【川釣り】釣れました【初挑戦】
鋭利な脚を持つ巨大な昆虫が、水から飛び出す。
残暑は飛び散る水飛沫を彩り、その川に垂れる青葉を濡らした。
定命の理から外れ、人を喰らうことで生き長らえてきた『
それは金属で出来た巨大なムカデ。めっさつちゃんが3本の愛刀が一つ。魔剣・脚切であった。
後ろ足を食い尽くされ、水を掻けなくなった『
その行く手を、黒い制服の少女が遮る。
滅殺と描かれたマスクをしたおかっぱ頭の少女は、夏の日差しを照り返す大太刀を手にしていた。
そして、逆の手には釣り竿を手にしている。
「よし、釣れた」
立ちふさがった正体不明の敵に、『
人間ならば容易に切り裂くその爪撃を、めっさつちゃんは最小限の動きで避け、その頭に白刃を叩き込んだ。
『
やがてその巨体は黒く染まり、パラパラと塵となって空中へ消えていくのだった。
めっさつちゃんは、もはや興味なしとでも言う風に踵を返す。
浅瀬に浸かっていたために、ローファーも靴下も水浸しだった。
鞘を拾って太刀を戻しながら川岸へ上がると、徐ろに靴も靴下も脱いだ。制服のスカートから伸びる、白くて細い脚が露わになる。
ローファーの中に溜まった水を捨て、びしょ濡れの靴下は絞って岩の上に干した。
大太刀と釣り竿は手近な岩に立てかける。
しばらくこの岩の近くで乾かす気のようだ。
しかしふと、彼女は脚切のことを思い出し、キョロキョロと見回して探し始めた。
脚切はタガメの脚を一本拝借し、岩の陰でガジガジと齧っている。
脚切の尾には、まだ釣り竿の糸が巻き付けられたままだった。
「ま、いっか」
めっさつちゃんは慣れないことをして疲れていたので、脚切は放っておくことにした。
怪異も倒したので、首から提げたアクションカムの電源も落とす。
めっさつちゃんは、岩の上にゴロンと横になった。
そしてマスクを外―――…
外そうとして、やめた。
気だるげに川下へ視線を向ける
遠くに、川遊びにやってきた子供たちの姿が見えた。
皆、学校指定の水着姿で、胸には名前と学年が記された名札が縫い付けられていた。
近くの学校に通う子供たちだろうか。
「こら! 綾香! 準備体操しないで川に入っちゃダメ!」
「あははは! ほらー! 川だよ! 早く入ろう!」
その中の二人。
双子の姉妹と思しきよく似た二人が、川に入った。
「綾香ちゃーん! 浮き輪膨らませよーよ!」
「後でー!」
「シートも広げなくっちゃ、私、浩子ちゃんのお手伝いに行くわね!」
お姉ちゃんはそういうと、川から離れて他の友人たちの元へと駆けていく。
「シートを、広げて―――そうそう。あ、荷物はここにまとめるのよ」
少女の片方は同級生の友人たちにテキパキと指示をし、もう片方の綾香と呼ばれた少女は、姉と同級生のことなどお構いなく川遊びを続けている。
全く正反対の二人だった。
「よーし、ベースキャンプは完成ね!」
「よし、それじゃ僕たちも川に行こう」
「あ、ちょっと待ちなさい! みんな! 準備運動!」
「そらー!」
「わぁー!」
「みんな来たー!」
「もうっ! みんなー!」
ベースキャンプに一人残されたお姉ちゃんは、口を膨らませる。
「私が荷物番しなきゃならなくなっちゃったじゃない!」
プンプンと怒りつつも、真面目な彼女はレジャーシートの上に腰掛け、川で遊ぶ同級生たちを見つめる。
「ほんっと、みんな子供なんだから!」
そう言ってはいるものの、やがて険しい表情は緩み、微笑んだ。
少女は、川で遊ぶ同級生たちと、自分の妹を見つめ、穏やかな時間を過ごす。
白い雲が、夏の空を流れていった。
