episode2.5 餃子と家族
餃子と家族 1
いつもの食卓にポツンと一人、勝友が座っていた。
長方形の大きなテーブルの真ん中には綺麗な焼き色のついた餃子が並べられた大皿と、そして、一人分の小皿。
グラスに注がれたビールは泡もなく、底の方に少し残っているだけ。
妻の奈美の急な残業はいつものこと。息子の塾もいつものこと。
娘達が急に家を出て行ってしまったのは予想外ではあったが、だからと言って食事の時間を遅らせることはしなかった。
一人で食べる食事は味気ないのだが、自分の
人生を心地よく過ごすために必要なのはリズムである。家族といえども他人だ。他人のリズムに合わせて生きれば不満が生まれやがてそれが軋轢となる。自分のリズムを守ること。それが勝友の信念だった。まあ、それが他の家族にどう思われているのかは置いておいて。
それにしても、と箸の先につままれた完璧な形状の餃子を見つめて勝友は一人ごちる。
「うーむ。確かに楽だし綺麗なんだけど、面白みがないよなぁ」
瀬奈が作ってくれた餃子包みマシンは脅威的なスピードで餃子を包んだ。
餡の分量も皮の大きさに合わせて一番ちょうど良い具合だし、包み方も美しく文句のつけようはなかった。
だが、なんとなく、「こうじゃないんだよな」という気持ちが勝友の中にはあった。
その時、玄関の方で眩い閃光が走った。それが瀬奈の作り出したワームホールだということを勝友はもう承知していた。
もぐもぐと餃子を噛み締めながら耳を澄ますと、ドタバタと二人分の荒っぽい足音が聞こえてくる。
夕食の時間だというのに、出かけて行った双子の娘の帰還だ。
「パパごめん! 遅くなっちゃって」
扉を開けたのはボサボサの白髪に白衣姿の娘だった。宇宙から帰ってきてから、瀬奈はとても家族思いの性格になっていた。
「瀬奈。なんで餃子を焼き始めたのに出かけちゃうんだよー。出来立てを食べさせたかったのになー」
言葉ほど残念そうではない表情の勝友は次の餃子に箸を伸ばしながら応える。
「ごめんなさい。色々事情があって。ほら、沙奈もちゃんと謝りなよ」
後ろで立ち止まってなかなか部屋に入ろうとしないもう一人の娘を瀬奈が促した。
宇宙に行って何千年も過ごして色々なことを超越してしまった瀬奈と違い、思春期も真っ只中で、父親に対して冷たくそっけない態度をとりがちなもう一人の娘、沙奈だ。
「ごめん……」
沙奈の表情は固かったが勝友はそれには気づかなかった。意図して気づかないふりをしたのかも知れなかった。
何を言っても気分次第で不機嫌になる厄介な年頃なのだ。それに、相手がどうあれ自分のリズムは崩したくないのが勝友だった。
「いや、そんなに謝らなくていいよ。別に全部は焼いてないからな。第二陣、焼くから、早く手を洗ってこいよ」
勝友の目線の先、キッチンに置かれたまな板の上には綺麗に包まれた餃子がずらりと並べられていた。その横には瀬奈が作った餃子包マシンが鎮座している。
「そうだ。あのマシンどうだった? 簡単に包めたでしょ?」
思い出したように目を輝かせた瀬奈だったが、勝友は渋い顔をして首を傾げた。
「うーん。確かにマシンのおかげで簡単に包めたけど……。やっぱあんま良くないな。全部同じ分量じゃつまんないよ。家で作る餃子って、餡が多かったり少なかったりしているのが、バリエーション的に楽しいんだよな。あのマシンは餡の量も包み方も完璧なんだけど、それもなんかなー。ミスったりして皮が開いちゃったり、餡が多くて閉じれなくて肉汁が出ちゃったり、そういうのを含めて『家庭の餃子』なんだよな、要は……」
「『完璧ほどつまんないものはない』ってこと?」
勝友が普段からよく言う口癖を瀬奈が先回りして言った。
「……ま、そういうこと」
娘に先を越された勝友が少しだけ残念そうに頷いた。
「うん。パパ。やっぱりパパってすごいなぁ。家事が楽になるマシンを作ったってのに全然嬉しそうじゃない!」
瀬奈はなぜか目をキラキラさせて嬉しそうだ。
「俺のために作ってくれたことに関しては嬉しいよ? でも、家事って面倒と思えば面倒だけど、やってる最中って脳のいいリフレッシュになるんだよな。悩んでる事の答えがふと浮かんだり、ちょっとした面白いアイデアが浮かんだりさ。今の世の中って文明が進化して、簡単になんでも便利にできるようになって、時短だなんだっていう人も多いけど、掃除とか洗濯とか料理みたいなことって生きるために一番必要なことじゃん。それを疎かにしてワークライフバランスもクソもねーなだろって思うんだよな。俺たちは人間だからさ。機械じゃないからさ、効率とか合理性とかばっか目指してっと、頭がおかしくなっちまうんじゃねえかと思うよ。今の先進国ってそこらが分かってねえと思うよ俺は」
食べながら喋るな、と常々子供たちには言うくせに餃子を咀嚼しながら持論を語る勝友。
行儀の悪さは彼にとって人間らしさと言えるのだろうか。
「パパ。悟ってるねー。うんうん! 別に壮絶な半生を過ごしたわけでもないごく平凡な人生を送ってきたのにその境地に辿り着くなんて。生まれた時代と場所が違えば、名を残す偉人になれたと思うよ」
「ははは。瀬奈。……それ褒めてるってことでいいんだよな?」
