から後から限なく掛かって来る敵兵。
「ちくしょう!」
残された体力を振り絞って刀を振るうも、また次の槍が迫って来る。
次第に刀を持ち上げられなくなり、その後はもうどうなったのか分からない。情けないことに佐助を守る事もままならず、敵兵に槍で頭をぶん殴られ、ひっくり返って気絶した……
「殿!」
「……ん?」
「殿、気が付かれましたか」
四・五人の者に身体を抱え上げられ、運ばれているのは分かったが、その後の記憶がない。
目を開けると家臣達がおれを見守っている。才蔵をはじめ、三好清海入道、弟の伊佐入道、由利鎌之助に根津甚八の姿も見える。
「どうなった?」
「幸村殿はまだ戻られませんが。黒田殿が先ほど――」
「勝ったのか、負けたのか、どっちなんだ!」
その後幸村や才蔵、次々と戻って来た家臣達の話から戦況が見えてきた。
まず、豊臣本陣が伊達隊に囲まれているのに気づいた島左近隊が一番に駆けつけ、敵を蹴散らし、左近はおれの周囲を取り巻いていた敵雑兵どもを鬼のような形相でなで斬りにした。
さらに安治も戻ってくると付近にいた伊達隊は壊滅状態、残兵はちりぢりに逃げて行った。
徳川軍本陣を目指した勝永隊は、秀家隊や清正・幸村隊が戦っている横を突き進むと、家康本陣の前に立ちはだかる前衛隊と銃撃戦を開始。ここでは幸長の鉄砲隊が威力を発揮したが、互いに撃ち終わると敵将は槍を振るって反撃するも、その場で討ち死に。
勝永隊の快進撃はここから始まった。左右から出てきた敵部隊も必死に防戦するが壊滅させ、徳川勢の第二陣に襲い掛かる。
首を切られる者、貫き通される者、組み敷かれて喉を切られ落とされる者らで辺りは地獄の様相が屏風絵のようになっている。
「首なんぞ取るでない。掛かれ!」
徳川勢の二陣を怒涛の勢いで下した勝永の号令で、次は家康の親衛隊でもある第三陣に攻撃を加えた。待ち構える精鋭部隊はさすがに奮戦し猛反撃をしてきた。だがこれもやはり勢いに乗る勝永隊の相手ではなかった。そしてついに徳川家康本陣に突入していこうとする直前、家康殿らしき者は辛くも家臣達に守られその場を脱したようである。
徳川軍側から豊臣軍側へ寝返った隊がいるとの虚報が徳川方の内を駆け巡り、浮足だって混乱状態だったという事もあるだろうが、阿修羅のごとき勝永の奮闘ぶりは見事であったようだ。ただ家康殿は逃げる際、影武者らしい者を四方に逃がしたため後を追う事が難しかった。勝永は家康殿を取り逃がしたと分かった時、両膝を屈して、刀を握ったこぶしで地面を殴りつけ悔しがったという。勝永隊のあまりにもすさまじい活躍ぶりに、行動を共にしていた幸長隊の出る幕はなかったとまで言われた。
ただ豊臣本陣で敵を防いでいた家臣達がしきりに不思議がった事がある。殿が敵雑兵の槍に囲まれ、これは最後と思われる度に、何故か味方の兵の中に移動していたと証言する者が多くいたのだ。殿はまるで竜神様にでも守られているようだったと。
おれはそれを聞いて、
「そうか、いや、分かった」
トキがやってくれたのは明らかだった。すぐトキに礼を言いたかったのだが、こんな大勢の見守る前では……
おれは小声でそっと言った。
「ありがとう、トキ」
その後は家臣一同の活躍にねぎらいの言葉を掛けた。
だが、ただ一つ、忠興隊の命令違反だけはこのまま何も言わずに済ますわけにはいかない。
「細川殿はおられるか?」
「はい」
忠興が神妙な顔をして前に出て来る。
「その方、自分が何をしたのか分かっておるのか。重大な命令違反をしたのだぞ」
「…………」
細川忠興は天下一気が短い武闘派と言われるが、利休が切腹を言い渡された時、見舞いに訪れた数少ない大名だったとの逸話もある。
おれの詰問を受けて、素直に頭を垂れてしまった。
「戦場での命令違反は、打ち首であろう」
「――――!」
周囲の家臣達はかたずを飲んで見守り、幸村などは今にも声を出しそうになっている。
「だが、父上から羽柴姓を与えられたほどの者を打ち首はしのびない」
「…………」
「忠興」
「はい」
「次の戦ではその方に先陣を命ずるゆえ、その際は十二分な働きをせよ」
「はっ……」
忠興は再び頭を深く垂れた。
と、そこまでして、ハッと周囲を見回した。
「どこだ?」
「殿」
「何処に行った?」
「殿、どうされました」
「佐助は何処だ?」
家臣どもが互いの顔見回している。
「佐助は何処なんだ!」
その大声にやっと幸村が応じた。
「殿、佐助ならあそこに控えております」
大勢の家臣たちの後ろで、神妙に座っている佐助が居るではないか。おれはすぐ声を掛けた。
「佐助、ここに来い」
家臣達から一斉に見られた佐助が下を向く。
「どうした、佐助、ここに来い」
「佐助、殿のお傍に行きなさい」
幸村が助け舟を出してくれた。
やって来た佐助に、
「佐助、大丈夫だったか?」
「はい」
また下を向いてしまう佐助だ。そこには刀を構えた佐助とは違う彼女の姿があった。
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