しかし、1時間も川で遊ぶと、皆疲れてきたようで、川から上がってくる。
濡れたままシートへ近づくと、いつの間にか荷物から取り出され、シートの上に並べられたタオルを手に取る。
「あれ、タオル…」
「お疲れ様。今度は私が遊んでくるからね!」
真面目な少女は、そういうと川へと歩んでいく。
川べりでちゃんと準備運動をして、そっと、ゆっくり、川に脚を浸けた。
「冷たい」
「あれ? もう、みんなもう上がっちゃった? つまんないの!」
「綾香も適度に休憩したほうがいいわよ」
「私はまだ遊べるもんね!」
そういって、綾香は川の深みへと泳いでいってしまう。
「危ないわよ! この川には、悪い妖怪が住んでるんだから!」
「向こう岸まで泳いじゃうもんね!」
「綾香!」
順調に泳いでいた綾香だったが、突如、ガバッとその身体が水の中に沈んだ。
バシャバシャと、両腕が水面を叩く。
「足、足が…!」
「綾香!?」
姉の少女は叫びを上げ、一度振り返った。
他の同級生たちは皆、レジャーシートの上にいる。綾香が溺れていることに気づかない。
姉の少女は、同級生たちを呼ぶよりも、そのまま妹を助けに行くことを選んだ。
川の中に飛び込み、魚のように素早く泳いで、妹の元へと辿り着く。
「足が攣ったのね!? 痛いかもしれないけど、痛みを堪えて、身体の力を抜くのよ! そうすれば、沈まないわ!」
「助けて! 助けて! お姉ちゃん!」
「ああ、もう!!」
姉は必死にパニックになった妹を抱え、立ち泳ぎでゆっくりゆっくり岸へ泳いだ。
「もうちょっとよ、頑張って!」
「お、お姉ちゃん…?」
「ほら、顔を上げて! 水を飲んじゃうわよ」
綾香にとって、姉はいつも口喧しい存在だった。
居なくなって欲しいとすら思っていた。
けれど―――…
岸に着いた綾香は、涙を流していた。
「お姉ちゃん……ありがと……お姉ちゃん……」
「大げさねぇ」
姉の少女は、ふぅ、と顔の水滴を拭う。
「いい? これに懲りたら、水に入る前にはちゃんと準備運動するのよ?」
「お姉ちゃん…ごめんね…」
「………。わ、私は、みんなを呼んでくるからね。ほら、足伸ばしておきなさい」
そう言って、紅潮した姉は妹から離れ、同級生の友人たちの元へと駆けていった。
その後を、妹は泣きながら、攣った足を引きずりながら追っていった。
「わ! 綾香ちゃん、どうしたの!? 大丈夫!?」
「…だいじょうぶ」
「足、痛いか? こういう時はよく伸ばしたほうがいいって、絵莉姉ちゃん言ってたぞ」
「…うん」
「もう今日は川で遊ぶの止めとくか。俺んちでスイカ食おうぜ。な?」
友人が溺れたことで、川遊びの気分でなくなったのだろう。
同級生たちは荷物を片付け始める。
「はぁ、まったく。ダメな妹を持つと大変だわ」
片付け始めた同級生達と、妹を見て、真面目な姉はため息をついた。
「でも、姉妹だもんね」
彼女は、妹が生まれたとき、母親に言われたのだ。
絵莉はお姉ちゃんになるんだから、この子をお願いね、と。
それから、彼女はお姉ちゃんになった。
ずっとずっと、これからもずっと、彼女は綾香のしっかり者のお姉ちゃんだろう。
やがて、片付けの済んだ同級生たちが、河川敷の土手を登っていく。
「綾香。まだ足痛いか? 背中、乗れよ」
「……うん」
同級生の男子の背を借りて、綾香も河川敷を登っていった。
「よっくん」
「どした?」
「お姉ちゃんが、助けてくれたよ」
「……そうか。絵莉姉ちゃん、面倒見が良かったもんな」
「…うん」
「そりゃそうよ」
何を当たり前のことを、と絵莉は憤慨する。
