奏の恋人  3

  ☆



 日が暮れた街を奏は歩いていた。ワックスでギトギトの髪を指でいじってはスマホの画面を鏡がわりにしてチェックしている。

 そのスマホが震え、メッセージが届いたことを知らせた。奏のニキビ面がだらしなく緩んだ。


 あの少女と出会ったのは一週間前。今日と同じく塾へ向かう道中だった。

 近所の児童公園の脇の自動販売機の前に少女は立っていた。

 見たことのない少女だった。少なくとも同じ学校の生徒ではなかった。小柄で線の細い体つき。艶のある黒髪はウエットな質感で、ゆったりめのパーカーにギンガムチェックのミニスカートという出立ちは小洒落ていて、そのスカートから伸びる柔らかそうな太ももに思春期真っ只中頭ん中ピンク一色の奏の視線は引き寄せられた。


 少女は自動販売機の前でオロオロと落ち着きのない様子だったが、歩いてくる奏の視線に気づき振り向いた。少女の顔を正面から見た奏は言葉を失った。少女はまごう事なき美少女だった。写真アプリの加工無しで、こんなに可愛い女の子はテレビやネットの中だって見たことがなかった。

 あまりの造形の美しさに驚いて奏は固まってしまった。そんな奏に少女はか細い声で話しかけてきたのだった。


「あ、あの……。すみません。ちょっとお時間ありますか?」


 まるでアニメから飛び出してきたかのような、しっとりとしつつも少し舌足らずな甘い声。


「な……なに?」奏の声はうわずった。道端で女の子に話しかけられることなんて滅多になかった。


「自動販売機でジュースを買ったんですけど……、当たりが出ちゃって。でも、あたし、二本も飲めないし、良かったら貰ってくれませんか?」


 見れば自動販売機のディスプレイには数字が揃い、商品ボタンがきらびやかに点滅を繰り返していた。どうやら、もう一本好きな商品を選べるようだ。


「あ。これって本当に当たるんだ」


「あたしも初めて見ました。びっくりしちゃって、どうしていいかわからなくて」


 少女は艶のある前髪を抑えながら、恥ずかしそうに笑った。


「せっかく当たったのに、ほったらかして帰っちゃうのも、なんか違うような気がして……。良かったらどうぞ」


 別に今飲まなくても家に持って帰ればいいのにとも思ったが、せっかくなので奏は少女の言葉に甘えて、ジュースを選んでボタンを押した。


「あ、焼き芋ソーダ。あなたもそれ好きなんですか?」


 奏が選んだジュースを見て、少女が目を大きくした。


「ああ。変な味だけど、癖になっちゃって」


「わかります!」


 少女は嬉しそうに自分の手の中にある缶を奏に向けた。彼女が持っていたのも焼き芋ソーダだった。 

 意外だった。この焼き芋ソーダという飲み物が好きな人に奏はまだ出会ったことがなかったのだ。姉の瀬奈や沙奈も「ゲロ吐くほど不味いわ」と評するほどで、発売後、すぐに大型ディスカウントストアのワゴンで投げ売りされているのを見かけたほどだ。今やどこの店にも置いていないある意味レアな不人気商品なのだった。

 ソーダなのにドロッとした独特な喉越し、ムワッとした甘ったるい味、飲み終わってからも、なんだかずっと喉にへばりついているような後味の悪さ。だが、奏はその味にハマったのだった。


「オレ、焼き芋ソーダが好きな人に会ったの初めてだよ」


 少女ははにかんだ。


「実はあたしもです。今じゃ全然どこにも売ってなくて、近所だと、あの自販機だけなんですよ? 知ってました?」


 奏はいわゆる人見知りの陰キャである。通常なら初対面の美少女とこんなに簡単に心を開いてお喋りできるような人間ではない。だが、不人気商品のファンという不思議な絆が、二人の心の距離を縮めたのだ。


「あたし、星川きらりって言います。もし、良かったら……あたしと友達になってくれませんか?」

 

