【遠征回】噂の異界に取り込まれたらヤバすぎ!

 こんな噂があった。

 舞台は、郊外の巨大ショッピングセンター。

 海外製品を大量に仕入れ、その物量や県下最大と言われるその場所で、時折、人が行方不明になるのだという。

 数多の商品が陳列され、まるで迷路のようになった店内は、見る者にとってはアミューズメントパークだけれど、方向感覚が鈍い人間にとってはまさに迷宮に見える。

 だから、時には人が、同じところをぐるぐるぐるぐると、巡り、廻り、迷って、出られなくなるのだとか。

 そうして、そんな迷い人が、本来入れないはずのショッピングセンターの裏側へ辿り着く。

 綺麗に並んだ商品。値札も、販売促進のポップもそのまま。

 電気もついているし、水道も通ってる。トイレも使える。

 だけど、誰も居ない店内。

 足跡一つ無い清潔な床からは仄かに腐臭が漂い、出口はない。

 入れば二度と出られない異界。

 そんな場所が、このショッピングセンターのどこかにあるのだという。


 噂は聞いていた。

 学校で皆が話していたから。

 けれどそれは、いきなり郊外に建ったショッピングセンターのせいで、売上が減った商店街の人達の流した根も葉もない話だと思っていた。



 自分が異界に取り込まれるまでは。


 

 私は、立華市立高校2年、五島 花織。

 学校の帰りに、出来たばかりのショッピングセンターに遊びにきた。

 明日から夏休みだから、学校が半日だったから。

 友達と一緒にやってきて、ぬいぐるみを見ていたらはぐれてしまった。

 友達を探して、店内を巡っているうちに―――…


「どこよ、ここ…」


 やがて、店内から誰も居なくなった。

 あの噂通りに。


「噂、ホントだったの…?」


 嫌な汗が背中を這い、鼻孔は肉の腐った嫌な臭いを感じている。

 

「で、出口…出口まで、行ってみよ…」


 自分を奮い立たせるために、独り言を呟いて、私は出口へ向かう。

 たしか、お店に入ってすぐのエスカレーターを1回使って登ってきたから、下へ向かう階段か、エスカレーターを見つければ、出口にグッと近づくはずだ。

 私は、階下へ向かう方法を探すために歩いた。

 しかし、歩けど歩けど、エスカレーターなんてない。

 そればかりか、3Fへ行くための上りエスカレーターさえない。

 エレベーターもない。

 絶対におかしい。私はエスカレーターでやってきたはずなのに。

 だからここは、本当に異界。


「助けて!!」


 私は駆け出した。

 手近な窓へ近づく。

 はめ込み窓の外は、黒一色だった。

 シャッターか何かが閉まっているみたいだ。

 私は近くにあった売り物の椅子を手に取った。

 それを窓に叩きつける。

 バンッ! と大きな音がするが、壊れない。


「なんで割れないのよ! これ!」


 もっと硬いものを―――と、今度は金属で出来たハンガーラックを引きずってきてぶつけた。

 しかし、傷一つ付かない。


「はぁ…はぁ……」


 壊せない。

 これだけやって、それだけは確信した。


「で、出口……」


 出口なんて、あるのだろうか…?


「う、ううん! ど、どこかにあるわよ! 絶対…!」


 不安を振り払う。

 そうしていなければ、心が壊れてしまいそうだったから。

 私は再び歩きだした。

 次にカウンターが見えるまで、次に家具のコーナーが見えてくるまで。

 そうやって、小さな目標を決めて、ゆっくりゆっくり進んだ。

 しかし、果てはない。

 ふと思いつき、地面にマークを描いた。

 しばらく真っすぐ歩いて、マークを探す。

 マークは見つからない。


「ループはしてないみたい」


 ならば、いつかこのフロアの端に辿り着くだろうか?

