【怪談】必見! 鏡の中のサチコさん完全攻略法!【後編】

「サチコさん、サチコさん―――」

「ッ!?」


 サチコは外の世界から届いた声に顔を上げ、思わず駆け出す。

 知ってる声だ。

 あの子の声だ。

 鏡の前に立つと、そこには、やはりあの子が立っていた。

 よかった―――よかった―――…!


『ひ、久しぶりじゃない! もう来ないかと思ったわよ! 今まで何して―――』


 そう言ったところで、サチコは少女の異変に気づいた。

 顔が痣だらけだ。

 右腕にギブスを巻いている。

 左足をずっと庇ってる。


『なっ――ア、アンタ! その怪我どうしたのよ!?』


 事故にでも遭ったのか…?

 だから姿を見せなかったのか…?


「サチコちゃん、あのね、この前、言いそびれちゃったんだけど、わたし、新しいお父さんが出来たんだよ」

『は、はぁ…!?』

「けど、その、ちょっと厳しい人で…。夜に、抜け出そうとすると、お説教されちゃうから、あんまり来られなかったの…。ごめんね…」

『私の質問に答えなさいよッ! その怪我はどうしたのかって聞いてんのよ!』

「これは…その……お、お父さんが…」

「そいつにやられたっての!? 虐待じゃない! こんなの!」

「わ、私が悪いの…。私が、出来ない子だから…。だ、だからお父さんのことは…」

「アンタ騙されてるわよ!? こんなの普通じゃないって! 痣だらけじゃない! 右手も、動かないでしょこれ!? 酷いわよ、こんなの!」


 少女の目が泳いだ。

 瞬間、電話のコール音な鳴り響く。


「あ、あ……お、お父さんだ…」


 少女は震える手で、ポケットの中で鳴るスマートフォンを手に取った。

 彼女の新しい父親が、彼女に買い与えたものだ。

 電話を取る。

 途端に、怒鳴り声が電話口から溢れ出た。

 曰く、


『勉強から逃げるな!』

『お前には期待しているんだ!』

『私がお前を幸せにしてやる!』

『逃げるな! どこに居ても迎えに行く!』

『全部お前の為にやってやってるんだぞ!』


 まるで呪詛のように、その小さな機械から心を砕いて砂にしてしまうような、大声が放たれ続ける。


「ざっけんなっ!!!」


 震えるばかりで答えられない少女の代わりに、サチコが吠えた。


「これ以上、この子に何かしてみなさい! お前を呪い殺すぞ!」

『お前、誰だ…?』

―――?」


 サチコが畳み掛けるように叫ぶ。


「私は鏡野 サチコ! さあ、質問に答えたわよ!」

『だから何だっていうんだ!? お前は何だ!? 私のみおとどんな関係だ!?』

「私に!?」


 怪談の条件が満たされる。


「お前は絶対に呪い殺すッ! 鏡の中に引きずり込んでやるッ! 世を映す虚像の全てに震えて眠れ!」

『澪! お前の居場所は分かってる! そんな不良と付き合うんじゃない!』

「あ”ぁ”!? 上等よ! 来るなら来なさい! 憑き殺される準備が出来てるってんならね!!」

『黙れ!』

「アンタ、こんな奴の言う事聞く必要無いわ! その傷だって、こいつにやられたんでしょ!? 私には分かるんだからね!」

『お前に何が分かる! これは教育だ! 澪には才能があるんだ!』

のよ! 怪異を舐めんなクソ野郎!」

『澪! 澪! 直ぐに行くからな! そこから動くなよ!』


 そうして、通話が切れた。


「はぁ―――はぁ――――…ざっけんじゃないわよ…」


 息を切らせながら、サチコは通話の切れたスマホを睨む。


「さ、サチコちゃん…」

「アンタ! あんな明らかに危ない奴なんかどうして父親にしたのよ!?」

「だ、だって、わ、わたし…家族が欲しくって…」

「にしたって選び方ってもんがあるでしょ! まったく! アンタ、他人ヒトを視る目がないのよ! だから―――」


 だから、自分なんかに目を付けられるんだ、とサチコは思った。


