第十三話 猿飛佐助

「幸村」

「はい」

「諜報活動をしている者を呼べ。それからこの絵図を描いた者もな。どのような者らか一度会っておこう」

「分かりました」



 おれが幸村に促されて部屋に入ると、二人の者が頭を下げている。


「面を上げるがよい」


 おれの前でひれ伏している二人の、片方に声を掛けた。


「名は何という?」

「才蔵と申します」


 身なりは粗末だが、しっかりした体躯で眼光鋭い男がもう一度深々と頭を下げた。


「この者は霧隠才蔵、忍びの頭をしております」


 幸村が言葉を添えた。


「うん、そうか」


 そうなのか、この男が才蔵なのか。もちろん真田十勇士の一人である。十勇士は真田幸村(史実では真田信繁)に仕えたとされる十人のキャラクターだ。

 おれは歴史の冒険小説を読むようなわくわく感を感じながらうなずき、次に隣の者に目をやったのだが、なぜかその華奢な身体つきに違和感を覚えた。黒髪は後ろで束ねているが、この時代は男でも長い髪は普通にあったから別に変では無い。だが、


「その方の名はなんと申すのだ?」

「佐助と申します」


 顔を上げ、透き通るような声で答えた。


「そなた……、女子ではないか!」

「はい」


 そう言いながら大きな黒い瞳で見つめてくる。おれはなぜかドギマギしてしまった。この女性がまさかあの有名な……、猿飛!


「佐助とは……、あの猿飛佐助なのか?」

「さようで御座います」

「えっと、歳は、あ、いや分かった、うん」

「…………」


 何が分かったのか、支離滅裂な言葉を発してしまった。その後は何を話したのか、まったく覚えていない。幸村にこっそり聞くと、この女子はおれと同い年だった。


「佐助は絵図を描いております」


 幸村の言葉でおれはやっと冷静さを取り戻した。


「そうか、この絵図はそなたが描いたものなのか」

「はい」


 おれは何とか会話を続けようと考え、


「では佐助」

「はい」

「この二俣城の周辺をもっと詳しく描いて来てはくれないか?」

「…………」


 おれは佐助に絵図の一角を指で指示した。

 家康の嫡男信康が切腹させられて、非業の最後を迎えた城としても知られる二俣城は、現在の静岡県浜松市の北方で天竜川と二俣川に挟まれた場所に建てられている。大軍が遠州の地を東から西に横断する際には重要な地点になるはずなのだ。


「ただし、ここは重要な軍略地点だからな、敵方に疑われる事のないように注意せよ」

「分かりました」




 年が明けて、徳川と伊達が同盟を結び、戦の準備をしているという情報が幸村の手の者からもたらされた。


「やはり来るか」

「はい」 

「佐助が持ってまいりました」

「佐助……、よし、通せ」

「はっ」


 江戸からの情報は得た者から直接聞きたいと幸村に言ってあった。

 佐助は懐より取り出した書き物をおれに差し出す。



 徳川家康  

 徳川秀忠 

 本多忠勝   

 松平忠吉  

 井伊直政  

 山内一豊  

 伊達政宗 



「戦の準備をしている大名たちは、このような顔ぶれとなっており、この他にも何名かいるようです」

「動員された兵はどの位か分かるのか?」

「詳細は分かりませんが、運び込まれた兵糧から、十五万ほどになるかと」


 答える佐助の黒い髪はきれいに纏められている。


「……なるほど」

「ただ……」

「ん?」

「家康殿、秀忠殿、政宗殿にそうとう厚い兵の増員となっていると思われます」


 佐助はよどみなく答えた。


「分かった。ご苦労であった。下がるがよい」

「はい」

「あ、……えっと、それから」

「…………」


 振り返った佐助がおれの顔をじっと見ているのだが、呼び止めてしまってから、何を言おうか考えている自分に気が付いた。何か言わなくては、といって、こんな時に個人的な事を聞くわけにもいかない。だいたいおれはもともと女性の扱いが得意ではなかった、というかどちらかというと苦手だ。戦国時代の女性を前にしてもそれは変わらなかった。


 実はおれの親友にめちゃくちゃうらやましい男がいて、そいつには常にとんでもなくかわいい子や美人が寄り添っていた。特別イケメンと言う訳でもなく、金持ちでも無いのに何故かもてまくっていたのだ。自他ともに認めるプレイボーイだが、ある時そいつに聞いてみた。


