episode2 奏の恋人
奏の恋人 1
夫、勝友は三流大学を出てから職を転々としたが、今は地元の植木屋で働いている。お気楽な性格で仕事は雑。だが、人当たりは良くトラブルメーカー兼ムードメーカーとして皆から愛されていた。
妻、奈美は美大を出ると国内でも有数の大手映画制作会社に就職し、その道一本で、今や現場を仕切る重要なスタッフとして皆に頼られる存在だった。やりがいはある仕事だが、体力も気力も精神力も酷使するし、朝までかかる残業なども多く、いつも疲れていた。
そんな生活事情のため、互絵家では必然的に夫の勝友が家事や子供の世話を受けもつことが多かった。
だから、息子の異変にも気がついたのも父の勝友だった。
「ちょっと沙奈。奏のことなんだけどさ」
リビングでスマホをいじっていた制服姿の娘に、夕食の支度をしていた勝友が声をかけた。
「なに?」スマホから目は逸らさずに沙奈が生返事をする。
勝友は慣れた手つきでキャベツをみじん切りにしながら、視界の端の娘を見る。
また制服を着っぱなしでダラダラしている。投げ出された細い足。短いスカートが捲れ上がっている。下にはきちんとスパッツ的なものを履いているので下着が見えることはないのだが、とはいえ、娘がこんな格好でだらしなくソファに沈んでいるのを見ると小言の一つでも言いたくなる。外でもこんな風にしていないかと心配で仕方がない。が、何も言えずにいた。父親という役割の正解が、正直まだわからないのだった。
「最近、奏の雰囲気がちょっと変わった気がするんだけどさ。なんか知ってる?」
娘の視線は一瞬泳いだ。が、それに勝友は気づかない。
「どうだろ。思春期だしそういうモンじゃない?」
沙奈はそそくさとスマホに目を戻した。
様子が変わったも何も。元々この家にいたオリジナルの弟は瀬奈に連れられて行った遠い銀河の彼方の惑星で死んでしまったのだ。
今、この家にいるのは別の次元から連れてこられた別バージョンの奏だ。極めて近似の別次元から連れてこられたから、見た目も性格も元の奏と区別がつかないが、それでも別の奏なのだ。が、そのことを父である勝友は知らない。だから、沙奈は何も言えず、わずかな逡巡を見せたのだろう。
「まあそうだよな。奏も年頃だもんなぁ」
勝友は何かを納得したような顔つきで作業に戻った。
その時、リビングの壁に光り輝く渦巻きが出現した。次元をつなぐワームホールだ。
「……たく、アリワルナ人はどうしてこう短気なのよ。取引がパァね」
ワームホールの中から白衣を着込んだボサボサの白髪少女が仏頂面で現れた。沙奈の双子の片割れ、瀬奈だ。高校の制服の上に白衣を纏っているのは、宇宙から帰ってきた彼女のいつものスタイルだった。
「おかえり、瀬奈。帰ってくる時はできるだけ玄関から入って来てくれないか? ワームホールはなんというか……驚く」
勝友が苦笑する。
「あ、パパ。ただいま!」
瀬奈は表情をパッと輝かせ、猫撫で声をあげると勝友の背中に抱きついた。
「晩御飯の準備中? メニューは何? うわっほ。餃子だ。サイッコー! パパの餃子久しぶりに食べたいと思ってたんだ!」
「うわ、抱きつくなよ。包丁持ってるから危ないぞ」
「えへへ。ごめんー。そだ、餃子包むの、私も手伝おっか」
「え? マジで? 珍しいな。そう言ってもらえるのは嬉しいけど……。なんか宇宙から帰って来てからキャラが変わったなぁ」
行方不明になった瀬奈が帰って来てから一週間が経っていた。
帰ってきた瀬奈は以前とは性格がずいぶんと変わっていた。
瀬奈は科学技術の進んだ異星人に攫われて筆舌に耐え難いほどの人体実験をされた上、未知なる薬物を投与されたことにより不老不死にされて、何千年も宇宙を彷徨った挙句、なんとか時間を超越して、この時代の、この家に帰って来たのだ。そりゃ性格も変わるだろう。致し方ないのことだよな。と、勝友は割り切っていた。いや、割り切ろうと考えていた。
瀬奈の心や体に影響を与えた出来事に関しては、父としてとても深く複雑な気持ちを抱いているのだが、当の瀬奈が「私的には何千年も昔のことだし今は少しも気にしてないから、気にしないでよ」などと、ケロッとした顔をしている手前、何も言えることがない。というか、まだ現実感がない。
そんな現実感のない話より、思春期を過ぎて最近はあまり会話もなくなった娘が、急に昔のように甘えてくるようになった現実が素直に嬉しかった。勝友は悪く言えば単純、よく言えば素直な人間だった。
「てか瀬奈、よくパパなんかに抱きつけるね。臭くない?」
