第27話

 警備の応援を呼び、一時間ほどかけて四人を何とか帰らせた。その後で原田と荒川は小笠原弁護士に電話し、あらためて説明を求めた。翌日、二人は小笠原弁護士の事務所を訪ねた。

「あなたは省吾さんのご家族と面識があったのですね」

 荒川が訊くと小笠原弁護士は、はい、と答えた。

「省吾とぼくは幼馴染で、高校までずっと一緒でした。彼は人づきあいができませんから、友人と言えるのはぼくくらいでした。最初にそのことをお話ししなかったのは、彼に止められていたからです。申し訳ありませんでした」

 弁護士はいきさつをこう語った。

「青木エリカは、彼がアメリカで所属していたノース・ヴァレイ・システム・ソリューション社が悪どい手口で買収した会社の社長の未亡人です。ノース社は数年で急成長したベンチャーですが、その経営手法は相当に強引なもので、訴訟を負けたときは、社長を始め多くの役員が逮捕されました。省吾は不正には関わっていなかったので、罪に問われることはありませんでしたが、財産は裁判で没収されたのか、あるいは被害者に渡したのか、帰国したときは無一文に近い状態でした」

 金には無頓着なやつでしたからね、と弁護士はつけ加えた。

「詐欺まがいの手口で会社を失ったエリカの夫は絶望のあまり自死し、妻と子には大きな悲しみと金銭的な苦境が残りました。省吾はそれをだいぶ後になって、自分の死の床で知ったのです。ネットで偶然に。そして――対象が何であれ感情的な反応を見せるのはめずらしいのですが――彼はひどく責任を感じたのです。

 彼女の苦境について自分も無関係ではない、何とかして救いたいと考え、彼女にまとまった金を渡すことにしたのです。かつての財産はもうないが、余命わずかの自分には生命保険がある。これだ。

 それには乗り越えるべき障害がありました。あなたがたに説明の必要はないでしょうが、日本の保険会社はモラルリスク排除の観点から、家族以外の第三者を受取人にすることを認めていません」

 彼は女性に連絡をとった。最初は当然、強い不信と反発を示された。夫の仇、悪魔の一味が今さら何の用か。人殺し、恥を知れと罵倒された。彼はそれでもひるまず連絡をとり続けた。やがて女性は彼の思いを理解し、謝罪を受け入れた。思いと計画を聞かされ、結婚に応じることを決めた。配偶者なら受取人となることに何ら問題はない。

「結婚の方法は三つ考えられました。一つ目は、彼女が日本に来て日本の役所に婚姻届を出す方法です。これならすぐに戸籍に反映される。保険会社が問題とするのは戸籍上の続柄ですから、この方法が一番早くて確実です。しかし彼女は、子どもの入院が予定されていて、すぐにはアメリカを離れられませんでした。二つ目は、彼女に日本での結婚に必要な書類を送ってもらい、区役所に婚姻届を出す方法です。しかしこれも必要書類をそろえるのにかなりの時間を要することがわかりました。そこで彼は三つ目の方法をとることにしたのです。自分がアメリカへ行って結婚し、それを戸籍に反映させる方法です」

「本当ですか。ステージⅣで」原田が訊く。

「ぼくが付き添いました。今どき、末期患者の旅行は珍しいことではありませんよ」

「国際結婚ってそんなに簡単にできるのですか」荒川が問う。

「簡単ではありません。特にアメリカの移民法は厳しくて、外国人が結婚目的で入国するには専用のビザが必要です。専用ビザの取得には通常、厳しい審査と数か月の時間がかかるのですが、彼は過去に永住許可を取得し、帰国後も維持していましたから、そこはクリアできました」

 原田には別世界の話のようだ。ジョークも思いつかない。

「問題は時間でした。戸籍法によれば海外での結婚はその時点で成立します。ただしそれを日本の戸籍に反映させるには、その国の在外公館を通して日本の役所に婚姻届を提出しなければならず、長ければ数か月もかかるのです。それまで受取人は変更できません」

 確かに、受取人を妻にするという請求書が提出されても、戸籍がそうなっていなければ請求は無効と言える。そんな人物はいないのだから。

「自分が死んだら家族はすぐに保険金を請求するだろう。保険会社は元の受取人、父親に払ってしまうだろう。それでは意味がない。しかし間もなく戸籍が変わるから支払いを待てなどと保険会社に伝えたら、きっと家族にも知られてしまう。横取りされる。結婚のことを保険会社にも家族にも知られずに、保険金の請求だけをしばらく止めておかなくてはならない。三通の名義変更請求書はそのための手段だったのです。ああしておけば家族が揉めて手続きが進まないことを、彼は見抜いていたのです」

 ――結局、ショーちゃんの手のひらで転がされていたってことか――

 不思議と腹は立たない。見事な手品を見せられたような感覚。

「ぼくは彼の体調を考えて、あと数か月待ってエリカが来日できるようになってから日本で手続きする方法を勧めましたが、彼はすぐに渡米すると言って聞きませんでした。そして帰国の直後に容体が悪化して、起き上がれなくなりました。今から思えば、エリカの来日を待っていたら間に合わなかったでしょう。それからは時間との闘いでした。青木エリカの名前がようやく戸籍に反映されたのは、私が原田さんにお電話した日です」

「状況を探ってきたというわけですか」

「その通りです。お二人はさぞ不愉快な思いをされたことでしょう。改めてお詫びします。どうかご容赦ください」

 まあ、弁護士なのだから依頼人の指示には逆らえないだろう。

 荒川はじっと考えるような素振りの後、口を開いた。

「私にはわかりません」

「何がです」

「実家の工場はつぶれ、父親は闇金からの借金を負ったまま入院生活を続けている。母親は脳梗塞に鬱を発症して退院の目途が立たない。妹は生きがいと金の両方を失い、共同経営者に無断で店の預金を担保に融資を受けたことについて訴えられている。弟の家庭は子が生まれた瞬間から金銭的な辛酸をなめることが確実になった。家族全員が不幸に落ちたんです。それがわかっていたはずなのに、他人の幸福を優先した故人の気持ちが合理的とは思えないのです。トラブル案件はたいてい不合理なものですが、この件はその度合いが異常なほど大きい。故人は自分の家族のことは考えなかったのでしょうか」

 弁護士はさわやかに笑った。

「古い友人からすれば全然不思議じゃありません。彼はむかしから、興味をもったことに全力で取り組んで素晴らしい結果を残し、気が済むとすぐに次の目標に向かうということを繰り返していました。そうやって短い人生で多くのことを成し遂げたのです。きっと今回も同じだったんですよ。ご家族のことを考えなかったのではなく、エリカに金を渡すことに全力を傾けたんです」

 本件への対応方針については社内で慎重論も出た。判例があるのかもよくわからない状態で外国の妻に支払ってしまって本当によいのかという意見だ。結論はわりとすぐに出た。顛末を聞いた法務部の江川審議役が発した「そいつぁ痛快だな」というひと言が決め手となった。

 ほどなく一億円はしかるべき手続きを踏み、しかるべきレートで現地通貨に転換されたうえ、電子の信号となって太平洋を越えて行った。

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