 歩き続けているうちに、私は汗だくになり、足が痛くなって、座り込んだ。

 疲れた。

 一体どれくらい歩いたのだろうか。


「………」


 スマホを取り出す。

 何度も確認したけれど、Wifiも5Gも繋がっていない。

 時計も壊れているようだ。現在時刻は、この店に来た時間で止まっている。


「お腹すいた…」


 私は、陳列棚を見た。

 子供向けのお菓子が並んでいる。

 ウー…とうなりながら、ペットボトルを冷やす業務用冷蔵陳列棚に飲料が並んでいる。


「だめ、ダメダメ…」


 こんな世界の食べ物が正常かどうかなんて、分からない。

 あの食料に手を付けるのは、後だ。

 喉の乾きも、空腹も、我慢しなくてはならない。

 だけど疲労だけは、回復させたほうがいい。

 そうしなければ、歩けなくなってしまうから。

 私は、レジカウンターの内側に入ると、横になった。

 目を閉じる。

 こうやって、少しでも体力を回復させよう――――…



 それから、どれくらい経ったのか。

 正確な時計が無いから分からない。

 だけど、不可思議な音がして、目が覚めた。

 トン、トン、トン…と、何かが跳ねるような音だ。

 誰か助けが来たのかもしれない。

 期待してレジから身を乗り出そうとしたが、思い留まった。

 様子を見よう―――…そう思ったのだ。

 音は近づいてくる。

 もし、近くで見てみて、本当に人だったのなら、その時声をかければいい。

 私は、ただ待った。

 そして、音は大きくなってきた。

 レジカウンターから、少しだけ顔を出し、通路の向こうを見る。

 商品棚の合間を、何かが動いている。

 抱きまくらのような、ふかふかした太い足をいくつもつけた、ピンク色のぬいぐるみのキノコのような物体が歩いていた。

 ドラム缶のように太い胴体に、真っ黒に濁った目玉がついている。

 それをギョロギョロさせながら、陳列棚の間をトン、トン、トン、と小気味良く歩いている。


「何よ、あれ……」


 少なくとも人間じゃない。

 頼るべきではない、警戒すべきナニか。

 それだけ分かれば良い。

 私はゆっくりとレジカウンターの裏に隠れた。

 息を潜め、ぬいぐるみキノコが何処かへ立ち去るのを待つ。

 しばらくして、足音が聞こえなくなった。


「…あんなのがうろついてるの…?」


 外見からして、危険な相手に見えた。

 私は、近くのハンガーラックを分解し、長い柄を手にした。

 何かあったときのための武器だ。使わないに越したことはないけれど、何もわからない今の状況では、武器を手放せない。


「よし、行こう」


 出口があると信じて進むしか無い。

 それから私は―――…歩き、歩き、歩き、歩き、歩いた。

 疲れたらレジカウンターの裏で休み、時々、トイレに寄りながら。

 水はトイレの水道から飲んだ。

 食べ物は我慢した。

 出口を探して、無限にも思えるショッピングセンターを歩き続けた。

 足が思うように動かせなくなって、手にしていたハンガーラックの柄を杖にした。

 それでも歩いて―――…


 動けなくなった。

 お腹が空いたし、足が酷く痛む。

 目が霞んで、頭が痛い。

 どうしてこんなことになったんだろう―――…ただ、夏休み前に、友達と遊んでいただけなのにな…。


 目を閉じてしまえば楽だと、頭の中の私が言った。

 だけど、まだ、夏休みが。

 まだ私には、楽しみにしていた夏休みが。

 無機質なショッピングセンターの床の上、脳裏に浮かぶのは、家族と、友人たちの顔と、好きな人―――…


 トン、トン、トン、トン…


 その不気味な音が聞こえてきた。

 

「か、隠れなきゃ…」


 這いずって、レジカウンターを目指す。

 だが、その音は、以前よりも何倍も早かった。


「嘘でしょ…」


 まるで、私の居場所がわかっているようだった。まっすぐに近づいてくる。

 きっと、奴は待っていたのだ。

 私が動けなくなるのを。

 

