第13話

 オフィスに戻ると、原田は言った。

「ユミちゃんの店がちょっと気になるね」

「どういうことだ」

「それは――」

 説明がむずかしい。言ってみればカンだ。

 さっきの話で、彼女は人格形成期の長い年月、兄に対する恨みを抱いていたことがわかった。蓄積されたものはちょっとやそっとのことで消し去れるものではあるまい。一生許さない……それくらい根深いものだろう。彼女の感情生活の根本を成しているといってもいいかもしれない。

 それなのに面談の最後のまつ毛ぎらり発言。許すというワード。

 むかしのことは許してあげてもいいわ、お金を残してくれたのなら。それが原田にはこう聞こえたのだ。むかしのことなんかどうでもいい、今はお金のほうが大事だから。

「説得的ではない」

「だからカンだって言ってるだろうが。こういうことだ。レストランの経営は苦しい。でも保険会社に弱みを見せたくない。だから言わない。つまりミサちゃんと一緒だ。三人の中で主導権をとるために手続き書類を先に手に入れようとしている。おれはそう思うね」

 経営状態を確かめたいが、街のレストランじゃ興信所にも資料はないだろう。原田はパソコンに向かった。

「やっぱり……」

 グルメサイトの書き込みの内容なんか信用したことはないが、それにしても、

「採点は極端に高いか低いかだな。同じようなコメントばっか。気に入らないね」

「その店、最近おいしくないんですよ」

 原田の背中越しに、笹口佳奈子がパソコンの画面をのぞき込んできた。

「びっくりした。君、この店知ってるの」

「家の近所なので以前は友だちとよく行ってたんですけど、最近はちょっと……。そのお店がどうかしたんですか」

「青山に住んでるのか」

 原田が思わず言うと、はい、と笑顔で答える。荒川が言った。

「理由はちょっと言えないんだが、もう少し教えてくれ。味が落ちたというのは本当かい」

「たぶん半年くらい前にシェフが代わったんだと思います。以前は本場ナポリの、丘の上じゃなくて下町のほうの雰囲気のある素朴な味つけがよかったんですけど、今はすっかり東京のどこにでもあるような安っぽい味になっちゃって」

