第二話 鶴松に転生。
「ユイトは秀吉に転生したいの?」
「いやちょっと待って」
体外離脱と言われてちょっとビビッてしまったが、もうこうなったらやるっきゃないだろう。
秀吉か……、もちろん秀吉には興味がある。転生したいのはやまやまなんだが、その前にまずどうしてもなっておきたい人物がいる。鶴松だ。幼くして生涯を終えたあの秀吉の嫡男鶴松には、もっと活躍してもらいたかった。
「だからトキ、おれよりも随分若い鶴松なんだが、転生出来るだろうか?」
「大丈夫よ」
「えっと、それで、わあ!」
なんという決断の速さ。これで連続三度目だ。おれを取り巻く周囲の空間がゆがみ始め、またもやめまいだ。ガスの火も点けたままだし、紅茶もあと一口飲みたかった。それとまだ他に聞きたい事が沢山あったのに……
周囲の空気が波立つように揺れ、ずれた景色が何度も元に戻るが音はしない。ふらふらする身体を維持出来なくなる感じで、膝を曲げて崩れ落ちそうになる。最近東南アジアでも解禁されたというやばい薬を体内に入れたら、多分こんな症状になるのではないか。どれだけの時間そうなっていたのだろうか、部屋の壁が回るようにゆがむ不思議な感覚、それが戦国時代へ旅立つ最初の体験だった。
まだ軽くめまいがしたまま気が付く。
だけどやけに身体が重いと思ったら布団の中に居るではないか!
これは本当に転生して戦国時代に来たのか。おれは半信半疑でそっと首を回して周囲を見ると、神妙な顔をしてうつ向き、取り囲んでいる連中がいる。全員が和服姿である。それはそうだよな、ここが戦国時代なら、現代ではないんだもんな。
それにしても布団のせいなのか、ただひたすらに身体が重い。
ついにいらいらしてきた。
「くそっ!」
と膝を曲げ、思いっきり掛け布団を蹴り上げてやる。何故か力が出ないんだが、何度かやってついに布団をずらすことが出来た。
「ああ、軽くなった」
それを眼にした、周囲を取り巻く者たちの驚くまいことか。
「おお!」
「若君」
「若様が目を覚まされましたぞ!」
「なんと、回復なされた」
もう上を下への大騒ぎ、とんでもない騒動になった。
そして血相を変えてすっ飛んできたのが、得体のしれないじいさまだった。
「おう、おう、おう」
おっと、じいさまは布団の端に足が引っ掛かり転びそうになるも、阿波踊りのようにバランスをとるとおれに飛びついてきた。
「ちょっと、やめてくれ、ヤダ」
こんなじいさまに抱きつかれるのはあまりぞっとしない。
さらにはなんとキスをし始める始末。ひげが痛いではないか。
「くそ、ヤダ、ヤダ」
しかしなんとも情けないおれの声だ。
思いっきり突き放そうとしたが全く力が出ない。
だが、じいさまともみ合っている内に、自分のバタバタとしか出来ない手足を見て、否が応でも事情が呑み込めてきた。
これはなんと、二十歳にもなるおれの身体が幼児になっちまっているではないか。幼い鶴松に転生だから覚悟はしていたが、さすがにこの小さな手足はショックである。
しかし、なんなんだこのじいさまの剛腕は!
ついに皆の見ている前でおもちゃにされてしまった……
それにしてもこのばかでかい建物は一体何だ。まるで国宝級のふすまといい、高級そうな調度品の数々。豪壮で由緒正しい寺の内部のようではないか。おれのアパートとの落差がひどすぎる。さらにじいさまにかしずく者どものなんと多い事か。このじいさまはやはり秀吉か。
おれを軽々と抱いたじいさまが長い廊下をずんずんと歩いて、広間に入る。するとそこに居並ぶ者達が一斉に平伏する圧巻の光景を目の当たりにした。しかもこのめちゃくちゃ古い、時代がかった感じの内装とここに居る連中の仕草。まるで黒沢監督の映画を観ているようではないか。
「やはりこのじいさまは秀吉だ!」
「ん、何か申したか?」
じいさまが秀吉という言葉に反応して、おれを見た。
間違いない、ついにこのじいさまは秀吉であるとおれは理解した。おれはついに鶴松に転生してしまったんだ。
「そうか、これが転生なのか。まさか本当に出来るとはな」
「何をぶつぶつ言っておる。ほれ、いずれそなたの家臣となる者達じゃぞ」
秀吉はおれを床に下ろし、前に押し出した。そこにずらっと並んで居住まいを正し、腰に脇差を差して座る侍たち。現代人のやわな顔つきとは違う、なんと眼光鋭い者共!
だが、こうなったらもうやってやるっきゃない。
ここは勝負だ、負けてなるもんか!
