第25話

 ユミちゃんが電話口で絶望の叫びを上げた金曜から、週末をはさんだ月曜日。

 荒川あてに意外な人物から電話があった。荒川はちょっとお待ちください、と言って保留にし、原田を呼んで会議室に入った。スマホをスピーカーにすると高齢女性の大阪弁が聞こえた。

「荒川さんという方から私のむかしの契約のことで営業所のほうにお問い合わせがあったと聞きましてね。青木くんでしょ、懐かしいわぁ」

 東大阪支社の元営業職員、三島麗子だった。律儀に連絡してきてくれたのだ。

「お電話、わざわざありがとうございます」

「遅うなってすいません。うちの子ら、もっと早よ教えてくれればいいのに、そんなんはむかしから気ぃきかんのですわ。今でも営業所には顔出すんですけど、ときどきなんです。もう歳でね。足がほら、あかんもんで」

 三島さんは五年前の変人青年のことをよく覚えていた。

「青木省吾くんね。よう覚えてますよ。東西には長いことお世話になりましたけど、あんな大きな契約はあれきりでしたからね。営業所のみんなもそのこと知ってたから、契約が成立したときはみんな立ち上がってバンザイ三唱してくれましたわ。うれしかったなぁ。おかげさんで給料がごっつ増えてね。定年直前にいい思いさしてもらいました」

 東大阪市も東京都大田区と同じく中小企業の街である。その青年は、三島さんの出入り先である機械部品工場でアルバイトをしていたという。三島さんは訪問時に作業場で見慣れない顔を見つけ、新入社員ですかと社長に訊ねた。

「おかしなやっちゃで、と社長は面白そうに言うてました。その十日ほど前に応募してきたアルバイトくんで、ちょっととっつきにくいというか、人づきあいが得意でないタイプなんやけど、何故か工場で扱う機械部品に関する知識と作業の腕がすばらしい。何やこいつは、と思ってたら、三日目に作業工程の改善提案をしてきた。その通りやってみたら作業が一気に効率化されて、あっという間に周囲に受け容れられたそうです。人づきあいがあかんので、他の従業員と飲みに行くとかはなかったけど、社長は昼ごはんとか晩ごはん食べさしてはりましたよ」

 三島さんは昼休みに、彼に保険の話をしてみた。

「休憩室でお茶飲んでるとこに声かけたんです。嫌がるでもなく、今まで生命保険など勧められたことがない、いい機会だからどんなものか教えてほしいて言われて、まだ若いから年金の安いのんでも一件もらえればラッキー、と思って説明始めたら、ものの五分で即決ですわ。『一時払い終身というのに入ります、保険金額は一億円で』て。こっちは目ぇ点ですよ。そんときはまだ金持ちやて知りませんからね。あかんあかん、そんなんおにいちゃん払えるわけないやんか、ここは年金にしときって言うてたら、横から社長がヌーっと出てきて、三島さん、こいつほんまは金持ちなんやでって。びっくりしましたけど、そういうことならチャンス逃したらあかん、気が変わらんうちにって大急ぎで手続きしたりました。ああ、思い出しても心臓バックバクやわ」

 荒川が訊いた。

「どんな方だったんですか。加入の理由は何か言っていましたか」

「最初は何と落ち着きのない子やろって思いました。こっちがしゃべってる間もきょろきょろと視線があちこち飛んでいくし、貧乏ゆすりじゃないけど、からだ全体をずっと小刻みに揺らしている感じで。でも頭は滅茶苦茶いいんですよ。さすが東大やわ。知ってます? 青木くん東大ですよ東大。商品のパンフ渡したら、こっちが説明する前に全部自分で読んで理解して、これはこういうことなんですねって。何や、私いらんやん思いました。こう言うたら何ですけど、最近の商品はややこしくて複雑で資料もぎょうさんあって、説明がそらもうたいへんで……、あ、そちらも社内でしたね。とにかく、こっちは研修やなんかで何時間もかけて覚えるのを一瞬で理解してまう。そういう意味では楽やったな。申込書に記入してもらって、ハンコもらって、診査のアポ取って、保険料の払い込みの手続きについて説明したら、わかりました。では診査を受けて、期日までに保険料を振り込みますって言って、そんで終わり。こっちはうれしくって何度もありがとうございます、ありがとうございますって、頭ぶんぶん振ってお辞儀してんのに、本人はぷいとあっち向いて、その後は、はてどちらさんでしたっけ、みたいな顔ですよ。後で考えたら、ああ、あの子は速いな、急いでるな、て思いましたわ」

「急いでいる?」

「たまにいてるでしょう。頭がめっちゃよくて、何するんでもふつうの人の三分の一とか十分の一の時間でやってまう子が。青木くんはそのタイプで、いろんなもんに興味を持って、次から次へと片っ端からやってみるのが楽しくてしかたなかったんやと思います。ちょっと違うかな。そうせずにはおられへんいう感じかな。

 ああいう子はちょっと可哀そうでね、誤解されやすいんですよ。とくに小っちゃい頃なんて周囲とスピード感が合わへんから、友だちもあんまりいてへんかったん違うかな。根っこは素直なんですよ。あのときも初めて保険いうものの話を聞いて、なるほどそういうもんがあるんか、おもろそやからいっぺん入ってみたろ、と、加入の理由といえばそんな感じでしたよ」

 あと募集担当が美人やったからねー、と言って三島さんは一人で三人分、カラカラと笑った。

「理由いうたら、何でこいつ大阪におるんかわからん、って社長は言うてました。私はこう思うんですよ。アメリカで高い給料もらう仕事なんて、他人から見たらうらやましいけど、苦労もそれだけ大きいやろし、ふつうの人の何倍もの速さでぐわーって仕事してたら、飽きるのもそれだけ早いん違いますかね。アメリカの仕事にもちょっと飽きてきたなあ、次は何しよ、そや、大阪行ってアルバイトでもしたろ、別にどこでもええんやけどな、って、そんなことやったん違いますかねえ。そうそう、あの後、青木くんはどこ行って何してたんですか。いえね、工場辞めて行くとき、社長が、あいつはこれからどこ行って何しよるんかなあって、息子が家出ていくみたいな顔で言うてたんです。じつはあの社長も若い頃にアメリカに留学してたことがあるんですよ。ねえ、人は見かけによらんでしょう。そんなんもあって青木くんのことを息子みたいに思ってたんです」

「省吾さんは、大阪からアメリカの会社に戻りました」

「急ぎの生活に戻って行ったんですか。そうですか。そない急がんでもよかったのにねえ。亡くなったって聞いたら何や、あのころから生き急いでたみたいな気ぃしますねえ」

 香典を送るから遺族に届けてくれと粘る三島さんを何とかなだめて、荒川は電話を切った。彼女には、高額なので念のために加入時のことを確認したいのだとしか伝えていなかった。家族が揉めているとは言っていない。

 二人は顔を見合わせた。

「えらい違いだね」

 家族から五百キロも離れた土地で、故人は思いがけない理解者を得ていたようだ。

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