「―――とにかく、あのクソ男が来るってんなら、一緒に逃げましょう。さもないと連れ帰られて、もっと酷い目に遭わされるわよ」

「え…に、逃げる、の…?」

「そうよ」

「どこに、逃げる…の?」

「どこって、そりゃ、ここよ!」

「ここ…?」

「鏡の中よ!」

「え…? え…?」

「ここなら絶対安心よ! 見つかりっこないわ!」

「さ、サチコちゃん―――?」

「ちょっと退屈だけれど、気が楽よ。いじめてくる奴も居ないし、うるさい事言われないし。ただ、まぁ―――少し、寂しいところだけど―――でも、アンタと一緒なら、そうでもなくなるわ。だから―――」


 だから、と。

 サチコは鏡の中から手を伸ばした。

 ずぶずぶと、鏡の中から白い手が延びて、少女の左手を掴んだ。

 怪談は、とっくに成立している。

 そこにかたられる通り、彼女は彼女の答えに聞き返した者を、鏡の中に引きずり込める。


「だから、行きましょうよ。きっときっと、アンタも気に入るわ」

「ひっ―――」


 触れられた瞬間、少女―――澪は、喉を鳴らした。

 手にしていたスマーフォンを床に落とす。

 乾いた音が、廊下に響いた。


「や………ヤダッ!」

「――――」


 サチコは、恐怖に震える少女の瞳に、怪異となった自分自身が映っているのを見た。

 髪を振り乱し、白い顔をした、不気味な笑みを浮かべた小学生。

 目を血走らせ、己の孤独を解く者を求め、鏡の中に引きずり込もうとする怪異。

 歯を剥き出し、恐ろしい力で鏡の中に生者を引き込もうとする亡者。


『―――………ああ』


 サチコは、思わず手を離した。

 途端、少女はよろめくように、鏡から離れる。


『………だから、言ったのよ』


 鏡の中から身体を半ば乗り出した怪異は、寂しげに言った。


かいいなんて、友達にしちゃ、ダメだって』


 そして、ずぶずぶと、鏡の中に沈んでいく。

 怪異が見せた本性に恐怖し、身体を固くする少女を見つめ、消えていく。


 結局、怪異は怪異なのだ。

 その性質を変えることはできない。

 もう、人なんかじゃない。

 だから人とは生きられない。


 鏡の中で、一人ぼっちの怪異は膝を抱えた。

 音もなく、命もなく、ただ、彼女だけが在る世界。

 全てが嫌になった彼女は、鏡の中世界を望み、この世界に来た。

 鏡の中の怪異であることを、彼女が望んだのだ。

 だから、これは、全部自業自得。

 これまで、なんとも思わなかったけれど―――…


 少女に触れたときの熱が、まだ手のひらに残ってる。

 一緒に居られた奇跡みたいな時間が、記憶の中に染み付いている。

 まるで呪いのように。


 サチコは顔を上げ、鏡の先を見た。

 呆然と廊下に佇むあの子を、男が迎えにやってきた。

 あの子を殴って、髪の毛を掴んで、引きずっていく。


『忘れるところだった。もう一人、引きずり込まなきゃね…』


 校舎から出られてしまったら、見失ってしまう。

 見失ってしまえば―――…サチコの力だけでは、鏡の中からあの男を見つけられないだろう。

 サチコは鏡の先を見た。

 鏡の前に、喋る手鏡スマートフォンが落ちている―――…



 サチコさんは何も知らない。

 けれど、その電話番号を知っている。

 彼女は何でもは知らないけれど、教えてもらったことは憶えてる。

 めっさつちゃん。

 電話をしたら、悪者を倒しに現れるというヒーロー。

 いいや、違う。

 彼女は、それより前に、子供たちの話す噂で、その存在を知っていた。

 怪異を斬り殺して回る女。

 彼女と同じ、そういうを。



 ぴろぴろぴろ―――

 がちゃ。


「はい、どちら様でしょうか?」

『ねぇ、取引しない?』

「え!? な、なんですか、突然…!? あ、怪しい勧誘ですか!?」


 そう驚くのも当然だ。

 サチコも苦笑する。

 

