第十二話 「政宗殿が出て来たのか」


 おれは十二歳になり、江戸遠征の後、前後が逆のような気もするが元服をした。ただし断固として拒否した儀式というか、風習がある。

 月代(さかやき)だ。頭の真ん中を剃るのだけは止めさせてもらう。もしもそんな頭で現代に戻ったら、とんでもない事になるではないか。現代風の断髪にすると、家臣たちが何やらささやいていたが、知ったこっちゃない。おれは開き直った、ファッションの決め手は差別化であると。戦国時代のそれはきらびやかな甲冑であり、戦装束であった。戦場ではだれよりも目立つ事が肝心である。見方によっては現代よりも皆がキラキラと輝いていた時代でもある。没個性とは正反対の生き方をしていたのだ。

 そして鶴松改め豊臣秀矩(とよとみひでのり)、これが新しい名前となった。

 おれの前に両手をついて祝いの言葉を述べる母上に、ちょっぴり寂しい気がするのは隠せなかった。

 何しろ三歳の時にはこの美しい母上の胸に抱かれ、これ以上の幸せなどあるものかと感じていた日々を昨日のように思い出すからだ。

 今は八歳になった秀頼が母上の傍に居る。幼名は拾丸(ひろいまる)である。


「拾丸」

「はーい、兄上さま!」

「おっ、元気がいいなあ」


 おれは拾丸の片方の手を上に挙げさせると、


「いいか、こうしておれの手と合わせるのだ、パチッとな」


 ハイタッチを教えてやった。


「ハローハロー」

「ハローハロー!」

「よし、それでいい」

「朝起きたときは、オハッーオハッーだ」

「オハッーオハッー!」


 だが、後ろでは母上が微妙な顔つきでおれを見ているが、かまう事は無い。


「変なことを教えないで下さい」

「いや、これが新しい日本の挨拶なんだ」

「…………」






 江戸遠征から帰って来た当初、納得のいかない撤退だったと見え隠れしていた不満の声も、しだいに聞かれなくなった頃だった。

 おれはこれから豊臣の取るべき道にどう関わっていったらいいのか漠然と考えていた。歴史好きなおれがただ興奮しているだけではいられなくなってきた。幸村や秀家などはもちろん、他の重臣達の期待を感じてしまうと、その責任の重さを思わずにはいられなくなったのだ。

 だが政治や経済といった事柄に携わるには、素質というものが必ず必要に違いない。おれはたしかに未来を知っているし、その情報量はこの時代の者と比べたら比較にならないだろう。

 だからと言って本当にそのおれがこの時代の政治や経済に参加できるのか。IT業界の知識は若干あるが、他には何の実務経験も無く、はっきり言って聞きかじった程度の情報では危うい限りだ。

 そんな事を思いめぐらしていた時、


「殿」

「ん?」


 目を上げると幸村が来ていた。


「お耳に入れたい事柄が発生いたしました」

「なんだ?」

「江戸からの情報ですが……」

「家康殿が何か始めたのか」


 江戸城攻撃以来、徳川家内部の諜報活動は徹底せよと命じてある。


「伊達政宗殿が家康殿と度々会われているようです」

「なに政宗殿が?」


 史実では大阪冬の陣で家康殿は七十一歳。その二年後、七十三歳で亡くなった。

 養生のせいか、秀吉が亡くなった六十一歳と比べてかなり長生きをしたようだ。

 関ケ原の戦いでは、つまりおれが江戸城を攻撃した同じ年なのだが、徳川家康五十七歳、伊達政宗三十三歳だった。それからもう三年の月日が流れようとしている。

 家康殿はともかく、政宗殿はまだ若い。気力も野心も満ち満ちているに違いない。このまま何もせず中央を遠くに眺めた地で、無為に歳月を重ね朽ちていくとは思われないのだ。


「政宗殿が出て来たのか」

「そのようです」


 おれはまだ家康殿に比べ若いからとのんびり構えていたわけではないが、うかうかしてはいられなくなりそうだ、

 先の戦では、徳川討伐軍に参加するようにとの書簡にも、はっきりした態度を示さなかった男だ。江戸城攻撃が始まっても日和見を決め込んでいた政宗殿だが、数千丁の鉄砲を所有すると言われる伊達家が徳川と合わされば、豊臣方にも侮れない勢力となる。

 伊達政宗の言葉に「物事、小事より大事は発するものなり。油断するべからず」というのがあります。

 文字通り大事は小さなミスから生じるものである。だから油断するなという意味ですが、現代で言えばヒヤリハットという言葉で表されるでしょう。建設現場や、医療や福祉、介護の業界内では人身事故などを防ぐために必要な概念として広まっています。小さなミスが積もり積もってやがて大事に至るという統計からも割り出された教訓です。ですから小さなミスの内に取り除く工夫を重ねてゆけば、人身事故などの危険度は低く抑えられるという事です。