「私は、アンタ達のお姉ちゃんなんだから」
5年5組 六堂 絵莉。
胸を張る彼女の水着の名札に書かれた名前。
そうして、妹は川辺を振り返る。
その胸の名札―――6年5組 六堂 綾香。
「私もよっくんの家でスイカ頂こうかしらね―――」
忘れ物が無いかどうか見た後、しっかり者の姉も土手に足をかけた。
だが、河川敷の土手を登ろうと―――登ろうとしても、先へ進めない。
「あ、あれ…?」
何故か、そこから先へと進めない。
川から、離れる事ができない。
「え…? あれ…!? なんで…!?」
私も一緒に行きたいのに。
私も一緒に遊びたいのに。
私だけが、先へ進めない。
河川敷の道を、同級生達が進んでいく。
その背中が遠くなっていく。
深い夏の蒼い空に浮かぶ入道雲の方へ、皆が歩いて行ってしまう。
「ま、待ってよ! 置いて行かないで!」
叫んでも、彼女の声は誰にも届かなかった。
彼女はここに独り残される。
なぜなら、
ジャリ―――
河川敷の石を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
絵莉は振り返る。
そこには、見知らぬ制服を着た、おかっぱ頭の女性が立っていた。
顔にはマスク。両手にそれぞれ大小の刀を握っていた。
「あ、あなたは―――?」
「ゆーちゅーばー」
「ゆ、ゆーちゅーばー?」
「残念だけど、君はどこにも行けない」
一歩、その女性は歩む。
「何故なら君は、もう終わっているから」
「お、終わってるって―――…」
二歩、その女性は歩む。
「君はもう、とっくに死んでるから」
「死―――…」
突如、絵莉の脳裏に恐怖が蘇る。
水から伸びる巨大で鋭い脚。
突き刺さる痛み。
吹き出る熱。
水の中に引き込まれる恐怖。
そこから先の、記憶はない。
目覚めたらここだった。
いつも変わらぬ、夏の日の川だった。
いつもの遊び友達と、大切な妹と、夏になれば必ず一緒に遊ぶ場所。
「わ、わた、わたし―――…」
三歩、女性は止まる。
片方の刀を足元に落とし、長い刀を引き抜いた。
白刃が深い空を映す。
「わたし、は――――…」
最期にもう一度、絵莉は振り返った。
変わらぬ夏を歩んでいく友を。
愛する妹の背中を。
もう届かない、夏の日を。
「…――――大丈夫。私、お姉ちゃんだもん」
「………」
「だから、怖くない。怖く、ありません。大丈夫です」
絵莉は、死神に視線を戻した。
「一人で逝けます」
「そっか」
怪異を斬る刃が、ゆっくりと鞘に戻る。
「お姉さん。気づかせてくれて、ありがとうございました」
「気にしないで」
怪異を殺す少女は、マスクを外した。
その小さな唇が笑む。
「じゃあね」
「はい」
絵莉の姿は、夏の空に溶けるように、消えていく。
斬られることなく―――…それ以上の恐怖を覚えることなく―――…穏やかに。
見えなくなる瞬間、絵莉の目から溢れた雫が、足元の石に落ちて、小さな黒点を生んだ。
「白雲の 此方彼方に 立ち別れ 心を幣と 砕く旅かな」
誰にとも無く、めっさつちゃんはそう詠んで、空を見た。
蒼穹は高く広がり、彼方の入道雲が、山脈のように聳えてる。
肌を焼く、鬱陶しい夏の日差しも、今ばかりは気にならなかった。
ただし、落とされた刀が、少女の脚が食えなかったとカタカタ震えて抗議する。
めっさつちゃんは、軽く脚切を蹴って黙らせると、刀と釣り竿を手に帰路についた。
たまには、こんな日も悪くない。そう思いながら。
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