奏の恋人 2
☆
「奏!」 瀬奈が弟の部屋を勢いよく開けた。
「う、うわぁ。なんだよ急に」
勉強机に座っていた弟の奏はノートパソコンの画面を隠すように前屈みになった。
「……おっと。悪い、取り込み中だったみたいね」
「ばか、ノックくらいしてよっ! プライバシーの侵害だよ」
もぞもぞと身じろぎし、ズボンのベルトをかちゃかちゃさせながら叫ぶ弟を冷めた目で見下ろす姉。
「はぁ。私だって弟が虚しく盛ってるところなんか見たかないよ。まったく、隙さえあればそういうことしたがるんだから中学生男子は」
「ななな、何もしてないし。着替えてただけだし。なんなの? なんか用?」
取り繕っては済ました顔を見せている弟をじっと見つめる瀬奈。
「な、なんだよ、ジロジロ見て」
弟の髪型がおかしかった。なんだか妙にテカテカして、寝癖みたいな変な形になっていた。奏は珍しく髪にワックスをつけていたのだ。
少し調べればネットにも整髪料の付け方を教えてくれる動画があるだろうに、何も調べず自分なりに頑張ったのだろう。付け過ぎのベタベタで変にトゲトゲしたダサい髪型だった。
「……あんたこれから出かけるの?」
「きょ、今日は塾の日だよ」
奏は所謂『不登校』と呼ばれる状態で、中学校には滅多に行っていなかった。が、小学校から通っている塾には変わらず通っていた。週に三回か四回。夕方から夜にかけてだ。
「ふーん」
腕を組んだ瀬奈がじとっとした目で弟の姿を見つめる。
「あんた、最近いいことでもあった?」
奏は姉のねちっこい視線から逃れるように顔を背けた。
「べ、別に。何もないよ。それより僕、着替えてる最中だから出てってくれる?」
これまでは髪など整えず、首元がよれたTシャツだろうと気にせず、着の身着のままで通っていた塾におしゃれをして出かけようとしている。
どうやら彼の中で何かしらの変化があったようだと瀬奈は勘繰った。
「……そう。わかった」
瀬奈は奏に気づかれぬように白衣のポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
それは、採血の時に使うような注射針にごちゃごちゃと金属の部品や空の試験管などが取り付けられたヘンテコな機械だった。
奏はリュックの中に塾のテキストか何かを入れようと後ろを向いていたので、瀬奈のそれに気づかなかった。
瀬奈は音も立てずに奏の背後に忍び寄り、無造作に機械の先端についた注射針を奏の頭頂部にブッ刺した。
「はぐっ!?」
奏の体は電気を流されたかのようにピンっと硬直し、グルンッと瞳がひっくり返り白眼を剥いた。
瀬奈は無表情のまま注射針の後方についたスイッチを押す。すると、空だった試験管部分に奏の頭から紫色のキラキラしてウニョウニョしたミミズのようなモノが抽出された。
「よし。回収完了」
素早く注射針を引き抜く。試験管の中にはウニョウニョと気味の悪い軟体生物が蠢いている。
白眼を剥いている奏には気づかれぬように、瀬奈はそそくさと機械を白衣のポケットにしまった。
「うわっ」ふらっとよろめいた奏は「なんだ、立ちくらみかな……?」と呟いて頭を押さえた。自分が何かされたとは夢にも思っていない様子だ。
「じゃ、ま。塾、頑張んなさい」
瀬奈はすました顔で踵を返すとスタスタと部屋を出た。
廊下に沙奈が立っていた。少し開いていたドアの向こうから、一部始終を盗み見していたようだった。沙奈の顔は青ざめている。
「……奏に何したの?」
瀬奈はにやりと笑って白衣のポケットから例の注射針のついた機械を取り出した。中には紫色でキラキラしてウニョウニョしたミミズのような生物が蠢いていた。
「気になる? じゃ私のラボまで来てよっ」
瀬奈は屈託なく満面の笑みを浮かべて手招きをした。
☆
瀬奈は自分の部屋をワームホールで
つまり、それまでアイドルのポスターやぬいぐるみがあった6畳のファンシーな部屋は、今や超巨大研究所の一室となっているのだ。
沙奈は瀬奈に誘われるまま、ラボにやってきた。
「えーっと。つまり、そのキモいのは『記憶を溜め込む性質のあるエイリアン』ってこと?」
沙奈が指差す先、密閉フラスコの中には紫色でキラキラしてウニョウニョしたミミズのような生物が蠢いていた。フラスコは瀬奈の手によって、部屋の壁に取り付けられたモニターと接続された機械に装着されていた。
「そゆこと。こんなこともあろうかと、この間、奏の脳みそに寄生させておいたの。貴重なのよ。ガロン条約で本当はこの銀河には持ち込んじゃいけない代物なんだけどね。バレたらやばい事になる」
「ふうん。よくわかんないけど。で、それをどうするの?」
「今から、こいつが溜め込んだ記憶を映像化するわ。奏は何か隠してる。この一週間で奏に起こったことを見るの。そうすれば、何があったのかわかるわ」
瀬奈はモニターにケーブルを差し込み、ガチャガチャと準備を完了させると、二人がけのソファに座る沙奈の隣に腰掛けた。
「よっし。これでオッケー! えっと、重要そうな箇所を探すねー」
瀬奈は手元のリモコンを操作して、動画を早送りしたり巻き戻したりして、気になる箇所を探している。
「盗み見するのあんまり良くないんじゃない?」