『私、怪異。鏡野 サチコ。名前くらいは聞いたことあんでしょ?』

「………はい」


 しかし、自分の名を告げると、電話口の女性の声音が変わった。

 相手は釣り針を呑んだようだ。


『私も、あんたのことは知ってる、怪異殺し。かいいを斬り殺したくて仕方がないでしょ?』

「………」

『だから、私の居場所を教えてあげるわ。好きなだけ斬り刻めばいい。けれど、その前に、助けて欲しいの』

「助けるって、誰を助けるんですか?」

『いま、立華第三小学校にいる女の子。里親に虐待されて、逃げてきたんだけど―――捕まって、いま車に乗せられそうになってる』

「えぇ!? 事件じゃないですか!? そういうのは、警察に―――」

『警察には、もう電話した。イタズラだと思われたけどね』

「………」

『お願いよ、正義の味方。を助けて』


 困惑と思案の感情が渦巻いた、数瞬の間があった。


「………案件、承りました」

『…―――ありがとう』

「いえいえ。けど、貴方はたぶん勘違いしていらっしゃいます」

『あん?』

「私、めっさつちゃんじゃないです。命拾いしましたね」

『はぁー!?』



 深夜、車が走り出す。

 男はとにかく不機嫌だった。

 せっかく里親になったというのに、何も上手く行かない。

 自分の教育ならば、里子はきっと賢くなれる。幸せになれる。

 だというのに、どいつもこいつも、抵抗して、反抗する。

 居場所を特定するために、スマートフォンを渡しておいて正解だった。

 今度は自由に家から出られないように、鍵付きの部屋に閉じ込めておくか――…

 ハンドルを握り、車を走らせ、最初の赤信号で止まった。 

 瞬間、何かが前を横切る。

 一体何だと暗闇に目を凝らす前に、車がパンッ! と大きな音を立てて傾いた。

 パン! パンッ! と、立て続けに破裂音が続く。

 何事かと、車を降りる。

 見れば、車のタイヤが全て、何か鋭利なものに斬り裂かれ、ズタズタにされていた。


 ぎちぎちぎち―――


 金属の擦れ合う音が、頭上から聞こえた。

 男は見上げる。

 そこには、無数の脚がうごめいている。

 人の物もあれば、人ならざる物もあった。

 動物のものもあれば、得たいの知れない物もあった。

 脚、足、脚、足。

 数多の脚足が、連なり、繋がり、形を成している。

 それはまるで百足かいいだった。

 男は言葉を失う。

 恐怖に、全身が震える。

 急に脚の力が抜けて、車を背にして寄りかかる。

 見れば、自分のその脚に、無数の小さな銀に鈍く光る百足が喰らいついていた。

 男は絶叫を上げた。


『分かる。私も、虫は嫌いなのよね』


 巨大な百足の影を映す車の窓ガラスから、少女が白い両手を伸ばして、男の頭を抱いた。


『捕まえた』


 叫び声を上げたままの男は、ズルリと、世界を映す窓ガラスの中に引きずり込まれて、消えた。


 


