第六話 家康が乗り込んで来た

 おれが広間に出ていくと、家康殿は笑みを浮かべて足を止め、


「これは若君様」


 居住まいを正し、ことさら丁寧に頭を下げて見せた。


「家康殿、このように大勢の家来を引き連れて何事ですか?」

「若君様、私は秀吉様より後の面倒を見ろとの指示を受けております」

「…………」

「従ってこれより、ここ大阪城で執務を執り行おうと参りました」


 外交の場では引いたら相手の言い分を認めたことになり、負けが確定する。最後まで殴りあうのが当然の駆け引きでもある。たとえカラスは白いと言い始めたとしても、引いてはならない。こちらの主張を最大限に言い尽くすのだ。相手の気持ちを汲むとか、その場の空気を読むとか、勝負の場ではありえない選択肢である。

 淀殿とおれが大坂城で政務をせよと言うのが、秀吉の遺言であるはずだ。秀頼はまだ五歳であるのだが、おれは十歳で、この時代では無理をすれば初陣にも出られる。ましてやこの鶴松の脳は歴史を知っている成人男性のそれであり、すでに家臣達をまとめ上げている。

 ここは勝負だ。おれは不退転の決意で目の前の家康殿を見上げ、腹に力を込めて答えた。


「家康殿、いま大阪城の主は私で御座います。どうか伏見城にお戻り下さい」

「…………」


 家康殿はしばらく思案したようだが、顔をわずかにゆがませ、無言で帰って行く。思わず幸村が後を追うそぶりを見せたので、


「幸村」


 振り返る幸村に、おれは首を振り、咎めるのを止めさせた。どんなに無礼な素振りをされようと、今は事を荒立てる時ではない。おれは幸村と共に、家康殿を静かに見送った。

 だが他にも秀吉の死後、悩み事が出て来た。この時代の人の心情を考えたら、無駄使いとまでは言えないが、全国の神社仏閣を再建・修復などに莫大な金を使おうとする淀殿を、おれは幸村と共にいさめた。おれだけの意見で淀殿を説得するのは難しかったのだが、前もって幸村に言い含めてあったので、なんとか出費を抑える事が出来た。

 しかし遺言の解釈に関してはつばぜり合いが続いている。老練な家康殿とおれとでは技量が違いすぎるのだが、さすがに鶴松の前では彼も慎重にならざるを得ないのだろう。だから五大老の筆頭である家康殿と、おれとの力関係は微妙でいつまでもぎくしゃくしていた。何しろ鶴松はまだ十歳を過ぎたばかりなのだ。公に出て家康殿に意見をするのは難しい。

 そして家康殿はかまわず生前の秀吉から禁止されていた大名家同士の婚姻を行い始め、伊達政宗の長女と自分の六男・松平忠輝となど婚約した娘たちは全て養女とした。

 さらに細川忠興や島津義弘、増田長盛らの屋敷にも頻繁に訪問するようになった。こうした不穏な動きに、大老・前田利家や五奉行の石田三成らは反発と不信感を強めていく。


「若君の御幼少なのをいいことに……」

「いさめようでは御座いませんか」

「いやここはまだ事を荒立てない方が……」

「おのおの方が動かぬというのなら私一人でも――」


 特に石田三成などは不穏な動きを見せ、家康暗殺計画まで有るとの情報が飛び交っていた。


「殿」


 幸村が声を掛けてきた。


「やはり噂通りに、三成殿の家康暗殺計画が進行しておるようで御座います」

「そうか」


 身辺の不穏な空気を知ってか知らずか、家康は節句の祝いに大坂城の鶴松・秀頼・淀殿母子のもとを訪れるようだ。ところがそれを知った三成が家康暗殺の計画を進めているというのであった。加担する者は前田利長、土方雄久、大野治長、浅野長政という面々である。土方雄久と大野治長、浅野長政らは利長と利害関係にあり、彼らは三成と共に大坂城内で家康を暗殺しようと目論んでいるという。


「幸村」

「はい」

「家康殿はそれを承知しているのであろうな」


 幸村は怪訝な顔でおれを見た。


「殿はなぜそのような事まで……」

「幸村」

「はい」

「おれにも有力な情報元があるのだ。いずれその方に話す時がくるだろう」


 何故か暗殺計画を知った家康は、ただちに重臣を集めて対応を協議した。結果、伏見城から軍勢を呼び寄せ警固を万端整えて登城を予定どおり行うことにしたのである。


「幸村」

「はい」

「暗殺計画は予定通りに実行させるぞ」

「えっ」

「三成らは好きにさせておけ」

「…………」


 家康が無事に重陽の節句を終えれば居所を伏見から大坂城西の丸に移しやすくなり、新たに天守を築く口実にさえなる。家康が豊臣家の懐というべき、大坂城西の丸に居所を移すことは、自らが秀頼と並び立つ存在であることを天下に知らしめる事になる。それは何としても避ける必要があるのだ。


