崖の上の喪女(第9回カクヨムWeb小説コンテストに応募しています)

@Teturo

第1話 現代世界での職業



 ザシュ、ザシュ。


 枯野の草原の一角で、スコップを使う音が響く。一メール四方の穴を垂直に掘り、内部の地層確認を行っている女性の姿があった。


「砂丘未熟土が続いているとは、珍しい。この辺りの土壌は特徴的だな」


 土壌調査用のサンプル採取に熱中している、背の高い眼鏡の女性。彼女は何かに気が付き、黒髪のショートカットの頭を巡らせる。辺りの空気が焦げ臭い。見れば、風上から火の手が迫っていた。一瞬呆然とするが、採集キットを放り出すと、作業着を翻して走り出す。


 風下側は火が回っていないようだ。ススキ等の背の高い枯れ草が、パチパチと燃える音が聞こえて来た。熱と煙も徐々に強くなってくる。

 そう言えば職場の朝礼で、この地域の野焼きが問題になっていた事を思い出す。一人で掘削作業を行い、身体が地表に出ていなかった為、そこに人がいると思われなかったのかもしれない。

 猛然と走り出した女性、加藤香利かとうかおりは舌打ちをした。火の周りが早い。ひょっとしたら囲まれているのかも……



 香利は日本海側に面した某県で、農業改良普及員として普及活動に従事する、三十二歳になる公務員だ。最終学歴は国立大学農学部で、研究室では果樹園芸を専攻した。


 彼女の学生時代は、暗く冴えない。極端なド近眼を強制するために、分厚い眼鏡を掛けていた。そのせいで仮面のように、無表情な印象を与える。見た目も余り良くないし、背は高く胸は薄い。中学生まで、あだ名は「眼鏡ゴリラ」だった。


 全く異性にモテない彼女は、人生を淡々と過ごしている。国立大学を出て難関試験に合格し、地方上級県職員になったのだから勉強は出来た。いや、凄く出来る。研究室で就職浪人か、研究室残留か(修士に進学が出来ない為、研究生として)の選択に頭を抱えるクラスメートは唇を尖らす。


「香利、アンタは良いわよね。頭は良いし、優等生だから地方上級の公務員試験だって、キッチリ合格しているし」

「試験に受かったのは、準備に割ける時間が多く取れたからだ。別に頭が良い訳じゃない」

 進路断絶の土壇場でも綺麗に化粧をしている友人を見て、ノーメイクで泥の付いた作業着を着た香利は肩を竦めた。

「君の様に男を切らさない為に掛けている、途方もない時間と努力を試験勉強に振り分けただけだ。別に就職しなくても、今の彼と結婚すればいいだろう? 永久就職じゃないか」


 友人はバッチリ決めたアイラインの奥から、殺人光線を彼女に浴びせかける。

「知ってた? 今時、専業主婦なんて、この世に存在しないのよ。それが出来れば一番良いけど、今の彼氏じゃ望み薄よ。できれば腰掛で商社か、官公庁の窓口係にでもなって、将来有望な男を物色したいわ……」

 机に突っ伏して、両手でパタパタと天板を叩く友人。もう話す事は無いのだろうと、その場を離れようとした香利の袖を、友人は掴んだ。


「香利! アンタだけが頼りよ。職場で有望な男を見つけて、合コンで紹介して頂戴」

「ボクは総合職じゃなくて、専門職で行くからな。期待しないでくれ。恐らく配属先は……」

 友人は彼女の袖を話すと、盛大にため息を付いた。

「農業改良普及員かぁ。園芸試験場じゃ、良い男いないだろうなぁ」

「役に立てなくて申し訳ない。そろそろ液クロ(液体クロマトグラフィーの略)を止めに行く時間だから」

「その淡白な性格どうにかならない? そんなんじゃ、男が寄って来ないでしょうに」

「ボクは年齢イコール恋人居ない歴の喪女だぞ? 今更、どうしろと言うんだ」

 香利は友人を置いて、実験室へと足を進めるのであった。



 淡々と勉強を行い、成果を上げる香利。浮いた話は一つもなく、遊びまわるような性格でもない。そんな彼女にも、唯一無二の趣味があった。それが男子プロレス観戦である。学生時代は地元に興行があれば、欠かさず通い詰めた。無事就職浪人が決まりそうな友人が、暇に飽かせて彼女に付いて来る。


「興味が無ければ、面白いものじゃないぞ」

「いやいや、勉強マシーンの香利に趣味があるなんて、それだけで興味津々だよ。プロレスって面白いの? 今日の興行はN●AHだっけ」

「そうだ。皆、武藤敬二は見た目だけだと言うが、そんな事はない。本当の実力者は、どうしても彼のようなスタイルになるものだ。更に言えば、この団体は若手の台頭が激し……」

「ちょっと、ストップ! アンタが感情を込めて話をしているのって私、初めて見たかもしれない」

 友人が胸の前に両手を突き出し、驚きの目で彼女を見つめた。その時、ステージの照明が落ち爆音が鳴り響く。無数のスポットライトがジグザクに動き、その光が一点に集中する。


『武藤!!!』

 会場の観客席からの絶叫。飛び抜けて大きな香利の反応レスポンス

「お前ら、気合い入っているんだろうな!」

『ギャー』

 友人の耳には、断末魔の絶叫にしか聞こえない。隣の香利は上体を折り曲げ、喉から声を振り絞っていた。ドン引きする友人の姿が目に入らない彼女。ステージが終了するまでリングサイドのパイプ椅子に座る事無く、絶叫を上げ続ける。


 社会人になってからは、大阪、名古屋、東京などに遠征し、贔屓のレスラーの応援に駆けつけるようになった。香利の隣に、友人が立つ事は二度と無かったが。



 どうやら野火に巻き込まれてしまった香利。火に追われて、気がつけば崖の上に追い詰められていた。足下は十メートル程の高さがある。斜面を伝って崩れ落ちれば、骨折くらいで済むだろうか?

だな」

 彼女は苦笑いすると、背後を見渡す。風に追われた劫火が、目前に迫っていた。


「……どうせ死ぬなら全日 真鍋選手の全力ラリアットを、一撃喰らって死にたかった」


 香利は淡々とノーモーションで、崖の上から飛び降りた。


 

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