 こんな美少女に下手に来られて、奏は思春期こじらせ男子脳はパニクった。


「オ、オレなんかと友達になってもつまんねえぜ」


 柄にもなく、今まで使ったことのないような乱暴な口調になっていた。

 話を聞くと、少女は奏と同い年だった。私立の女子校に通っているが、最近この近所に越してきたばかりで友達がいないと言った。

 立ち話もなんですから、ということになって、二人は公園のベンチに並んで座った。

 紫色の缶をそれぞれ口に運び、その独特な味わいを互いに褒め合った。奏はつっけんどんな態度で偉そうな口調だったのだが、きらりは上目使いに奏を見ては嬉しそうに何度も白い歯を見せて笑った。


 それから、二人は毎日のようにスマホで連絡を取り合っては、公園で落ち合い、一緒に焼き芋ソーダを飲む仲になった。

 一週間前、砂漠の星で姉二人を失い、別次元に連れてこられた瞬間には、想像もしなかった幸福な時間だった。


 こんな幸せな時間がいつまでも続けばいいな、と思いながらスマホをしまい奏は公園へと急いだ。


 ☆



 日の暮れた街をずんずん歩いていく瀬奈。その後ろを不安げな表情でついていくのは沙奈だ。


 向かう先は瀬奈のラボで見た映像の中に映っていた児童公園だ。瀬奈は猫背気味に白衣のポケットに両手を突っ込んでいる。そのポケットには例の光線銃が入っているのだろう。


「ねえ。瀬奈。奏の彼女を殺すなんて冗談だよね?」


 恐る恐るといった感じで沙奈が訊く。


「うーん。まだわかんない。状況によるかなー」


 瀬奈は涼しい顔で返す。


「どういう状況だったら殺すのよ」


「しっ。静かに。いた」


 瀬奈が沙奈の口を塞ぐと、自動販売機の影にしゃがみ込ませた。児童公園の入り口の車止めの柵にニキビ面の男子が立っていた。緊張した面持ちでソワソワとしながら、スマホを鏡がわりにして、へんちくりんな前髪をいじっている。


