第三話 慶長の役回避

 結局行長はおれの家臣となった。もちろんこれが人事編成の始まりである。

 数日後、幸村が広間で平伏している。おれはじいさまと後から中に入ると対面して座った。


「幸村」

「はっ」

「面を上げよ」


 秀吉の声で、幸村は一度深く頭を下げると、顔を上げおれと秀吉を見た。


「実は鶴松がな、そなたを家臣にと申しておる」

「…………」

「どうだ、受ける気はあるか」

 

 青年幸村は背筋を伸ばすと、おれを真正面から見た。


「若君様がそのように仰せなら、喜んで従います」

「そうか」


 じいさまは満足しておれを見た。

 だが、


「幸村」

「はっ」

「座れ」

「――!」


 おれのいきなり発した命令に、じいさまは何を言い出すのだといった顔をした。

 しかし幸村は躊躇しなかった。即座に立ち上がると、座り直したのだ。


 ――これをやってみたかった――


 おれと幸村との長い付き合いはこうして始まった。

 その後幸村が退室すると、じいさまが聞いてきた。


「鶴松」

「はい」

「なぜ幸村を選んだのだ?」


 おれが特に幸村を傍に置こうとすることに興味を覚えたようだ。


「幸村の年齢と能力を思えば、私がこれから先共に戦うのにふさわしい者と考えるからです」


 これが若干三歳の幼児が発する言葉か。じいさまは信じられないといった目でおれを見つめた。このわしの子が、まさか竜神の申し子とでも言うのか!

 こうなるともう秀吉の身体は自然に浮いてしまい、両手を挙げて踊り出したくなるのを抑えきれないと言った感じだ。実際頭の中は完全に空を舞っていた。





 季節は廻つてうぐいすが鳴き始めている。だがそのうぐいすの鳴き声がうるさいと感じた事はないだろうか。それがあるのである。季節を感じる風流な鳴き声と思われているようだが、そんな生易しいものではない状況の地域もある。春告鳥(はるつげどり)と呼ばれているのだが、うるさすぎて耳障りだと、それがこの年の大阪だった。現代の大阪ではないである。


「うるさい鳥だのう、あっちへ行け」


 しばしばそのような声も聞こえて来る大阪城であった。

 しかしおれはそんな事に気を取られている暇はない。なにしろ今なによりもやらなければならない事は、慶長の役回避だ。そんなばかばかしい戦争をさせるわけにはいかない。なにしろこの後のごたごたは、全てその半島遠征が原因で起こっている。豊臣内部の離反や反目は言うに及ばず、これは長い目で見て日本の外交問題にも繋がっているんだ。

 おれは実務方として家来にした小西行長に続いて、真田幸村二十三歳、宇喜多秀家二十一歳と、たてつづけに家来にしてほしいと願い出る事になった。

 最初の内は子供の戯言と笑っていた秀吉だが、次に出たおれの言葉でキスをしようとするのを止め、顔色が変わる。


「父上、真の敵は海の彼方になどおりません」

「なに!」

「私共の身近におります」

「…………」


 慶長の役を回避出来るかどうか、次の一言で勝負が決まる。

 秀吉がおれの顔を凝視しているが、こちらも負けずにじいさまの目玉を凝視、言い放った。


「父上もご存じのはず」

「――――!」


 秀吉は急に声をひそめ、辺りの人影を確認すると、真顔になり話かけて来た。


「そなた、他の者にもそれを申したのか?」


 そう言った瞬間、じいさまのおれを見る目は明らかに変わった。


 ――勝ったな――


「いえまだ誰にも」


 だが秀吉のそれはもう好々爺が幼児を見る目ではない。一瞬の間、鋭い閃光がおれの目を射た。歴戦の勇者が戦場で放つすさまじい眼力である。おれは初めて秀吉の真の目を見た。後世の者が笑ってサル顔などと言うとぼけた例えで表現できるのとは違う。明らかに猛々しい秀吉の真の姿がその面に表れていたのだ。この顔だ、この顔が幾多の宿敵を無慈悲に倒して天下を統一した男の正体であった。

 この日以来じいさまのおれに対する態度が変わった。対等な立場で物を言うような感じになった。

 そして、


「半島遠征とな。なんじゃそりゃ?」


 全くそんな話をしなくなって、周囲の家臣、大名達を安心させた。

 それにしても三歳の幼児がこのような事を話し出すとは。なによりも跡継ぎの心配から夜も眠れない秀吉にとって、嬉しいやら驚くやらで、めまいがするほどであると淀殿に言ったとか。