絶賛ダラダラ中の沙奈がスマホから目を上げ、うんざりとした声を出した。
沙奈にとってずっと瀬奈は特別な存在だった。つい先日まで、瀬奈は自分と性格も見た目も瓜二つで、考えていることも手に取るようにわかった生写しのような双子だったのだ。それが今や、自分なら絶対にしたくないような行動を嬉々として取っている。不思議で受け入れ難いのだろう。
「においって大体さー。自分の捉え方次第だと思わない?。相手のことが好きかどうかで感じ方が変わるじゃん? 私はパパのことを愛しているから、沙奈が加齢臭だと感じるにおいも、別になんともないんだよ。好きなんだよ。それだけだよっ」
照れる様子もなく瀬奈が言うと、勝友はじんわりと目を閉じた。
「瀬奈。父さんちょっと泣きそうだぞ」
感極まっている父の様子を見て、沙奈はため息をついた。たった一週間で実年齢は自分よりも何千年も上になってしまったらしい双子の瀬奈。彼女の性格やものの考え方が変わっているのは仕方のないことだと、頭ではわかっているが、心は受け入れることができていないのだ。
「自分の部屋に行くわ。ご飯できたらよんで」
一週間前と何も変わっていない沙奈はスマホを伏せて立ち上がった。
「えーっ、沙奈。一緒に餃子作ろーよ、久しぶりにさ。最近あんまりお喋りしてくれないじゃん」
「えっと……ちょっと疲れてるから、食器洗いは一緒にするよ」
沙奈は視線を逸らしたまま部屋を出ていった。
「まだ瀬奈のことを、受け止められていないんだよ。大丈夫。こういうのは時間が解決するよ」
父、勝友には沙奈の後ろ姿を見送った瀬奈の後ろ姿が少し寂しそうに見えた。一週間前までは何をするにも一緒だった双子の娘が、今は行動を共にしないのだ。それを見ている勝友も少し寂しかった。
「うん。わかってる。いつも同じ格好して同じ風に笑って、同じものを食べて同じ人に恋して。分身みたいだった私がこんな風に変わっちゃったんだもん。沙奈は戸惑ってるんだよね。でも、双子だからっていつまでも一緒にいられるわけじゃないし、私が何事もなくこの世界で過ごしていたとしても、死ぬ時まで、なんでもかんでも一緒にってわけにはいかないだろうし、近い将来、互いに別々の道を選ぶことはあったはずだから、そういう意味では別に悲しむことでもないしね。来るべき時がちょっと早めに来ただけだよね」
「……そうだな」
達観した意見に勝友の手が止まった。勝友の顔に苦笑いが生まれる。
「ははは。瀬奈は何千年も色んな銀河を旅して、色んな世界で色んな人たちと出会って別れてきたんだもんな。父親ってだけのオレなんかよりも言葉に深みがあるなぁ」
「何言ってんの、パパは別に昔っから全然深みとかなかったじゃん」
ケロッとした悪意のない娘の言葉は勝友の心にグサリと刺さった。
「どうせオレはダメな父親だよ。それよりさ。さっき沙奈にも聞いたんだけど。なんか最近、奏の様子が変じゃないか?」
「奏の様子? まあ思春期男子だからね。そんなもんじゃない?」
「それ、さっき沙奈にも同じことを言われたよ。やっぱりお前たちは双子だな」
勝友の頬に笑みが浮かんだ。
「パパが気になるってんなら、それとなく調べてみよか?」
「いや、いいよ。オレの気のせいかもしれないし。それこそ思春期だってだけなら詮索するのも申し訳ないしな」
「けど、そういうのって大体当たってるもんよ。私もちょっと気になることもあるし。よし。ちょっと待ってて」
瀬奈は言葉を置き去りに、タタタと部屋から出て行った。トンテンカンとトンカチで何かを叩くような音がしたかと思ったら、すぐに瀬奈は何かを持って帰ってきた。
ドンっとキッチンに置いたのはティッシュ箱くらいの大きさの長方形で漏斗のような円錐状の器具が上に突き刺さった機械だった。
「なんだこれ」
「餃子包みマシン。横から皮をセットして、上から餡を入れれば、一分間で25個は包めると思う」
瀬奈が実演して見せる。すると、箱の横から綺麗に包まれた餃子がポポポンと排出された。
「あ、ありがとう。こんな道具を持ってたんだ」
「ううん。今作ったの。このくらい朝飯前よ。お礼はいいよっ。パパのためだもん。じゃ、奏の様子を探ってくるねーっ」
ニコッと微笑んで、瀬奈はキッチンを出て行った。
「科学も魔術も極めたって言ってたもんな……。すごい娘になっちゃったもんだなぁ」
残された勝友は目の前に置かれたハイテクマシンを見つめながら、ただただ唸ることしかできなかった。
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