第九話 陣中見舞い


「殿、道を封鎖している兵より連絡で御座います」


 表門での戦闘以来ほとんど動きのなかった陣に、秀家の家臣がやって来た。


「どうした?」

「商人が城に届ける物資を運んで来たとのことですが、いかがいたしましょう」

「これに通せ」

「はっ」


 豊臣軍も大阪から商人や大工を連れてきている。兵が雨露をしのぐ小屋を建てることから、市場まで開こうとするつもりなのだ。それにしても、おれは自分の言葉使いの変化に笑ってしまうのだった。

 連れてこられた商人が誰に向かって話したらよいのか、おれを前にして戸惑っている。


「商人とはその方か?」

「……あ、……はい」


 荷車を兵士が曳いているので、振り返りながらしきりに気にしている。

 だが、おれを見た商人は、今にも口を開けそうになった。

 なんだこれは、一人前に戦装束をした子供じゃないかと怪訝な顔で見下ろしている。

 おれはちょっとしたいたずら心を出し、傍に行くと、現代言葉で聞いてみた。


「おじさん、何運んできたの?」

「…………」

「食料とか?」

「…………」

「武器や弾薬とかはだめだよ」

「…………」


 他の重臣たちは遠巻きにして見ているだけだ。困り切っている商人をみて、笑い出しそうになってしまったので止めることにした。そして言葉を改め、行長を手で招きながら、


「江戸城と同じ値段で購入してやろう」

「それは構いませんが……」


 おれはまだ戸惑っている商人から、行長に言って、すべての品を過不足ない値段で購入してやった。


「それから大阪方の商人と話をしていってくれ。これからはもっと繁盛するからな」


 代金を手にした商人は、


「ははあ、それは有難いことで」


 戦が始まるという噂を聞いて心配しながら来てはみたようだ。だがやはり兵に行く手を阻まれ、どうなることかと思っていたらしい商人はほっとした様子で帰って行った。


「よし、戦が始まらないのなら、今度は逆バージョンだ」

「…………?」

「幸村」

「はい」

「商人達に言って、食料と酒を用意させよ」


 大阪からは潤沢な資金が運ばれてきている。数台の荷車に用意させた品を乗せ、表門に向かわせた。兵士は同行しないで商人だけを行かせたので城内からは撃ってこない。門の前ではしばらく押し問答がつづいたが、やがて門が開き、荷車は中に入れられた。

 そして翌日、


「幸村」

「はい」

「今日も用意せよ」

「はっ?」

「陣中見舞いだ」


 そしてさらに翌日も、


「幸村、用意せよ」

「殿――」

「よい、攻めぬのなら緩和だ」

「はあ……」


 幸村はまだ納得いかない様子であったが、おれはこれ以上城攻めをする気はなかった。何よりも城内にいるだろう婦女子を危険な目に遭わせたくない。秀吉と親子二代で残虐な城攻めはしたくなかった。そんな豊臣の歴史にしたくなかったのだ。

 包囲する兵士たちの乱暴狼藉略奪は固く禁じ、連日に及ぶ商人たちの活動を助けた。そして敵軍から毎日届けられる食料と酒に、城内に居る徳川家以外の大名達の兵士からはしだいに敵愾心が無くなり、戦闘意欲が失われて行くようだとの報告が有った。食料が乏しくなれば敵も必死になる。だがその恐れがしばらくなさそうだとなれば士気も緩んでくるだろう。もちろん商人に扮した真田の手の者からの情報である。

 ただしその差し入れられる食糧は決して十分な量ではない。長期にわたって籠城が続けば、逆効果ともなりうる。おれは城兵の動向にある微かな望みを抱いていた。

 