「あの女はまだ来てないみたいね。……あ、来た!」


 パタパタと足音を鳴らして、交差点の角から少女が現れた。可愛らしいミニスカート、指先まで隠れるカーディガン。小柄な奏よりさらに小柄な背丈。

 奏の顔は一瞬、夏場のアイスみたいにデロンと溶けたが、すぐ我に帰ったのか、慌ててキリッとした表情に戻った。


「ごめんなさい。遅れちゃって。待った?」


「別に。今来たとこだぜ」


 奏はもったいぶった口調でそっぽを向いて答える。そんな様子を自販機の影で見つめる瀬奈と沙奈。


「……あの態度なんなの? カッコいいと思ってんのかな? キモいだけなんですけど」


 沙奈がゲンナリした顔で囁く。


「異性との会話が乏しくて漫画やアニメ、ゲームなんかの創作物ばかり摂取してる根暗な思春期の地球人男子が取りがちな痛いカッコつけ方だよね」


「まったくもってその通りだわ」苦笑しながら振り向いた沙奈は瀬奈の姿を見てギョッとした。


 瀬奈はいつの間にか、赤いレンズの双眼鏡みたいな厳ついゴーグルを装着していた。


「瀬奈、それ何?」


「待って、静かに。説明は後」


 瀬奈が人差し指を口に当て静かにするように促して、公園の二人の会話に注意を払うように顎をしゃくる。


「ねえ、実は今日、両親がいないの。良かったら……ウチに来ない?」


 少女がモジモジしながら言った。


「え……。ほ、本当に?」と尋ねる声は裏返っていた。奏は明らかに動揺している。


「うん。パパは出張。ママは夜勤だから。その……奏くんと色々なコト、してみたいな」


 奏はごくりと唾を飲み込んで、なぜか少し猫背気味になった。


「……陰茎海綿体に動脈血が多く流れ込んだわね」


 ゴーグルを覗き込みながら瀬奈がため息をついた。


「どゆこと?」


「繁殖活動の準備が整ったってこと」


「……げ。サイテー」その意味に気づいた瀬奈が眉を歪めて嫌悪感をあらわにした。

 奏の生理現象には気付かぬ様子の少女が言葉をつづける。


「あ、でも今日って塾の日だっけ? なら無理かな? この前の続きしたかったんだけど……」


 この前の続きとはキスのその続きという意味だろうか。奏の体はさらに前傾姿勢になった。


「えっと……ああ! そうだそうだ、今日は塾は休みの日だった! そうだそうだ、塾は今日じゃなかったんだ! ははは。間違えて塾の準備して出てきちゃったぜ」


「本当に? 大丈夫なの?」


「ああ! 本当本当! マジマジ!」


「……うわあ奏の奴、塾サボって彼女とヤる気じゃん。引くわぁ」


 沙奈は自らの両腕をさすって「勘弁してよ」と吐き捨てた。

 その横で、ふーっと息を吐いて瀬奈がゴーグルを外した。


「よーしっ。解析はOKっと」


 ゴーグルを白衣のポケットにしまうと、夜風で洗うように真っ白でボサボサの髪の毛を振って瀬奈は、コンビニにでも行きますかってくらいの軽い調子でこう言った。


「奏には残念だろうけど、殺しちゃうねー」


 突拍子もない発言を残し、瀬奈は白衣をたなびかせ立ち上がると、公園の前で楽しげにおしゃべりをする二人に向かってスタスタと歩き出した。


「ちょ、ちょっと瀬奈、待ってよ」


 慌てて立ち上がった沙奈は瀬奈を追いかける。二人の足音に気がついた奏が振り返った。


「げ。瀬奈……って沙奈も?」


 まさかこんなところに姉が揃って現れるなんて夢にも思わなかったのだろう。慌てふためいている。


「な、な、なんでここにいるわけ?」


「んー。散歩……かな? 五月も暮れになると随分と日が伸びるもんだね。気温も高くて過ごしやすいね。ところで、その子はお友達?」


 瀬奈は外向けの笑顔を作り、奏の後ろに立つ美少女に向けた。


「あの……奏くん。この人たちは?」


 現れた二人の姿を交互に見て、警戒するように少女が奏の袖を引っ張った。奏が答える前に沙奈が両手を振って慌てて口を開いた。


「わーわー。驚かせてごめんね。私は沙奈。で、こっちのマッドサイエンティストみたいなのは瀬奈。私たちは双子で奏の姉なの。顔つきとかは似てるでしょ。急にごめんね。たまたま散歩してたら奏を見かけてさ」


「そうだったんですね。すみません。失礼な態度を……。あの、あたしは星川きらりって言います!」


 少女は慌てて姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。


「奏くんにはとても仲良くしてもらってます! 奏くん。こんな美人のお姉さんがいるんなら先に言ってよぉ」


「美人だなんて。もーやめてよー。きらりちゃんたら、お上手なんだからぁ」


 沙奈の目尻が下がる。褒められるとすぐに調子に乗るのが沙奈だった。そういうところは父の勝友そっくりだ。


「いえいえ、本当に二人ともすごく綺麗で、あたし驚いちゃって……。すみませんでした」


「きらりちゃんだっけ、なによあなたすごく良い子じゃん。今度、うちに遊びにいらっしゃいよ! 奏なんか放っておいてさ!」


「え!? 良いんですか!? 嬉しいです! あたし、一人っ子で、沙奈さんみたいな綺麗なお姉さんがずっと欲しかったんです!」


「きゃー!! 嬉しい! 私もきらりちゃんみたいな可愛い妹が欲しかったの!」


 沙奈が満面の笑みできらりに抱きついて、その小さな頭を撫でた。沙奈ときらりが楽しげにわちゃわちゃしている横で、瀬奈は白衣のポケットにつっこんだまま冷めた視線で二人を見つめている。

 

「……で、結局、瀬奈達は何しに来たの?」


 蚊帳の外になった奏が少し不満げな顔をして言った。


「あんたを助けるためよ」


 視線は二人から逸らさずに瀬奈が答えた。


「助ける? どゆこと?」


「こういうことよ」


 瀬奈はポケットから光線銃を抜き出すと、目にも止まらぬ速さで、沙奈と楽しげに話すきらりの頭を向けて引き金を引いた。



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