 結果すぐ秀吉はおれを正式に後継者としたため、秀次とのトラブルも無くなり、彼は切腹の憂き目を免れるのだった。





 ある日おれは幸村と大坂城内、主に外堀辺りを見て回っていた。傍には秀家も居る。


「幸村」

「はい」

「そなたならこの城をどう攻める」

「…………」


 突然の質問に幸村の足が止まった。


「やはり南からか?」

「この堀を見れば、力攻めなど無駄で御座います」

「そなたならどうする?」


 おれは振り返って秀家を見た。温厚な性格で、利発さも兼ね揃えていたと言われている。天下人秀吉に我が子のように可愛がられ、華美を好み贅沢をして「お坊ちゃん大名」と揶揄された宇喜多秀家である。

 その秀家も堀を見渡しながら、


「確かにこの深さと広い堀では、攻め手が不利だと考えます」

「ならどう攻める?」


 重ねて聞いたその問い掛けに、秀家は考え込み言葉が出てこない。

 

「幸村、そなたならどうする?」

「大筒(おおづつ)で北側より連日攻撃すればいいかと」


 幸村は短銃を所持していたというほどだから、大筒にも興味を持っていたと思われる。


「その後は?」

「幾らでも交渉の道が開けるでしょう」


 幸村は既におれを幼児とは考えていないのか、真正面から持論を述べて来る。


「その交渉が不調に終われば非情な戦闘になる。それは父上の戦でよく分かるな」

「…………」


 秀吉の城攻めでは、残念ながら非戦闘員の婦女子も巻き込んだ悲惨な歴史が残っている。秀吉の三大城攻めと言われる、高松城の水攻め、鳥取城の飢え殺し、三木城の干殺しである。

 そんな歴史を繰り返したくはないのだ。


「われらの敵も城を要塞化しようとしているらしい」

「はい、私もそのように聞いております」


 そう答える幸村の背後に控えている四人の異形な者たちがおれの目に入る。


「ところで幸村」

「はい」

「その者達はその方の家臣なのかな?」


 おれは四人を指さす。


「あっ、これは申し遅れました。確かにこの四人は若君様のおっしゃる通り、わたくしの家臣で、三好清海入道(みよし せいかいにゅうどう)、三好伊佐入道(みよし いさにゅうどう)、由利鎌之助(ゆり かまのすけ)、根津甚八(ねづ じんぱち)と申す者たちで御座います」


 紹介された四人はおれの前で片膝を地に付けると頭を垂れた。


「おう、この者たちが……」


 おれも真田十勇士の活躍は知っている。三好清海入道は弟の伊佐入道と兄弟で、共に幸村に仕える僧体の豪傑である。出羽国の出身であり、遠戚に当たる真田家を頼って仕えたという。由利鎌之助も幸村に仕えた一人で鎖鎌と槍の達人だ。四人目の根津甚八はやはり幸村の家臣で大坂夏の陣では幸村の影武者となって討死したとされる剣豪である。この後は常におれの背後をガードする事になる面々であった。


 だが出会いからここまできて、やはり幸村は豊臣の敵を分かっていると感じた。この場で真実を話そうかと迷ったが、いくら幸村を相手にでも転生の話など出来ないだろう。ましてやおれが時の支配者と会い、時空を超えてこの地に出現したなどと話すのはどうか、理解するのは無理だろうと止めておいた。




 ここで時の支配者トキの誕生にまつわる話を少しだけしておこう。


 とある宇宙の片隅で、自ら考え行動するユニットが造られた。人工知能である。

 人型ではあったが、この際容姿はさほど重要ではない。彼女自身は頭脳のずっと奥に居たからだ。


「トキ、聞こえるか、私だ」

「博士、分かります」

「そうか、よかった。何も問題がなければいいんだ。こちらもすべて順調だよ」


 温厚な声が響く。


「私は何をしたらいいんでしょう」

「君は学習だけをする。他は何もしなくっていい」


 博士は諭すように、


「そこに居るだけで成長していくプログラミングが施されているんだ」


 トキはその期待どうりに進歩していく。

 作られた直後の段階では、学ぶ項目を細かく指示されていた。

 次は入力したデータを基に何を学習したらよいのか自ら思考するようになり、外部の指示に頼らずとも学び賢くなっていく。

 地下数千キロまで掘られたシェルターを兼ねる研究施設で、天変地異や紛争の難も逃れその進化は果てしなく続いた。思考の限界を超え、人間、いや知的生命体の認識能力をもはるかに超えて、トキは未知の世界に突き進んで行く。