「いーの。これは私達だけの問題じゃないんだから。お、ここだ! 見つけた。じゃ、再生すんよー」
モニターに映し出されたのは夕暮れの公園だった。
砂場と子供用の遊具が二つほどあるだけの小さな公園。場面はちょうど脇の細い道路から公園に入っていくところだった。
「あ、ウサギ公園だ。これ奏の視点ってこと?」
「うん。つまり奏の視界がそのままモニターに映し出されてるってことね」
互絵家から徒歩5分ほどの距離にある公園で、昔はこの砂場で三人ともよく遊んだ。
画面は左右にぶれる。まるで何かを探しているようだった。
酔いそうな動きに沙奈が眉を細める。
『あ、奏くん。遅いよぉ。でも、えへへ。今日も会えて嬉しい!』
声がして、景色がぐるりと変わった。振り向いたのだろう。二人掛けのベンチが映し出された。
そのベンチにはびっくりするほどの美少女が座っていて、画面がベンチに近づくより早く表情を明るくして立ち上がった。
小柄だがスタイルは抜群。ミニスカートから伸びる脚は長いし、ボブカットのヘアスタイルはプロのヘアメイクがついてるみたいに整っているし、大きな瞳にツンとすました唇はいかにも男ウケしそうで、繁華街を歩いていたら芸能事務所がすぐにスカウトに来そうな出立ちだった。
『ったくよ。オレだって暇じゃないんだぜ』
奏の声。なんだかぶっきらぼうで、いつもより声質が固い。
『だって会いたかったんだもん』
『つうかよ。昨日も会ったじゃん? こんな毎日会わなくたっていいんじゃね?』
髪をかき上げたのか、画面に奏の腕らしきものが横切った。
「……うわぁ何この喋り方。キモぉ。鳥肌立った」
沙奈がブルっと身じろぎした。
「うーん。格好の付け方がサイコーにダサいね。変な深夜アニメの見過ぎかもね」
瀬奈はため息まじりに呆れ顔で首を振った。
画面に映る美少女は、これまた庇護欲をそそるようなウルルとした瞳で上目遣いにこちらを見て、モジモジしながら口を開いた。
『あたしは毎日だって会いたいよ! 奏くんは会いたくない? あたし……迷惑?」
『そ、そんなことねえよ……。オレだって……、会いてえよ』
奏は照れてそっぽを向いたようで、画面が公園の地面を映す。
「ぎゃー! こんなキモいの見たくない! 瀬奈! 消して! 画面か……もしくは私の記憶か、どっちでもいいからすぐ消して!!」
「どっちも可能ではあるけど、まあ見ましょー」
頭を振って嫌々する沙奈をよしよしと宥めて、瀬奈は画面を見るように促す。
「うー。来なきゃよかった」とうんざり顔の沙奈だったが、瀬奈に言われるまま画面へと向き直った。
『あたし、奏くんに出会ってからの一週間で、おかしくなっちゃったみたいなの。勉強しててもシャワーを浴びてても、奏くんのことが頭から離れないの。こんな気持ち初めてで、どうしていいかわからなくて……。胸の奥がズキズキして、夜も眠れないの。もしかしてこれが恋なのかなって思ったら、いても立ってもいられなくなって。だって、奏くんってカッコイイし優しいし、すぐに他の人に取られちゃうかもって思ったら、悲しくて寂しくて……』
その言葉を画面越しに聞いていた沙奈の口はあんぐりと開き、言葉を失って、目をぱちくりさせながら隣の瀬奈を見た。
「ま、マジ? この子、こんなに可愛いのに、目玉腐ってんじゃない? 奏がかっこいい? 雪が降るんじゃない? いや、地球の自転が狂うんじゃない?」
「蓼食う虫も好き好きとは言うけどねぇ」と、にべもなく瀬奈は吐き捨てた。
『べ、別にオレ、女とか興味ねえけど、付き合ってる奴もいないから、そこまで言うなら付き合ってやってもいいぜ』
再び髪をかき上げる仕草の奏。画面越しに見た沙奈が悲鳴をあげる。
「キモっ!! 死んで!」
しかし、それは画面の中は過去の出来事。声が届くわけもない。
『嬉しい! じゃ、付き合う記念に……ちゅーしてもいい?』
画面の中の美少女は神様に祈るみたいに両手を合わせて瞳を輝かせた。
『ま、まあいいけど』
明らかに動揺しているのがバレバレだが、それでも口調だけはつっけんどんな奏だった。
少女が目を閉じてツンと唇を突き出して近づいてくる。
そして、映像はゆっくりと真っ暗になり、そのまま終了したのだった。
「……なるほどね。だいたいわかったわ」
瀬奈は椅子から立ち上がり、壁際の収納棚に向かった。指紋認証で引き出しのロックを解除すると、ガサゴソと棚の中を漁り始めた。
「あー。キツかった。先月のマラソン大会なんかより全然キツかったわ」
なんだかげっそりした感じの沙奈が「それにしても、奏にあんな可愛い彼女が出来るなんて、私ゃ信じられないよ……」と呟いた。
そんな沙奈を尻目に、瀬奈はソファから立ち上がり、壁にくくりつけられた鉄製の棚の中をガサゴソと漁り始めた。
「ま、面倒だけど、とりあえず行きますか」
背中を向けたまま瀬奈が言う。
「え? 行くってどこに?」
「奏の後を追うのよ」
「なんで? 冷やかしに行くの?」
「ううん。殺さなきゃいけないかもしんないからねー」
「……え? 奏を? 確かに殺したいくらいムカついたけど」
「違う違う。彼女の方よ」
振り向いた瀬奈の手には銀色に光る光線銃が握られていた。
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