【怪談】必見! 鏡の中のサチコさん完全攻略法!【前編】

 あなたは、立華市に古くから伝わる怪談『鏡野かがみのサチコ』をご存知だろうか?

 怪談の内容はこうだ。

 夜、学校に忍び込み、校舎の北側階段3Fの鏡を覗き込みながら、


「サチコさん、サチコさん、教えてください――ー…」


 そう3回唱えると、彼女は現れる。

 鏡に映る自分の代わりに、長髪の少女が映る。そして、彼女はたった1度だけ、呼び出した者の知りたいことを教えてくれるのだという。

 それが何であれ、サチコさんは必ず答えてくれる。彼女に分からないことはなく、親友が同じ男の子を好いていることも、母親が不倫していることも、明日のテストの回答も、全て教えてくれるのだ。


 だけど3つ、気をつけなければならない。


 1つ、サチコさんに質問したあと、絶対に訊ね返してはいけない。

 2つ、サチコさんに質問できるのは、ただ1度だけ。

 3つ、質問したのなら、次の夜までに鏡の前に牛乳をお供えしなければならない。


 いずれかのルールを破ったその時、貴方は呪われる。

 そして、全ての鏡から、窓に映る景色から、空を映す水溜りから、サチコさんは現れて、貴方を襲い、鏡の中へと引きずり込んでしまうのだという―――…




「サチコさん、サチコさん、教えてください―――…」


 その夜、立華市第三小学校の校舎に忍び込み、北側の階段の3階踊り場の大鏡の前に少女が一人訪れた。


「サチコさん、サチコさん、教えてください―――…」


 少女は怪談に語られる通り、おまじないを3回唱えた。

 すると、グニャリと少女の映る鏡に波が立つ。

 波が去ると、鏡は前に立つ少女を映してはいない。

 二つお下げの、白い顔の少女を映し出していた。


「あ、サチコさ―――」

『ウザああああああああああぁぁぁッ!!!!』

 

 呼び出されるや否や、サチコは深夜の校舎の隅々にまで轟くような声で叫んだ。


『ア・ン・タ―!!! いい加減にしなさいよ! これ何回目よ!? 5回よ!? この一週間で5回! 分かってる!? 1回だって言ってんじゃん! それなのになんで5回も呼び出してんのよアンタ!?』

「え、だって…」

『いい加減に質問しなさいよ! いつもいつもいつもいつも適当な雑談で時間を潰して! 何しに来てんのよ!? アンタだって家族居るでしょ!? なのに、毎晩家を抜け出してこんなところまで来てさ! お父さんとお母さんに心配かけてるってわかってる!?』

「お、お父さんも、お母さんも、居ないから……」

『………―――』

「あの、その、わたし、施設に住んでて…」

『もういい! わかった! 私が悪かったから…! ごめん! もうこの話は止め! 止めよ! 止め!』


 鏡の中のサチコさんは非常に苦い顔をして、その場にあぐらをかいて座り込んだ。


『はぁ~…ったく…で、今日は何の話よ?』

「あ、あのね! 今日はね! テストで85点も取ったよ! ほら!」


 サチコを呼び出した少女は、嬉しそうにポケットから答案用紙を取り出して見せる。


『はーん。ああ、そう。それで?』

「吉住先生の授業で85点取れたの初めて! 嬉しい!」

『よかったわねー』


 完全に上の空のサチコ。

 しかし、そんなことはお構いなしに、サチコを呼び出した少女は話を続ける。


「あとね、あとね、今日は、隣のクラスの優香ちゃんとお話したよ!」

『へー。アンタ、友達いたんだ?』

「うん! 優香ちゃんと、サチコちゃん!」

『私ィ!? 何しれっと数に入れてんのよ!?』

「ダメ…?」

『ダメよ! アンタ、私のこと知ってて呼び出してんでしょ!? 私、怪異! 分かる!? 怪異なの! サチコ様なのよ!?』

「でも、小学生、だよね…?」

『小学生の頃に死んだからこの格好のまま怪異やってるだけで、私はめっちゃ年上よ!?』

「でも卒業してなかったら小学生だよ…?」

『正論…!? 急に正論で刺してきた!?』


 最終学歴が幼稚園であるという事実をを告げられ、サチコは頭を抱える。


『うぎぎぎ…。このクソ天然小娘めェ…』

「あははは」

『笑うな!』

「サチコちゃんと一緒にいると、愉しいね!」

『私は愉しくなーい!』


 助けてくれと言わんばかりに、サチコは叫んだ。




 鏡野サチコは何でも知っている。

 それは誤りだ。

 鏡野サチコは何も知らない。

 何でも知っているのなら、眼の前の親無しの子供の事情も、その境遇も知っていなければならないし、少女が見せた85点のテストの答案にはおまけの1点が含まれていて、実際には84点であることも知っていなければならない。