戦国時代で、秀吉が居て、この建物が大阪城だとすれば、次に出てくるおれの好きな武将の名は真田幸村だ。(ここは真田信繁とするところでしょうが、この作品では全て幸村で統一します)
歴史好きなおれが千載一遇のチャンスに恵まれたんじゃないか。
おれは、数歩前に出ると、皆の視線を跳ね返すように声を張り上げた。
「幸村はおるか」
一瞬しんとなった広間は、やがてざわざわとし出した。三歳児鶴松の口から、皆が思ってもいない言葉が出たのだ。
するとすぐ前に居た武士が声を出した。
「幸村殿でしたら今ここにはおられませんが、何か御用でも御有りなのでしょうか?」
「そなたの名は何と言う?」
おれは上から目線で声を出した。
「小西行長と申します」
ひげを蓄えたその侍は幼児鶴松を前に、両手を膝に当て肘を張るとかしこまって答えた。
武士となる前は商人であったが、宇喜多直家に才能を見出されて家臣として仕え、秀吉からもその才知を気に入られ臣下となっている。
「おう、そなたが行長殿か」
「あ、はい」
「今は特に用は無いのだがな……」
この突然の信じがたい会話に、広間のざわつきは一層強まった。
振り返ると秀吉が目をぎょろつかせておれを見ている。
今日の処はここまでにしておこう。おれは元の位置に戻った。秀吉も皆と同じで、口を開けたり閉めたり、言葉に詰まっていた。
暫くしてやっとじいさまから解放されると、着物だから目立たないが、今度は豊満な中年女性にバトンタッチされた。
この方はひょっとして淀殿では。だがそんなことはどうでもいい。じいさまの連続キスから解放されただけでもありがたい。そして秀吉が小田原征伐から奥羽仕置と忙しくしている間、おれは淀殿と大阪城に居た。おじんの父上と違い母上はきれいな方だった。
「むぎゅ――」
淀殿に抱きしめられたおれのハートは高鳴った、
ただし、三歳児のおれがどんないい思いをしたか、これ以上ここで深くは触れないでおこう。いずれにせよ、おれはこの時代に鶴松、幼名は棄として生きていく、そう考えて始めていた時だった。
「どう、気に入ったかしら?」
よかった、トキが話し掛けてきたのだ。このままこの時代で孤軍奮闘しなければならないのかと心配していた。おれはこの時若干気になっていた疑問を口にしてみた。何しろ聞く前にいきなり転生させられてしまったのだからな。
「あの、トキ」
「なあに」
「ところで、えっと、いつでもおれは元の時代に戻れるんだろうか?」
「もちろんよって言ってもいいんだけど、厳密には……」
「え?」
この微妙に空いた間が意味深なんだが、それが分かるのはまだ先になる。
「いえ、戻れるわよ」
若干取り繕った素振りが微妙な感じで気になったが、
「そうか、よかった」
「今すぐ帰りたいの?」
「ちょっと待って」
もちろんそれはない。たった今ものすごく刺激的な経験をしているんだ。しかも秀吉の嫡男に転生なんて、こんな結構な話はちょっとないではないか。
「あの、もう少しこの時代に居てもいいかな?」
「あなたの好きなだけ居ていいのよ」
「そうか、じゃあもう少し――」
その時おれはもう一つの疑問をぶつけてみた。
「あの、トキ」
「なあに」
「このおれは鶴松に転生したんだろ」
「そうよ」
「おれの記憶だけが鶴松の脳に」
「…………」
トキの話では確かそういう事だった。転生では自身の身体は元の世界に置いてくる。つまり記憶だけが転生先の人物の脳に入り込むコピーのようなものだと。
人の脳は三歳までに八〇から九〇パーセントも成長するという。そして歩く、話す、笑う、考えるなどの基本的な能力はほぼ出来上がっている。ただし知識や思考といった力は成人男性とはもちろん比べ物にならない。
「じゃあ鶴松の持っていた記憶や知識はどうなるんだ?」
「ユイトのそれは三歳の鶴松とは比較にならないわ。だからあなたが入って来たからには、比べても鶴松の知識などはほんの数パーセントと言ってもいいの」
なるほど、そういう事か。鶴松の行動などほとんどはおれの自由に出来ると言うのだった。
「鶴松!」
やばい、じいさまが来た!
「トキ――」
って、消えてしまった。
という訳で、おれはこの時代に鶴松として生きて行くことを決意した。
「行長、付いてまいれ」
「はっ?」
おれはいぶかる行長を連れまわった。
「あの、どちらに参るのでございましょうか?」
「いいから、付いてくれば良い」
おれは両手を大きく振ってトコトコと歩き続ける。こうしないとなかなか前に進まないのだ。そしてとある部屋にたどり着いた。
「なに、この者を家来にと?」
じいさま、いや父上は目を見開いた。大坂城の一室である。
おれと父上の前に座る小西行長三四歳、この時代ではすでに初老。戸惑ったような顔で秀吉の顔を見つめ、成り行きを見守っている。
おれは……、三歳。
周りからは若様とか若君とか呼ばれている鶴松だが、中身は二十歳の現代人でフリーターだ。かねてよりの計画を実行に移すべく、登城した行長に声を掛け、無理やりじいさまの前に連れて来たのだった。
史実で鶴松は天正十七年五月、豊臣秀吉の嫡男として生まれ。長寿を祈って「棄」と名付けた後、「鶴松」と改名された。
当時は単に若君などと呼ばれていたようだ。
しかし病弱な鶴松は三歳で亡くなり、五三歳というあの時代としては高齢な秀吉の落胆はそうとう大きかった、となるはずだったのだが……
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