「客足はどう」

「ここのところ、ほぼガラガラですよ。女子狙いのお店なのにあの味だったら、もっとおしゃれで安いところがいっぱいありますもん」

 どんな案件なんですか、と興味津々の笹口佳奈子を自席に追いやり、原田は言った。

「『青山』に『丘の上』かよ。ふらふらしやがって。ひまなんじゃないか、あいつ」

「彼女は君に次いで優秀な人材だ。呑みこみが早く処理が正確で、異動二日目のテストで満点だったのは君と彼女だけだった」

「いろいろと油断できないな」

「客足が減っているというのは参考になる情報だと思う」

「同感だ。ユミちゃんは大したタマだよ」原田は唇を歪めた。「大事なお店の売り上げが減ってるんなら金は欲しくてたまらないはずなのに、あの平然とした態度」

 あーあ、最初に心配した通りになっちまった。そう言って原田はため息をついた。

「結局、全員がモージャケーキャラだ。ま、家族だからしょうがねえか」

「モージャケーとは何だ」

「金の亡者系。おれは何だかショーちゃんが気の毒になってきたな。家族運がないというか何というか」

「共同経営者がいると言っていたな」

「そいつも今頃、祈ってるんじゃねえの。金持ちの親戚か誰か、遺産を残して死んでくれないかって」

「根拠のない憶測だ」

「そうだ。この店いっぺん行っとくか、ツブれる前に」

「何のために」

「記念にさ」

「やめておこう」

「イタリアンは嫌いかい」

「嫌いじゃない。しかしトラブル案件の関係者との不自然な癒着を疑われるおそれのある行動は避けるべきだと思う」

「ユミちゃんに払わなかったら毒を盛られれそうだしな」

「根拠に乏しく、かつ不謹慎な発言だ」


 ――ロンドンへ行きます。

 倉田遥香からのメールはそう始まっていた。

 ――返事はたぶんもらえないだろうと思っていました。本当は会って話したかったけど、無理みたいなので、メールでお伝えします。

 私は今月末で会社を辞めて、ロンドンへ法律の勉強をしに行くことにしました。予定は二年。ひょっとすると、もっと長くなるかもしれません。

 じつは数年前から考えていたことなんです。

 就職氷河期に、何とか大手の女性総合職に潜りこむことができたけれど、正直言って仕事は面白くありませんでした。

 就職浪人になった同級生からは、ぜいたくだって叱られそうだけど、とくにやりたい仕事でもなかったし、女だからということ以外にも、会社って理不尽なことが多いところだと思います。

 そう感じるのは入社したばかりだから。そのうち慣れて仕事が面白くなってくるから。一生懸命そう思おうとしたけど、結局だめでした。

 去年くらいからは、自分の立っている場所や、向いている方向すらわからなくなって、夜、わけもなくベッドで泣けてきちゃったこともあるんです。言わなかったけど……。

 そんなときに原田さんに出会って、いいからこっち来い、って引っ張って行ってくれるような頼もしさを感じていました。ぶっきらぼうだけど繊細で、気配りの出来るやさしい人だなって思いました。

 仕事ができて、そういう自分に自信をもっているところがかっこよかった。私にはとても真似できないから。きっと、自分にぴったりの仕事をしているからなんでしょうね。すごくうらやましかった。

 原田さんといると安心できました。精神が安定しているのが自分でわかるんです。本当に楽しかった。弱いところを見せても大丈夫と思ったのだけれど、その点はちょっと違っていたみたいですね。私、重かったみたい。

 ごめんなさい。わかっていたんです。でも言っちゃった。もっとうまくできたかもしれないって後悔も少しあるけれど、もうしかたないですよね。これ以上嫌なことを言って迷惑はかけません。それに、自信たっぷりな原田さんを見るたびに、私自身はこれでいいのかなって思っていたし、原田さんとだめになって、ロンドンへ行く決心がついたんです。

 社会人になって五年間、ずっと霧の中に立っていたけど、今ようやく足もとから伸びる道を見つけた感じです。そういう意味で感謝しています。ありがとう。

 私が帰ってきて、もしまたどこかで会えたら、それまで私のことを覚えていてくれたら、とてもうれしいです。――遥香。


 画面を閉じた。

 バーテンの視線を感じる。グラスが空いていますがどうしますか、と訊いてきている。原田はまだいい、という視線を返した。それで会話が成立する距離感が好ましい。

 ――ぴったりの仕事か――

 好きで営業になったわけじゃない。子どもの頃は、絵を描いたり映画を見たり、音楽を聞くのが好きだった。お話が好きで、ベッドで親に絵本を読んでもらうのが大好きだった。小学校の頃、本を作ったり物語に関わる仕事につけたら楽しいだろうなとぼんやり思ったことを覚えている。

 おとなしく内向的な子どもだった。それがあるときから軽薄で社交的と評されるようになった。就職活動を始めてみると、就職氷河期の厳しさは想像をはるかに超えていた。書類選考で落とされるケースがいくつも続いた。そのたびに人格を否定されたような屈辱を味わった。

 原田が通っていた大学は、都内では中の上クラスの私立だった。学校名はそれなりに知られているが、特に成績がよかったわけでもなく、有利な資格を持っているわけでもない文系学生の履歴書が、一流企業の人事担当者の関心を引くことはなかった。

 第一志望だった大手の出版やマスコミからはエントリーの返事すらもらえなかった。中堅のメーカーや金融も門前払いに近かった。最初は会社を選んで応募していたが、まもなく業種も規模も関係なく、どこでもいいから片っ端にという就職活動になった。

 三十社を越えても内定は出なかった。つらかった。体力よりも気力が折れかけた。

 改めて新卒で就職活動をするために留年するか、卒業してフリーターになるか。母親からそれとなく前者を勧められ、甘えそうになったが、一年で何も変わるまいと思い、活動を続けた。落ち続けた。

