第十五話 後藤又兵衛
徳川や伊達軍の侵攻具合が気になっていたが、通信手段は早馬か狼煙くらいしかない時代だ。
今は待つしかない。
「才蔵がまいっております」
「よし、通せ!」
「はっ」
数々の修羅場をかいくぐって来た者なのだろうが、忍びの棟梁とは思われない静かな物腰でおれの前に進み出た。
「報告いたします」
「様子はどうだ。伊達軍は?」
おれは身を乗り出すようにして聞いた。
「伊達軍の戦意は非常に高く、駿府城は包囲されました」
「……かなり早い進軍だな」
才蔵の報告では、先発した伊達政宗率いる部隊が東海道を南下して駿府城攻略を開始した。駿府城主は池田輝政であり五千の兵士で守っている、比較的小さな駿府城は力攻めも不可能ではない。降伏するよう働きかけたが応ずる様子は無いと言う。だがこのような城を攻めあぐむのもあまり意味がないと思われたのか、それを裏付けるように、家康殿より通り過ぎろと指示が出されたようだ。
そのため伊達軍は一部の隊を封じ込めに置いただけで先に進み始めたということであった。
城主池田輝政は伊達軍の帰順勧告は無視して徹底した籠城策を取り、討って出ようとはしなかった。しかしながら、次にやってきた徳川の大軍の前にはついに抵抗を断念、家康の説得に応じて降伏・開城した。
「という事は、伊達軍はもう掛川に着いている頃か」
「はい、そのように先ほど報告が有りました」
駿府城から掛川城までの道のりは約六十キロだから、二日ほどの行程だと考えられる。
「幸村、又兵衛を呼べ」
「はっ」
後世の評判でも、又兵衛(後藤 基次)は大坂城五人衆の一人に数えられた英雄豪傑だ。大阪夏の陣では到着したばかりの徳川軍に対し、援軍もなく敢然と立ち向かって行ったヒーロー。徳川、豊臣両軍が全力でぶつかろうとしている今、その初戦を飾るにはふさわしい武将なのだ。
「殿」
四四歳になる又兵衛はおれの前に出ると、片膝を曲げ腰を下ろして会釈をした。
「又兵衛、数は分からぬが伊達軍の一部が二俣城前を通ってくると思われる。そなたは先発隊として真っすぐその方面に向かってくれ」
「承知しました」
「大軍とは見せぬために、幸村の兵を後から行かせる。単独では討って出るなよ。敵が居たらいったん引け」
「分かりました」
後藤又兵衛隊は三千八百である。おれは振り返って幸村を見た。
「幸村」
「はっ」
「兵四千を連れて又兵衛隊を支援せよ」
「はい」
「二俣城まで目印になるようなものは無いので、集合場所も決めにくい。又兵衛隊を見失わないようにしろ」
「承知しました」
「勝永はおるか」
おれは家臣たちを見まわし声を掛けた。毛利勝永、史実では道明寺や天王寺の戦いで、徳川の大軍に果敢に立ち向かうと、縦横無尽の活躍をした若武者だ。あの勇猛な黒田長政を感嘆させたという。
「はっ、これに」
「そなたは三千を引き連れ、幸村隊と行動を共にせよ」
「かしこまりました」
一度戦に出てしまえば、あとはその軍の指揮官の裁量に任せることになる。ここは三人の力量を信ずることにしよう。
その後、長曾我部殿には左翼から、島津殿には右翼からの支援をお願いした。こうして押していけば敵は天竜川を背にすることになる。まだどうなるとも分からないが、状況の優劣を少しでも確かなものとしておきたい。
「才蔵」
「はっ」
「伊達軍は二俣城前を通ったか?」
「まだ一部の隊だけのようです」
「伊達全軍が川を渡り終える前でも逐一報告せよ。その後は二俣城方面の戦況報告もだ」
「かしこまりました」
この時点ですでに掛川の城主増田長盛が寝返ったのは明らかになっていた。
「ふう、腹がへった」
「殿、握りが出来ております。佐助」
「はい」
「殿に握りと汁を用意せよ」
「かしこまりました」
「…………」
食事を運んできた佐助に聞いてみた。
「そなたの名は佐助なんだな」
「はい」
「男のような名前なんだが……」
「わたくしは生まれてすぐ男の子として育てられました」
「そうか」
よくみれば佐助は端正な顔立ちをしており、トキも言ったが確かに綺麗な容貌ではないか。おれは初めて佐助の横顔をまじまじと見た。
だがおれの視線にうつむく佐助の様子をみて、これ以上の詮索はしない方が良いと感じた。この戦国の世だ。女の子として生まれ、どんな目に遭っているか分からないからな。
夕刻前には才蔵から前線の状況報告があったのだが、それはおれの予想を超えた凄まじいものだった。