 戦国時代は合戦などの華々しい活躍が脚光を浴びるが、家康なども地道な努力を重ねてあの偉業を成し遂げたのでしょう。政宗もそのような事は分かっていたと思われます。


「しかし政宗殿が出てきたとなると、もう経済どころではなくなるな」

「は?」

「いやこっちの話だ」


 おれは話題を変えようと、幸村に家康殿からの返書を見せる。


「またこのような返事が戻って来たのだ」

「…………」


 何度か家康殿には大阪に来るようにと手紙を出しているのだが、そのたびに慇懃無礼な断りの返事がくるのみであった。


「もはや家康殿は大阪に来ることなどないでしょう」

「そうだな」


 おれは言いたくない事をつい口に出してしまうのだった。


「やはりまた一戦交えるしかないのか」

「はい」


 わずかに目を逸らす幸村。表情からはにじみ出てくる、だから先の戦いで家康をつぶしておけば良かったものを。


「…………」


 今度はおれが黙る番だった。

 実はこれまでおれは虫のいい話を夢想していた。

 家康殿自ら大阪にきて謝罪をするのなら、助命する代わりに徳川家は改易して江戸城を豊臣方へ明け渡させる、江戸無血開城の案はどうだろうかと考えていたわけだ。主君を襲撃殺害しようとしたのだから、それでも寛大な処置だろうと。

 福島正則や加藤清正、細川忠興といった豊臣の武闘派と呼ばれる武将たちも、慶長の役が回避されたため三成とさほど悪い関係でもない。だからあえて徳川方に寝返ることもなかった。江戸城が抵抗なく無血裏に明け渡されるのなら、豊臣の権勢は盤石なものとなるのだが。果たしてそんなにうまく事は運ぶんだろうかと考えていたが、やはり世の中そうは問屋が卸さないようだ。

 江戸からの情報では、家康殿と政宗殿が度々会っているという。あの二大勢力がそろって豊臣勢に立ち向かってくれば面倒なことになる。

 何をしようとしているのか。

 家康殿は既に六十一歳。秀吉の亡くなった歳まで来ているのだからこの時代ではもう最晩年ともいえる。もっと若ければ決して軽はずみに動くことはないだろうが、焦りはあるはずだ。政宗殿と共に軍事行動が出来るのなら、必ず江戸を出てくるに違いない。

 徳川家は内部に問題を抱えている。秀忠殿とその弟・松平忠輝殿の仲は険悪、政宗殿は未だ天下取りの野望を捨ててはおらず、忠輝殿を擁立して反旗を翻すことも懸念される。一枚岩などではないのだ。家康殿は自分の代で決着を付けたいはず。

 自身の老いと残された寿命、そしておれ秀矩の意外な実行力とを照らし合わせ考えると、彼はどこかの時点できっと勝負に出てくる。江戸での籠城戦などもうしないだろう。徳川家がこのまま手をこまねいて何もしなければ、数年の後には豊臣の天下が盤石なものとなるのは火を見るより明らかなのだ。


「幸村」

「はっ」

「遠州の地図はあるか」


 幸村は怪訝な表情を浮かべた。


「ちず?」

「あ、いや、絵図だ」

「御座います」


 先の戦で勝ち取った城はそれぞれ新しい城主を決めていたのだが、こうなると徳川勢との最前線の意味合いが強くなってくる。だが駿府城は江戸城の約六分の一位で、掛川、浜松城はそれに比べると更に小さな城であった。一時的な防衛拠点にしかならない可能性が高いのだが、それでもそれぞれの城に戦に備えた改築を命ずる必要がある。


 福島正則 浜松城主、

 増田長盛 掛川城主、

 池田輝政 駿府城主となっている。


 広げられた絵図を見ると……

 と言ってもおれが慣れ親しんでいた地図とはかけ離れている。墨で描かれた大雑把なものだが、慣れるしかない。たとえ現代の地図がここに有ったとしても、川の状況等はこの時代の絵図の方が正確かもしれないのだ。

 絵図には東に駿府城、中央に掛川城、そして西に浜松城が描かれている。掛川城を挟んで流れているのは天竜川と大井川だ。

 この絵図上の何処かが次の戦場になる。

 おれは幸村の視線を感じながら、さらに西の三方ヶ原を見つめた。家康殿が武田軍と戦い大敗を被った戦場である。浜松城からは一五キロほど北北西に位置しており、なだらかな見晴らしの良い丘がどこまでも広がっている。

 家康は織田方の加勢を含めた一万余りの軍勢で浜松城から撃って出た。しかし双方の軍勢ははっきりとは分かっていません。資料にある軍勢の幅が大きすぎて実際どれだけの数だったのか。いずれにせよ相当な兵力差であったのは確かなようです。しかし武田軍は家康が追撃してくるのを待ち構えていたのではないかと思われます。丘の上から浜松城方面は見下ろす感じになり、家康軍が攻めて来るのは一目瞭然であって、迎え討つ絶好の状況となります。そしてやはりと言うか、武田軍の死傷者二百人に対し、徳川軍は二千人もの被害を出す惨敗となります。武田信玄の方が戦上手だったようです。


 おれは絵図を見つめて確信していた。浜松城主だった彼はこの地に土地勘があるはずだ。遠州での戦いに異存はないだろう。いずれにせよこの遠州平野のどこかが家康殿との決戦の場となるに違いない。

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