「おまえ、なんでそんなにもてるんだ?」

「聞きたいか?」

「もったいぶらないで教えてくれ」


 そいつは飯を奢ると言う約束で教えてくれることになった。


「だったら天秀(てんひで)だな」

「はっ?」


《歴史と伝統を受け継ぐ江戸前天ぷらの真髄をここで……》それが店のキャッチコピーであった。毎朝築地に出向き、吟味した江戸前のネタを中心とした天ぷらを提供するという高級店だったのである。


「おまえねえ、調子に乗るんじゃないよ」

「嫌なのか。嫌なら嫌でいいんだぞ」

「……分かったよ。その天秀とかでいいんだな。そのかわり、努力と根性だなんておちは許さないからな」


 十二種類の天ぷらやお刺身、小鉢、一品料理など豊富に楽しめる贅沢なコースがお一人様一万千円。


「ちょっと、お前、なんだよこれは!」

「何が」

「何がじゃないよ、たかが昼飯にお一人様一万千円だと」

「しょうがないだろう、もう予約をしてしまっているんだ」


 これで明日から当分は昼飯カップラーメン一個だな。


「それで、お前の秘密は何なんだ?」

「まずは天ぷらを食ってからだな」

「この野郎!」

「分かった分かった、そうカッカするな」


 やっと口を開いたそいつの話によると、まずは男と女の違いを知らなくてはならないと言う所から始まった。とりあえずは気に入った子が居たなら声を掛ける事だ。あるいは何らかの好意を示すだけでもいい。黙って見ているだけな奴は最低で、下手すると気味悪がられるだけであると。

 さてここからが重要で。一度だけ声を掛けて無視されたり嫌がられたら即こちらも無視をする事。それも徹底的にだ。一旦好意を示したのに無視されたら次からはその子の存在が全く目に入らないかのごとくに振舞うのだ。怒ったらだめだ。怒るんじゃない、その女の子が視野から消え去るのだ。この世からその子の存在が消えて無くなるほどに徹底する。

 これでほとんどの女の子は気になり始める。自分に好意を示した男が今度は完ぺきに知らん顔だ。此れは受け身な女の子には堪える。何故って感じで今度は逆にその男が気になり始めるというのだった。



 おれへの報告を終え下がって行こうとする佐助を呼び止めたが、結局話すべき事が見つからず、


「あの、いや、いいんだ」

「…………」

「下がっていいぞ」

「はい」


 退室して行く佐助の後姿をずっと見送っていたのだが、背後にふと感じた人の気配。

 振り返ると――


「うわ!」

「は?」

「幸村、そなたいつの間にまいったのだ?」


 幸村が目を丸くしておれを見ている。


「なにをおっしゃる。私は最初からここにおります」

「え、あ、そうだったか」

「…………」


 ――佐助に個人的な事を聞かなくってよかった――


 おれはことさらに平静を装い、佐助から受け取った書き物を幸村に渡す。


「豊臣側の大名達にはすぐ書状を送ろう」

「すでにこのように準備いたしております」


 幸村は用意してある目録をおれの前に差し出した。


「わが方の軍はこのようになるかと。浜松など遠州の諸城にも増員を促せばと存じます」

「うん、三成や利家殿にはまた大阪の留守居をお願いするのだな」

「そのようにすればよろしいかと」

「そうしよう」




 豊臣秀矩  六万八千。(島左近、浅野長政、加藤嘉明、脇坂安治、浅野幸長、毛利勝永)

 真田幸村  一万五千。

 後藤又兵衛 三千八百。

 小西行長    六千。

 宇喜多秀家   二万。

 細川忠興    五千。

 大谷吉継  三千六百。

 加藤清正    六千。

 黒田長政    七千。

 長曾我部盛親  八千六百。

 島津忠恒   千六百。

 福島正則    七千。浜松城主

 増田長盛    四千。掛川城主

 池田輝政    五千。駿府城主

 総数   十六万六百。



「徳川方が情報通りの十五万なら、ほぼガチの戦になるな」

「がち……?」


 幸村との付き合いも長い、この頃になると、おれが次に何を言い出すのかと興味津々で待ち構えているようである。


「幸村」

「はい」

「すぐ訓練を始めるぞ」

「…………」




 豊臣直属の軍を従えた幸村はじっとおれの顔を見ると、次の指示を待っている。

 おれの背後には僧体の豪傑三好清海入道と弟の伊佐入道、槍を持つ由利鎌之助と剣豪の根津甚八が護衛に付いているのだが、佐助の姿は、……無い。




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