 鏡野サチコ…―――彼女は本来、ただ”鏡に映る”だけの怪異だった。

 呪いだの、鏡の中へ引きずり込むだのは、彼女が暇を持て余して始めた、ただのイタズラだ。

 適当な事を言って人を騙して、お供えの牛乳をせしめるためにやっている。

 彼女はそうやって、何十年も鏡の中で暮らしていた。

 怪異になってから、それが唯一の愉しみだった。

 なのに、それが急に変わってしまった。


『アンタ、呪いが怖くないわけ? ここまでの会話で、少なくとも15回は私に質問してるわよ? そろそろアンタを鏡の中に引きずり込んでいい?』

「え…? そうかな…?」


 少女は指折り数え始める。


「にー、さん……まだ4回くらいだよ?」

『え!? うっ、あ、そ、そうだったかもしれないわね…』


 15回という回数も嘘だった。

 適当に脅してやれば、このアホな少女が怖がって、ここから立ち去ると考えた。

 しかし―――…少女はしぶとかった。

 今週に入って5回。

 その翌週も5回。

 少女がサチコを知ってから、それからずっと、彼女は土日を除いた全ての夜にここを訪れていた。



「サチコちゃん、あのね、あのね!」

『あー…? 今夜は何?』

「クワガタ捕まえた!」

『ひょわぁぁぁぁーッ!? んなもん鏡の前に出すなー!?』

「え、クワガタ嫌い?」

『クワガタだけじゃなくて虫が嫌いなの! さ、さっさと仕舞いなさいよ!』

「えー? 格好いいのにな…。あ、じゃあ蝶々は?」

『蝶もダメ!』


 その次の夜も。



「サチコちゃん! 聞いてよ!」

『一体何よ…?』

「優香ちゃんから聞いたんだけどね! めっさつちゃんって人がいるんだって! 電話をするとね、悪いやつをバシバシ!って、やっつけちゃうんだって!」

『はぁー? 何それ、日曜朝9時からの新番組?』

「違うよー! 優香ちゃんは実際に助けてもらったんだって! サインも貰ったって! 電話番号も、教えてもらったよ」

『はぁーん…』

「サチコちゃんにも、教えてあげるね」

『別に知りたくないんだけど!?』


 その次の次の夜も。



「サーチーコー、ちゃん!」

『はーあーいー、って何それ!? なんかすっごい親しげに呼び出すのやめてくれる!?』

「えー?」

『そんな顔してもダメ!』

「えへへ! あのね! 今日はね! これを見て欲しいの!」

『あー? 何よ、この下手くそな絵』

「サチコちゃんと、私!」

『はぁー!?』

「友達を描きましょうって、図工の先生からの宿題。だから、一番の友達を描いたの!」

『怪異が一番の友達って、アンタ、マジ終わってるわよ…。私なんか友達にしちゃダメ。悪いこと言わないから描き直しなさい』

「えー?」

『”えー?” じゃない。人間を描きなさい、人間を。そうね、優香ちゃんでも描いたら?』

「ううん。サチコちゃんがいい」

『あー?』

「私は、サチコちゃんがいいの」

『あ、そ! もう、勝手にしなさい!』


 その次の次の次の夜も。



 毎晩、彼女はやってきた。

 サチコは鏡の中で蹲り、頭を抱える。

 どうして私があんなガキの面倒を見なければならないのか。

 鏡の中から動けないとはいえ、自分で決めた召喚法ルールとはいえ、あんな風にガキの面倒を見るために作ったわけじゃない。

 ある意味、あの名も知らぬ少女は、サチコを完全に封殺していた。

 彼女がいることで、が諦めて帰ってしまうのだから。


「サチコちゃん、実はね、私ね――――…」

『アンタ、マジ、もうここに来んな!』

「え…、ど、どうして?」

『アンタがここにいると商売上がったりなのよ…!』


 サチコは鏡の中から、階段の下からこちらを覗き見ている高学年らしい少女を見た。

 表情からして、秘めた恋が成就するかどうか訊ねに来た純情少女、と言ったところ。こういう輩は、報酬の払いもいいので(給食の牛乳なのだが、サチコはこれが好きだった)、サチコとしては歓迎なのだが…―――

 怪異を恐れぬ能天気の少女が専有していては、恋に恋する少女は諦めざる得ない。

 サチコの視界の端で、残念そうに恋多き少女は踵を返していった。


 もう限界だ。


「でも、私、ここにしか―――」

『んなことないでしょ! 施設で暮らしてるって言ってたっけ? 別にそこに誰も居ないわけじゃないでしょ! 同居人やら、世話してくれる人やら、色々いるでしょ! そいつらを頼んなさいよ…! あと、優香ちゃんだっけ? 友達居るんでしょ! なら私なんて居なくたって困んないわよね!?』

「でも―――…」

『”でも”も”かも”も無いのよ! シッシ! さっさと失せな!』

「――――サ、サチコちゃん…。あの、ごめんね…」

『………』


 トボトボと、名も知らぬ少女は立ち去る。


『………ちょっと言い過ぎちゃった、かしら…?』


 自分の怪異としてのあり方を否定する障害を取り除いただけ―――…そう思うも、生来の気質を色濃く残す彼女は、罪悪感に苛まれた。


『うー…! くそ! 私…! もう忘れろ!』


 鏡の中のサチコはのた打ち回る。

 翌日、その少女はサチコの前に現れなかった。


 その次の夜も。


 その次の次の夜も。


 その次の次の次の夜も。


 もう二度と、あの子は来ないのではないか…?

 それでいいではないのか…?

 自分は怪異なのだから、本来人とは相容れない。

 あの子の未来のためにも、自分なんかと関わっているべきではない。これでよかったのだと―――

 サチコは、自分にそう言い聞かせて過ごした。

 鏡の中が、酷く広く思えた。

 彼女は、この学校の”映るモノ”全ての内側に住んでいる。

 ここには何もない。

 ただ、外の世界の”あべこべ”があるだけ。

 だから、彼女は寂しくなって怪談を作った。

 行き交う人にありもしない怪談を語り続け、叫び続け、誰かが、彼女に話しかけてくれるように仕向けた。

 ああ、そうだ―――



「そうよ…。私は寂しがり屋よ」


 鏡の中に来る前から、そうだった。

 まだ人だったときから、そうだった。

 独りになって、思い出した。


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