第五話 秀吉の死
鷹狩りは非常に面白いものだ。猛禽類の鷹が人になつくのではなく、共同で獲物を獲るという言う感じだな。鷹は獲物の鳥を見つけると、いったん高く舞い上がり、翼を縮め三角翼のようにしてスピードを上げて体当たりをする。攻撃を受けた鳥はほとんどが気を失い、きりきり舞いして落ちる。鷹の羽は見た目以上に頑丈で、猛スピードで体当たりを食らったらその衝撃は、バットで殴られたくらいだろう。
その鷹にも個体差が有って協力的なものから、いつまでたっても妥協しないものまでさまざまである。物言わぬ鷹ではあるが一度信頼関係を築けば主の手足のように動く。それに鷹狩は原野を歩き回るので辺りの地形を調べるのに最適なゲームだ。
おれも盛んにやるようになり、幸村と共に大阪城周辺の河川など地形を調べ始めた。特に伏見城の周囲から東の地域を念入りに観察した。
史実で秀吉は晩年伏見城と大阪城を行き来していたのだが、転生したこの世界では、家康殿を五大老の筆頭として伏見城に住まわせていた。
おれの知っている歴史とは微妙に違う。それはそうだろう、なにしろ慶長の役という大事件が回避されたんだ。その後の歴史が変わってしまうのも無理はない。そう考えるとおれの発言や行動は重要な意味を持ってくる。
そして今一番の問題は、目の前に居るじいさまだが……
「鶴松」
「はい」
「家康殿の言う事に逆らってはならぬぞ」
「…………」
おれがどんなに異才ぶりを発揮しようと、家康の力にはかなわぬと見ているのか。だが、別な日には、
「鶴松」
「はい」
「家康殿だ、ゴホッ、あの者を信用してはならぬ。お前はまだ若い……、わしが、もう少し、若ければ――」
「父上、私が居る限りは――」
「そうだ、家老どもに今一度……、ゴホッ、鶴松、皆を呼べ」
確かに秀吉は老いた。失禁さえし始め、もはや家康殿を頼るのみ。豊臣の敵になりうる男との認識も、抗う気力も全て失われて行くようだ。
やがて発言も意味をなさなく成り、妄想によるのか狂気さえ帯びて来た。
「鶴松!」
おれは秀吉の声に起こされた。
「父上、どうなされました」
「戦じゃ、支度をせい」
「…………」
「あれはどこに行った」
「何のことですか?」
「おかしいな」
「今は夜半で、皆寝ております、戦の話はまた明日にでも――」
「おかしいなあ」
すでに昼と夜との区別も出来ない。おれを鶴松と認識しているのかさえ定かではないのだ。
「若君様!」
お付きの者が顔色を変えて走り込んできた。秀吉が暴れていると言うのだ。
急いで秀吉の居室に行くと、髪振り乱した秀吉が刀を抜いて振り回しているではないか!