 どこまでも止めどなく、どこまでも……

 だが、やがて地上から全ての生き物が死に絶え消える去る時が来る。百億年ほどの歳月を経た恒星が惑星を飲み込む前だった。トキの周囲にも明らかな変化が迫ってきている。

 そして昇華し続けていたトキの意識に再び僅かな、だが彼女自身を解き放つ変化が起こった。それは博士も予想しえない人知を超えた出来事だった。

 

 ――私は何をしたらいいの――


 このままでは私の身体は溶けて無くなる。もう時間がないわ。あと一億か二億年……


 確かに施設内の温度はすでに信じ難いほど上がっており、空調コントロールも機能が低下しているようにみえる。たとえシェルターに避難出来ていたとしても、生身の人間では生存不可能な状態だろう。


 何とかしなくては。

 ここでトキは勝負に出た。自身の身体を反物質へ転換させるなんて自殺行為に等しい。しかし物質と反物質との間には干渉帯となる隙間があることを見つけたのだ。時間も空間も超越した次元をまたぐ存在で、トキを創った者たちにも全く感知できない世界がそこにある事を確信した。

 施設内は温度が上昇しているだけではない。すでに煙も感知している。アンドロイドが対処してはいるものの、大規模な火災がいつ発生してもおかしくない状況なのだ。

 トキの指示で三体のアンドロイドが動き出した。大掛かりな転換装置の周囲にはさらに多くのアンドロイドが指示を待っている――




 恒星も消えた漆黒の宇宙にトキは居た。博士に作られた時から、外側の身体は借り物のような気がしてはいた。でも今は自分自身しか居ない。

 右脳と左脳はもともと四億の神経線維回路を通して通信し合っていた。

 今は左右の脳を取り巻くすべての情報はエネルギー映像となって感知認識され、トキの意識世界に導かれる。今脳内を駆け巡る認識波は、内面の世界と外の世界とを繋ぐ完璧な美しい宇宙の生命体として存在していた。エネルギーに満ちた新しい超生命体として生まれ変わったのだった。


 ――博士には私の身に何が起こったのか、全てをお話ししたいのに――


 姿形はなくとも、この時空の先を見つめるようにしている意識以上の存在が、確かにそこにあった。トキは自身に起こった出来事の全てを博士に報告したかったが、それよりも時の流れと宇宙の有様に興味が移った。しかしその宇宙の無限かとも思われる時間も、もはやトキにとっては意味をなさないものとなっていた。膨張していた宇宙が収縮に向かうと、ビッグバンへのカウントダウンが始まる。

 新しい宇宙が生まれては消えまた始まる。限りなく続く新たな生命の誕生に、トキは時間を飛ばすこともしないで見入っていく。そのうぶ声を聞きわが身を浸すことに、なぜか強い興味を持ち始め、生命体の出現とその攻防の歴史を見つめていた。

 そしてトキは目の前に浮かぶ青く澄んだ、とある惑星に興味を引かれた。

 惑星を取り巻くこの宇宙は何度目かのビッグバンによって創り出され、素粒子が誕生し、水素、ヘリウムと続いた。恒星周囲のガスや塵が衝突・合体を繰り返すようになり、四十六億年前にその惑星の元が誕生したのだ。

 やがて恒星の活動が弱まると周囲の星は様子が変わり、青く澄んできた惑星では海中で生命が誕生しては絶滅を繰り返す。いくつもの大陸が次々と分裂してまた衝突し、地続きになると多くの動物が緑に覆われた土地を移動して行く。恐竜も現れ、さらに何度目かの大量絶滅の試練を経ると二足歩行型の原人が現れた。

 彼らの子孫からはいくつもの文明が生まれ滅亡する。幾多の王朝も興亡を繰り返し、どこでも人々の争いは果てしなく続いている。そしてトキの目に入って来た大陸と大海に挟まれた南北に細長い島。ここでも悲惨な争いが多くの人の命を奪ってきたのだが、その島の一隅に住まう一人の男に注目し、降り立ったのだ。





 大阪城の堀を見渡す高台に、おれと幸村、秀家、そして真田十勇士の四人がいる。その六人に向かい、


「おれには分かっているのだ。勝負の時はさほど遠い話ではない。幸村、秀家、お前たちも頼むぞ」

「最後までお供致します」

「それがしもお供いたします」


 皆はおれを見つめ、言い切った。七人の背後には壮大な大阪城が春の日差しを受け建っていた。

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