「六郎」

「はい」

「爆弾を大量に用意せよ」


 おれは六郎に命じて爆弾を伏見と大阪城の中間あたりの地中に、一定間隔を置いて団子状に敷設させた。陶器に火薬を入れ、導火線に道の端から火を付ければ順に全てが爆発するようにしたのだ。


 やがて家康の籠を警備した軍が進んで来る。おれは変装して幸村らと共に離れた場所から見ていた。


「まだだぞ」

「…………」


 トキに頼むほどの事ではない。六郎は道の端で潜伏させて、後は点火のタイミングを見計らっていた。そして軍の半分ほどが通り過ぎ、家康を乗せた籠が爆弾の埋設場所に近づいたその時、


「今だ、幸村放て」

「はっ」


 合図の飛火炬(とびひこ)と呼ばれる黒色火薬を詰めた火矢を放させた。

 六郎が導火線に火を点けると、籠の前面で大音響と共に火柱が幾つも上がり、兵士が何人か犠牲になったが仕方のない事である。軍団は大混乱となり籠を取り巻いて周囲を警戒していたのだが、その後は何も起こらない。

 三成らの暗殺計画は空振りに終わったが、慎重な家康も大阪城の訪問を取りやめて彼の計画は頓挫してしまう事になった。



 その後も豊臣の重臣や大名達のあからさまな反感を感じてか、さすがに親子で一緒に居ることの危険性を考えた家康殿は、秀忠殿を江戸に返すことにしたようだ。


「それで、まだ秀忠殿は出立していないのだな」

「そのようで御座います」

「よし」


 幸村から報告を得たおれはことさらに少人数の家臣を伴い大阪城を出た。伏見城に居る家康殿親子の鼻先を通り、鷹狩りと称して北東に向かい非常にゆっくり歩いている。大阪城から伏見城まで行く途中にある一休寺とも呼ばれる寺、酬恩庵(しゅうおんあん)で一泊しての、物見遊山のような行動だ。この情報は必ず伏見城に届いているはず。



「掛かってくるかな」

「うまくいけばいいのですが」

「家康殿はともかく、秀忠殿の性格を考えるとな。今がチャンスなんだ」

「ちゃんす……」


 そう言いながら、幸村がおれの顔を見た。酬恩庵で一泊した後、出立して北に向かう道中である。危険だと反対するこの男を何とか説得しての計画だ。周辺には百姓に変装した幸村の手の者たちを潜伏させている。この機会を逃がすと……


「殿!」

「ん」

「来ました」

「やはり来たか」


 周囲の背を超える雑木の隙間から、覆面をした侍が数人見え隠れしている。人数はこちらの約二倍。瞬く間におれの周囲を手練れの家臣達と三好清海入道、伊佐入道、由利鎌之助、根津甚八らが囲んだ。


 ――来い――


 おれは腹の内で叫んだ。

 もちろん刀は怖いから、用心のため服の下には鎧帷子を着こんでいる。重たいが、緊張感から今はそれを全く感じなかった。来るのなら秀忠殿の家来だろう。それも家康殿には内密だろうから大勢ではこれないはずだ。


「よし」


 すぐ刀を抜いたのだが、幸村に諭された。


「殿、それはお仕舞下さい。かえって危険です」

「……そうか」


 無理もない。おれは十歳。子供に刀は危険すぎる。


「殿のおそばを離れるな」

「はっ!」

「はっ」


 おれの感は当たった。倍とはいっても敵も少人数だ。小鳥も息をひそめる静寂が辺りを支配している。刀を抜く音だけが不気味に聞こえ、後はじりじりと間合いを詰めてくる。冷汗が出てくるが、覚悟を決めたその直後である。

 敵の動きに動揺が見えた。周囲をいつの間にか取り囲んだのは刀を手にした百姓、いや真田の家臣からえり抜かれた腕の立つ者達だ。双方とも無言のまま切り合いが始まり、時折鋼の触れ合う金属音が響いた。しかし劣勢をさとったらしい賊が逃げようとしたのだが、結局おれには一太刀も振るうチャンスがないまま何人かが捕らえられ、引き立てられて行くことになった。覆面の襲撃であったが為、城内から追手は出てこない。


「殿のおっしゃる通り、うまくいきました」

「そうだな」

「では急いでまいりましょう」

「うん」


 賊は秀忠殿の家臣であることを白状した。やっと家康殿にしっぽを出させ、つかんでしまった。その後直ちに江戸へと逃げ帰った親子。秀忠殿には家康殿の雷が落ちただろう。

 なんとか家康の期待に応えようとしていただろう秀忠なのだが、そのたびに空回りをしてしまっていた感じがする。戦国の世では武力の優れた者が頭角を現して、秀忠のような者は日の目を見ない。しかし武勇や知略での評価は乏しく武将としての評価は低かったが、江戸幕府の基礎を固めた為政者としての手腕を高く評価する意見もある。家康もやがて天下が統一されて太平の世となれば、秀忠のような者の時代が来ると見通していたのではないか。


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