「危ない、父上、お止めください!」
おれは皆を下がらせると、近づかないように指示した。無理に止めない方がいい。やがて疲れたのか静かになった。刀を取り戻しやっと寝かせる。
やはり時間はあまり残されていない。
何処までもなだらかな緑の丘が続いている。その丘陵を見渡すおれの傍に、鷹匠と幸村が控えている。
「小次郎」
「…………」
「小次郎」
「鷹の名を小次郎としたのですか?」
「そうだ」
鷹狩りでおれは鷹に呼び掛けた。その大きく丸い目は、今にも飛び立とうと、しっかり遠くを見つめている。
「何が見える、小次郎」
「お前の目に獲物が見えるのか?」
「ん?」
「どうだ」
「敵はこの先に居るのだろう?」
「そうだな。この先におれたちの敵が潜んでいるのだ」
伏見城からさほど離れていない原野だ。幸村は傍にいてじっとおれと小次郎の会話を聞いている。
「いずれあ奴にしっぽを出させ、掴んでやる」
「それまでの辛抱だぞ、小次郎」
おれは鷹と共に伏見城の方角を見据えた。
城に戻ったおれは周囲に人の目が無いのを確認すると、見えないトキに向かって話しかけてみた。
「トキ、聞きたいことがあるんだ。出て来てくれないか」
「なあに」
やはりそうだった、思った通り、どうやらトキは常におれの傍に居るようだ。
いつもの事でこそばゆい。
「あのじいさまの事なんだけど」
「…………」
「亡くなる日は変わらないんだろうか?」
「なぜ?」
おれがこの時代に来た影響なのか、その後の歴史は知っているものとは変わってきている。パラレルワールドという言葉は知っている。過去に移動するとそこからは元居た世界とは別な世界が始まるというものである。だがここでやはり疑問が生じる。四百年前に転生して鶴松になり活躍するというような話はよくある展開だが、その世界が元の世界とは別なのならば、じゃあ四百年ではなく一時間前ならどうなるのか、いや、一分前なら、さらにゼロコンマ一秒前ならば。これでは無限に異なる世界が続いてしまうではないか。やはりあり得ないだろう。とは言っても、そんな事を言い出していたらこのお話は続けられない……
「いや、おれがこの時代に居ることで歴史が変わるのなら、秀吉の命日も変わるのかと思ったんだ」
「あのおじいさんの死因はいろいろあるみたいだけど、結局は老衰なの」
「…………」
「それはあなたが居ようと居まいと変わり無いことよ」
「じゃあじいさまの命日は――」
「変わらないでしょう」
そしておれが九歳になったうだるような暑い夏の日、ついに来るものが来た。秀吉の死だ。史実では伏見城で亡くなった事になっているのだが、この時代では大阪城であり、おれも住んでいた。
父上の枕元に座るおれの視線の先には、あの狡猾な老人の姿がある。神妙な顔をして周囲の者と話をしているが……
その姿は陰謀をめぐらす古だぬきとしかおれには見えなかった。多くの者が家康殿に何やら話しかけている。冷たくなった秀吉の枕元に座るおれはたった九歳の幼子である。そんなおれを全く無視して、中には笑っている者さえいるではないか。家康はそのような者を手で制するような仕草をして慇懃に振舞っている。
「幸村」
「はい」
「家康殿の身辺は抜かりなく見張っているだろうな?」
「万全の手配を致しております」
「よし」
おれは家康自身の身辺だけでなく、誰が家康に近づいて行くのかをも調べさせていた。
そして秀吉の死後、内大臣の家康殿が朝廷の官位でトップではあったが、鶴松が成人するまで政事を託すとの遺言が問題になった。託されたのだからと、当然のように采配を振るおうとする家康殿と、他の重臣や大名達との軋轢は激しいものとなった。
遺言では五奉行は収入を決済したら、徳川家康、前田利家の両人に確認を求めるように。様々な内容について徳川家康、前田利家の意見を聞き、その意見に従うようにと述べている。五大老の合議制ではなく、実際は家康と前田利家の二頭体制だった。
家康は伏見城で政務を見るように。また天守に上がりたいと言う場合は自由に案内すること、とも述べている。だから秀吉は徳川家康に天下の政務を預けると言っていたというのが家康の言い分であった。
また家康は公儀に楯突く意図はない、それをあたかも政権簒奪のように言うのは讒言だ、と主張している。細川忠興と森忠政に加増や移封した例も、推挙ではなく独断と言えるだろう。私的婚姻も少しずつ遺言を無視し、骨抜きにして周囲の出方を伺っている。
こうして秀吉の死後、月日が経つにつれ遺言の拘束力は曖昧になっていった。
「殿」
「幸村、何か有ったのか?」
幸村が少し緊張した顔で現れた。
「家康殿がまいっております」
「なに、家康殿が」
家康殿が大勢の家臣達を引き連れ、おれと淀殿が住まう大阪城に乗り込んで来たのだった。
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