餃子を口に運ぶ手を止めた勝友に疑いの眼差しを向けられた瀬奈だったが、屈託ない笑顔で「もちろん!」と答えた。
「ま、ならいいか」
少々腑に落ちない感もあったが、勝友は良しとしたようだ。
そんな二人の会話の輪の外で沙奈は唇を噛んだ。表情は硬い。
「どうした? 沙奈はさっきから黙って? 早く手を洗ってこいよ、餃子焼くからさ」
「パパ、私に何か隠し事があるんじゃないの?」
キッと睨みつけるように勝友を見て沙奈が言った。
「なんだ突然。隠し事? ……別にないぞ?」
ただならぬ沙奈の様子に、さすがの勝友も身構えた。
「嘘。聞いたよ。私たちとママ、血が繋がってないって。奏はママの連れ子だって」
眉間に皺を寄せた沙奈が勝友をじっと見る。
「……あれ? 言ってなかったっけ?」
ケロッとした顔で勝友が言った。
その軽い調子に面食らった沙奈は一瞬言葉を失ったが、すぐに肩を怒らせた。
「聞いてない!!」
「えー。そうだっけ? ごめんごめん。沙奈の言う通りだ。さ、とりあえずそんなところに立ってないで、手を洗ってきて座りな。餃子焼くぞ」
「餃子なんてどうでもいい!」
「いやいや。今日の餃子はかなり美味くできたぞ?」
勝友は自慢の餃子をどうでもいいと一蹴されたことがよほど心外だったのか目を丸くした。
娘が本気で怒っていることにまだ気がついていないのか、それとも怒っていたとしてもそれより餃子の方が大事だと思っているのか。
「いらない! ちゃんと説明してよ! 再婚してたなんて知らなかった! 本当のママは今何しているの!?」
沙奈が目を釣り上げて怒鳴ると、ようやく父は餃子を持つ箸を置いた。
「あのさ、本当のママって言い方はなんか良くないと思うぞ。奈美は偽物のママなのか?」
勝友の口調はのんびりしたものだった。
「そ、そういうことを言ってるんじゃなくて……」
勢いで発した言葉尻を取られ沙奈の語気が弱まる。こういう時に迂闊に余計なことを言ってしまうのが沙奈で、こういう時に故意ではないが本筋とは関係ない正論っぽいことを言って論点をずらしがちなのが勝友だった。
優しい性格の沙奈は自分が発した酷い言葉に自らショックを受け言葉を続けられずにいた。勝友は一つ息を吐いてから言った。
「お前達を産んだママは亡くなったよ」
勝友の口調は変わらない。父の感情が読めず沙奈は視線は泳いだ。
「どうしてよ?」
「事故だ。お前達を産んですぐな」
「事故……。そうなんだ」沙奈が肩を落とす。
「でもなんか……変じゃない? パパとママは高校からの付き合いだって言ってなかった?」
勝友と奈美が高校生の頃から付き合っていたと、沙奈は認識していた。
制服姿の二人が映るプリクラも見たことがあった。
「ああ。そうだよ。高校の頃に付き合ってて、大学に入って別れて、お互いに別の人と結婚したんだけど、二人とも相手を事故で亡くしてな。お互いに子供が小さかったから助け合ってるうちに、また付き合うことになって、それで再婚したんだよ」
勝友は立ち上がりキッチンに向かう。中肉中背の取り立てて特徴のない中年の男の背中。まだ白髪は少ないが、生え際が少し後退してきたと悩み始めている父の背中。黙っていればそれなりにダンディな感じもしないでもないが、しゃべれば偏屈で屁理屈ばかりだし、お洒落な服とかも全然着ないから、モテそうもない。
「知らなかった……。産んでくれたママの名前はなんていうの?」
「奈月だ。お前達の名前は彼女からもらったんだよ」
コンロに火をつける勝友。フライパンに油を敷く。
「奈月……? 待って。なんだろ、その名前、どこかで……」
沙奈は考え込む。その名前にどこか懐かしいような気がしたからだ。
「毎年、みんなでお盆に墓参りに行ってるだろ。奈月だってウチの墓に入ってる」
「……あ! そうか、お墓に掘ってある名前だ。てっきり
墓石に並ぶ古めかしい名前の中で、自分の名前と同じ文字が入った名前が刻まれていたことを不思議に思い印象に残っていたのだ。
「パパ。お墓参りだけは今も欠席は許さないもんね」
二人のやり取りを黙って聞いていた瀬奈が初めて口を開いた。
瀬奈と沙奈が高校生になった今、家族で出かけることが少なくなった互絵家でも、お盆の時期の墓参りだけは絶対に皆で行くことになっていた。この行事だけは勝友が不参加を許さなかったので、遊びたい盛りの双子の娘も渋々とついていくのが恒例だった。
寺の本堂の脇でお供えの花と線香を買うのが子供達の役目で、両親はその間に丁寧に墓石周りの雑草を抜き、墓石を水で洗う。
花を添える両親の姿を沙奈はいつもつまらなさそうに眺めていた。
いつか、花を買う小銭を受け取るのを忘れて、墓石を洗う両親の元に駆けて行った時に、奈美がいつもは見せないような神妙な顔つきで手を合わせ、何かを呟いているのを聞いたことがあった。
「沙奈と瀬奈も元気にしています」と墓石を見つめながら呟く母の姿を、なぜか見てはいけないもののような気がして、沙奈は気づかないふりをした。その出来事はなぜかずっと心に残っていた。
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