先行していた後藤又兵衛隊三千八百は伊達の先発隊と遭遇する。
又兵衛隊は予定通りすぐに引き返すも、伊達軍は素早い動きで又兵衛隊の追撃を開始、戦いが始まってしまう。
望まぬ形で開戦、鉄砲を撃ち込まれた。
又兵衛隊もすかさず銃口を向けて追い払い、自軍の秩序を守ろうとする。さらに後方の幸村隊らとの合流を目指して、周囲の敵を振り切ろうと決死の攻撃を加えた。すると思わぬ又兵衛隊の猛反撃を受けた伊達隊の先陣が一気に壊滅。
それを見て勢いを得た又兵衛はなおも攻撃の手を緩めなかったため、伊達隊は混乱状態に陥り、前線の敵将が討ち死にする。
しかしほどなくして新手の伊達隊が到着。結集して来る東軍先鋒の無数の旗で周囲が埋め尽くされてしまう。戦況を睨むように見回す又兵衛の険しい眼光と岩のような体躯から発するオーラは、数々の修羅場を潜り抜けてきた強者に他ならないものであった。
又兵衛隊の兵士達は結束が固い、史実でも道明寺の戦いで又兵衛が倒れた後も、家臣はもとより一兵卒に至るまで全員が戦い抜き死んでいったのだ。
合戦場では、目まぐるしく状況が変化し、思いがけぬ事態が生じる。それを一瞬にして見極め、判断して決断をしなければならない。戦では敵に背を向ければ負けるのは必定である。猛然と追い打ちをかけて来る敵軍を押し返すことなど出来ず、ますます勝ち目はない。
隊は孤立していた。下手に退却すれば敵に背を向け、却って危険な状況になる。又兵衛は突き進むと決断する。
「皆の者、覚悟は良いな」
「元より死ぬ覚悟で御座います」
「命を捨てる所存」
家臣たちは毅然と返した。
「いや死中に活を求めるのは戦の常、命を粗末に捨てるでない」
さらに周囲を見回した又兵衛は大音声を発した。
「これより敵陣を切り抜けて前進する!」
目の前の軍勢を突破すれば、必ずや活路はあると又兵衛は考えていた。
「かかれえ!」
「ウオオオ――!」
又兵衛隊の猛攻に相手の隊列が乱れると、さらに突入して接近戦で敵を倒していく。遠州の山河に銃声が轟き、鬨の声が上がり、叫び声と共に次々と血飛沫が広がる。
味方の銃口も一斉に火を噴いた。累々と横たわる屍を乗り越えてくる勇猛な敵兵には鉄砲隊が鉛球を食らわせる。その弾幕を突き抜けさらに進んでくる者どもを又兵衛は次々とのどを刺し、殺し、首を刎ねた、と今度は死角から別の兵が飛び出して突きを放ってきた。次の瞬間には鋭利な剣先が無防備な又兵衛の首筋を切り裂くに違いない。絶体絶命と思われたその時、一発の銃声によって救われた。眼前の兵がどこかを撃ち抜かれてその場に崩れ落ちたのだ。誰が撃ったなど確かめている暇はない。さらに新たな敵が現れた。又兵衛は大上段に振りかぶった刀を振り下ろした。ガキッと跳ね返されたが、敵がよろめいたところに体当たりを食らわせる。甲冑を着込んだ敵には刀で切り付けても無駄だ。首回りやわきの下など隙間を狙うしかない。組み伏せて敵の喉を切り裂きとどめを刺した。
しかし又兵衛隊は行き詰まっていた。背後からも鉄砲を撃つ音が聞こえる。完全に挟み撃ちとなっていたのだ。
鉄砲を撃ち込まれるごとに数人ずつ味方は数を減らしてゆく。もはや進み行く場所は皆無である。さらに何人かの兵を倒したが敵は引かない。しかしここでやっと幸村や勝永らの後続部隊が到着し始めると状況が変わる。敵はその増大した豊臣方軍勢の圧力に抗しきれず、ずるずると後退し始めやがて潰走するに至った。
「追うな、戻れ」
又兵衛隊は既に壊滅的な被害を受けている。それでも引いて行く敵兵を見て果敢に追いかけようとする味方兵士である。引き留めた又兵衛も銃撃され負傷していた。
幸村や勝永隊の到着が遅れ、逆に伊達軍の新たな鉄砲隊など、数倍以上となった周囲の敵に対し、又兵衛隊の全員が満身創痍となりながらも突撃を継続したため、大打撃をこうむる乱戦になってしまったのだった。だがやっと駆け付けた幸村隊が又兵衛を危機から救い出した。
「又兵衛殿、遅くなってしまい申し訳ない!」
地面に刀を突き差して杖とし、血だるまになって仁王立ちの又兵衛は幸村から声を掛けられ、ニヤリと笑った。
さらには長曾我部隊が左方向から、島津隊が右から攻撃すると挟み撃ちとなったため、伊達隊は総崩れとなり敗走を始めた。
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