 明け方、赤信号で止まったままの車から、少女が一人救助された。

 少女は全身に打撲を負った状態で気を失っており、その状態からして虐待、あるいは誘拐の可能性が高いとして、警察が捜査を開始した。

 事件発覚の未明にサチコと名乗る人物から通報の連絡があったことから、警察は市内で私塾を営む、被害者の少女の父親を逮捕。

 逮捕時、男は立華市第三小学校3Fに侵入しており、重度の錯乱状態だったという。

 加えて、何故か踊り場に設置されていた鏡が、鋭利な刃物によって真っ二つに破壊されていた。

 警察は、男が何らかの理由で鏡を破壊したと見て、余罪を追及している。




 ―――…と、いうのが、表向きの事件の顛末だった。

 車から発見され、病院に入院することになった足立 澪の病室に、朝から見舞いに尋ねる者がいた。

 一夜にして、大切な友人も、新しい父親も失った澪は、自失呆然のまま、ベッドの上から窓の外を見ていた。

 澪は、あの土壇場で、友人を裏切った。

 一緒に逃げてくれると言った、あの子を裏切った。

 あの子が怪異だってことは、ずっと前から知っていたのに。

 澪には、怪異になる勇気がなかった。

 腕を掴まれて、本当の彼女の姿に恐怖した。嫌だと思った。

 きっともう二度と、あの子が彼女の前に、姿を現すことはないだろう。

 しかしそれでも、彼女は窓を見つめる。

 そこに世界に、ひょっとしたら大切な友人の姿が映らないかと、微かに期待して。

 映った世界の中で、扉が開いた。


「こんにちは、初めまして。足立 澪ちゃん」


 やってきたのは、流れるような長髪の、眼鏡の美人のお姉さん。


「だ、誰、ですか…?」

「私は、柳町やなぎまち 紗智子さちこって言います」

「サチコ――…」

「はい。実は貴方のお友達に、お友達になってやってほしい、って頼まれまして。普段ならこんなことしないんですけど、から―――」

「え―――?」

「私のことは、気さくに”さっちゃん”と呼んで下さい。澪ちゃん」

「さ、サチコちゃんは!? サチコちゃんは、いるんですか!? 鏡が、割れちゃったって聞きました! サチコちゃんは―――…」

「……」

「わ、私、サチコちゃんに酷い事をしちゃったんです…。サチコちゃんは、一緒に逃げようって、言ってくれたのに、私、あの子の手を、振りほどいちゃって…。そ、それで、サチコちゃん、とっても、とっても悲しそうな顔で―――」

「怪異と人は、絶対に相容れないんです。もし澪ちゃんがサチコさんについていっていたなら、きっと助けられませんでした。あのままずっと、鏡の中だったでしょう」

「それでもっ! わたしはっ!」


 肺が破裂しそうな程の声を、彼女は生まれて初めて放った。


「わたしは、サチコちゃんが、大好きだったんです…っ! わたし、サチコちゃんにもう一度会いたいです! 謝りたい…! それに、お礼を、お礼を言いたいです!」


 たとえ相手が怪異であっても、彼女にとっては大切なヒトだった。

 間違っていても、誤りだったとしても、彼女の中でそれは変わらない。


「――――…だ、そうです。これはもう私にはお手上げです。どうします?」

『………ど、どうするも、こうするも―――』

「サチコちゃん…?」

『あ…、しゃ、喋っちゃった!』

「サチコちゃん…!」

『あああああああ! も、もう! アンタ! 大好きとかそういうのは、そんな簡単に他人に言うもんじゃ―――』

「サチコちゃんッ!!」


 さっちゃんは、澪が無くしたスマートフォンを彼女に返した。

 画面には顔を真っ赤にした、二つお下げの少女が映っている。

 


『ま、まったく! アンタは危なっかしくて見てられないんだから。だから、その、もう少しだけ、アンタの人生に付き合ってあげるわ。感謝しなさいよね――――澪』

「うん…! うん…!」


 澪の涙が、スマートフォンの画面に落ちる。

 さっちゃんは役目を終え、静かに席を立ち、病室を出た。

 おかっぱ頭の死神が、病室の前で友人を待っていた。今日は刀を持ってはいない。


「なんとか、大丈夫そう」

「そう」

「今回はごめんね。我儘言っちゃって」

「ううん。別にいい。それに、どうせ私には斬れなかった」

「え?」

「さっちゃんと同じ名前の相手を斬るのは、気が引ける」

「あはは…。けど、まぁ、さすがに今回は動画にはできなさそうだねぇ」

「そんなことない。あの怪談の解説動画にすればいい」

「えぇ?」

「斬ったあとの怪談の内容なら、謎の権利者に消されないと思うし」

「なるほど」

「うん、きっといい動画になる」



 立華第三小学校の鏡が両断されたことで、怪談は終わった。

 もうどこにも、人を鏡の中に引きずり込む怪異はいない。

 たぶんきっと、もう二度と現れることもない。

 死神もさっちゃんも姿を消して、その病室に残ったのは、勝手に喋りだす奇妙なスマートフォンと、笑顔を取り戻した少女だけとなった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る