 疲れ果て、あきらめかけたときに、名古屋にある自動車販売会社の営業社員の募集広告を見つけた。使い捨ての鉄砲玉セールスをかき集めているのがひと目でわかる広告だった。東京を離れるなどそれまで考えたこともなかったが、なかば自棄で応募したところ、三回の面接を経て内定が出た。

 うれしくて涙が出た。使い捨てだと思うとためらいも湧いたが、実際に内定通知を手にした後で、過酷な就職戦線に戻って行く気力は残っていなかった。

 知らない土地で死ぬ気で頑張った。休みなどなかった。最初は失敗もしたが、地道に知識とスキルを身につけ、人脈を築き、やがて運に恵まれた。気がつけば、百人近く入社した同期は三年間で十五人にまで減っていた。原田はトップで生き残った。

 あれから七年。今ではセールスは天職だと信じている。企業の名前と手厚い雇用契約に守られた生え抜きの連中などとは違って、自分の腕一本で渡ってきた自負もある。大げさにいえば、自分の存在意義みたいなものをセールスという仕事に感じている。

 それでもやはり、なりたくてなったわけではない。自分だって行けるものならあちら側へ行きたかった。ぬくぬくとした生え抜きの側へ。だからあれだけ必死に就職活動をしたのだ。

 何を今さらと自分でも思う。今から他の職種に就くなど考えられない。それでも、

 ――ぴったりの仕事なんかじゃない――

 そういう思いは体のどこかに残っている。

 これは迷いだと思う。三十を過ぎて感じることが多くなったのがその証拠だ。

 二十代は仕事を覚え、生き残るのに必死だった。すぐ前の足もとしか目に入らなかった。外資系で稼いでいた頃だって、腹の底では、いつライバルに出し抜かれるかとびくびくしながら生きていたのだ。

 三十歳を過ぎて、ようやく少し余裕が出てきた。経験を積み、次と、その次くらいに起こることを予測できるようになった。足もとから少し視線を上げ、先の景色を見ることができるようになった。そうして気づいてしまった。自分の未来が、過去と現在の延長線上にしかないことに。

 子どもの頃にぼんやりと考えた本やお話をつくる人には、もうなれない。もっと幼い頃にテレビで見て憧れたスーパーヒーローや、伝記で読んだ偉人にも自分はなれない。

 三十年も生きれば世間というものがわかってくる。世界はとてつもなく広くて、自分より大きな人が無数にいる。自分などちっぽけな存在で、子どもの頃に思い描いていたよりずっと小さな人生を送る。それで終わってしまう。

 きっと誰もが似たような時期を過ごすのだろう。自分の凡庸さを少しずつ思い知らされていく。三十代とはきっとそういう季節なのだ。

 家庭を持てば、別の世界が見えるという人もいる。しかしそこまで深入りした女はもういないし、新しい恋愛を始めるにもエネルギーが要る。先の見えないこの時代に、わざわざ大きな責任を背負い込むのも馬鹿らしい気がする。

 結局、金を稼ぐことが一番正解に近いと感じる。自分の能力を最も効率的に金に換え、先々に備えておくこと。

 ――間違ってなんかいない――

 逆境を言い訳にせず、自ら行動してチャンスをつかみ取ったのだ。努力して階段を上ってきたのだ。偉大ではないにしても凡人なんかじゃない。原田幹夫は成功者。周囲の嫉妬が何よりの証拠じゃないか。

 なのに、倉田遥香の手紙は思いがけず原田の心を叩いた。

 うらやましいと思ったわけではない。彼女はこれからも迷うだろう。遠い異国の地で、自分の選択が本当に正しかったのかと悩み、孤独に震える日が来るだろう。

 それでも、今この瞬間、彼女は自分の道を見つけたと信じている。その選択を誇らしげに原田に伝えてきている。

 その決意がまぶしかった。

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