 包囲も半年を過ぎ、ついに徳川方では厭戦気分が広まっているとの情報が入っていたころ、


「殿、城内より使者がまいっております」

「なに、使者と、通せ」

「はっ!」


 使者は徳川方に組した一大名の家臣だった。


「そうか皆国に帰りたいと申しておるのだな?」

「さようでございまし、なにすろ残してきた田畑がすんぱいだと……」


 使者は深々と頭を下げた。


「兵は何人ほどおるのだ?」

「六〇〇名ほどおりまし」

「分かった。自由に帰るが良い」

「え、帰えすていただけるので――」

「ただし武器を全て置いてな」

「有難うございまし」


 遂に望んでいたものが来た。おれは出ていこうとする者達は自由にさせた。


「幸村」

「はっ」

「だれか城内にもぐりこませ、帰りたいものは自由に帰れると噂を流してこい」

「分かりました」


 やがて次々と帰国を願い出る大名が現れると、食料まで持たせ帰してやる。最後には徳川だけになってしまったようだ。


「これで流れは変わったな」

「…………」

「家康殿ももう大きな顔をして表舞台に出てはこれないだろう」

「はい」

「さてと、今度はおれ達の番だな」


 幸村がじっとおれの顔見ている。


「帰るぞ」

「は?」

「大阪に帰ると申しておるのだ」

「あの、ではこの戦は――」

「もう終わりじゃ。これ以上あのたぬき、いや家康殿を苦しめる気は無い」

「…………」


 豊臣方の軍勢は島津など遠い地域の大名から順次帰国することになった。

 だが、


「なに!」

「城攻めを止めて帰るだと」

「何故だ?」


 福島殿や細川殿が怒りの声を上げた。


「そんな馬鹿なことがあるか!」

「豊臣殿は何を考えておられるのだ」


 この遠征に参加していた全ての大名から、身内の者まで驚きと不満が渦巻いていた。戦に勝てば恩賞にありつけ、運が良ければ領地を増やせる。このまま撤退しては全くただ働きではないか。


「それでは一体何のためにここまで来たのだ」


 一介の兵士までもが、略奪などのうまみを我慢して付いて来ているのだ。それをなんの見返りもなしに帰るというのか。福島殿などは、怒りのあまり刀を抜かんばかりの勢いで抗議をして来た。


「兵士へのいい訳も出来ないだろう」

「世のいい笑い物ではないか!」


 幸村は身体を張って、荒ぶる者どもを押しとどめている。


「若、いったい何をお考えなので御座る!」

「若君!」


 日本一短気な武将として名の知れた細川殿などは、本気で刀を抜こうとまでしている。


「細川殿」


 幸村が必死で止めているが反対の声を上げるのはその二人だけではなかった。おれの周囲を十重二十重に遠方より遠征してきた大名やその家臣達が取り巻いてしまう。三好清海入道は弟の伊佐入道と共に、由利鎌之助も根津甚八も手を刀に添えておれの前に立ちふさがる。

 不穏な空気だ。


「皆さんの気持ちはよく分かります。だがこのまま城を攻めれば大変な被害をこちらも受けます。それに徳川殿からは、江戸領以外の土地全ての既得領有権を完全に手放すとの覚書を受け取りました」

「えっ!」

「そこで私はひとまず矛を収める事にしたのです」


 皆はもちろん幸村も唖然とした顔でおれを見ている。


「徳川殿が既得領有権を手放すだと」

「いつの間にそのような……」

「あの、若君は、……それで納得なので御座るか?」


 福島殿はまだ不満そうに言って来る。細川殿も同じく憮然とした顔をしている。


「それにしても撤退する事は無いでは御座らぬか」

「示しがつかないでは……」

「しかし、それでも撤退とは……」


 だが、さすがに秀吉と共に戦って来た武将たちだ、豊臣の意向に反旗を翻すわけにもいかず、皆不承不承に帰って行く。

 幸村が改めて聞いて来た。


「殿、覚書とは一体――」

「幸村」

「はい」

「嘘も方便だよ」

「…………」


 だがそれでも幸村は不安を声に出した。


「江戸城内からの追撃は無いでしょうか」

「それは無いと思うよ。あの家康殿はそれほどばかじゃあない」


 幸村にも言いたい事はあったのだろうが、おれの命令なのだ。身を全うして君に仕うると自身を戒めたのか、後は言葉をつぐんだ。

 そして最後に残ったおれ達の軍も引き上げが始まった。もちろん先発した大名達にもゆっくり行くように言ってある。いざという時は全軍戻れるようにだ。

 しかし江戸城の包囲を解き、撤退を始めると、秀忠殿の軍と思われる一群が追撃して来た。

 一方豊臣方しんがりとして待ち受けているのは幸長の狙撃隊だった。十分引き付けたのち一斉射撃して後退。そして後ろにまた別の鉄砲隊が居る、という具合に次々と新手の銃口が並んで、向かってくる敵は散々に撃ち倒された。さらに五千の攻撃隊を繰り出して、敵を追い散らそうとした。だが今度は秀忠も抜かりはなかった。


「伏兵だ!」


 攻撃隊が伏兵に行く手を遮られると、次は秀忠の指揮する追撃隊が豊臣側の隊を押し包んで来た。


「引け!」


 豊臣方はかろうじて逃げ延びるが、ここで逃げる隊と入れ違いに突撃してきたのが、前もって打ち合わせをしてあった福島隊と細川隊であった。思わぬ乱戦に秀忠の軍が後退を始める。


「幸村」

「はっ」

「福島殿と細川殿に敵を城門まで追い詰めろと伝えろ」

「分かりました」


 撤退と思わせて攻撃に転じたのだ。もちろん最初からこれを狙っていたわけではない。追撃が無ければそのまま撤退する予定でいた。だが追撃して来た以上は反撃が最大の防御だ。再び包囲と思わせて、また福島隊と細川隊には撤退を指示した。結局逃げ帰った敵軍は、二度と追撃して来なかった。大阪に帰る途中に駿府、掛川、浜松城の新しい城主も決め、見上げると雲一つない青空に鳶がゆっくり舞っていた。

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