「嫌よ、私は―――…」


 床を這う私は、その視点になって初めてそれを見つけた。

 今までずっと、気づかなかった。

 どうして仄かに腐臭がするのか。

 私は、目の前にある”床下点検用のフロアーハッチ”から、腐臭が漂うことに気づいた。


「………」


 まさか。

 まさか、まさか。

 逃げなきゃいけないこの状況なのに、私は、ハッチに手をかける。

 私は、ハッチを開いた。

 ハッチの中は狭く、人がなんとか潜り込めるほどの深さしかなかった。

 そこに、赤黒く腐食した人間が、押し込められている。

 骨と皮だけになった赤黒く変色した死体だった。


「あ……あ…………」


 このフロアーハッチが一体何なのか、この異界を作り出したものには、きっとわかっていなかったのだろう。

 だから、ゴミ捨て場にしたんだ。

 この永遠の世界で、力尽きた獲物を食らって、その残骸は、偶然目の前にあった床の扉の下に押し込んでいる。

 

 トン、トン、トン―――


 ああ、あの足音の主。

 あれは、危険な存在だ。

 逃げなきゃ、直ぐに―――…


 トン。


 足音が、止まった。

 振り返る。

 まだ、距離は遠かった。20mか、30mか、それくらいのはずだ。

 だけど初めて、ピンクのキノコと目が合った。

 ギョロリ、と、キノコが私を見た。

 キノコの目が、赤黒く血走る。

 途端、凄まじい速度で、キノコが駆け寄ってくる。

 先程のスピードの比ではない。無駄にあるばかりだと思っていた太い足を駆使して、車のような速度で走り寄ってくる。

 逃げ切れない―――

 

 


 少女の顔が、絶望の色に染まり切る瞬間、キノコと花織の間にある天井が、唐突に崩れ落ちた。

 電灯を割って、瓦礫を弾いて、黒い何かが落ちてくる。

 ぬいぐるみキノコは、思わず足を止めた。

 その目を見れば分かる。

 彼は驚き、そして、戸惑っていた。

 なぜなら彼のは3.5次元とでも言うべき亜空間上にあり、物質世界の存在が通常の方法で干渉することは出来ないはずだからだ。

 だから彼は、悠長な狩りを愉しんでいた。

 だが、それも、もう終わる。


「ようやく見つけた」


 天井を割り、亜空間を裂き、異界へと到達した少女は、手にした大太刀をブンッと振った。


「ここまで来るのに16個も電池を代えた。ほんと、大変ヤバすぎだった」


 時間にして約20時間。全部撮ったが、ほとんど何もないショッピングセンターの絵面ばかりで、まったく撮れ高がなかった。


「さっさと殺して、次に行こう」


 花織の霞む視界には、少女の姿がよく見えなかった。

 制服を着ていたような気がする。おかっぱ頭だったような気がする。マスクをしていた気がする。

 ただ、長大な刀の輝きだけが、暗闇の荒野から見上げる星の光のように、強く、強く輝いていた。


 ぬいぐるみキノコは、瞬時に撤退を判断した。

 現実世界から、亜空間を裂いてやってこれる存在など、脅威以外の何者でもない。

 この空間であれば、彼の速度は通常の4倍。全力で疾走すれば、人間の方が先に疲れる。だって、そうやって迷い込んだ人間を狩っていたのだから。

 だから、この世界への侵入者が何者であろうと、それが人間である以上、逃げ切れる。

 そのはずだった。

 

「逃さない」


 言葉が先か、痛みが先か。

 ぬいぐるみキノコの巨大な目玉は、いつのまにか己の足に深く食い込んでいる一本の刀を見た。

 刀身から延びた無数の脚がギチギチと蠢く。

 それは、怪異の脚を喰らう刃。

 魔剣・脚切。

 まだ、現れた謎の脅威との距離は30mは離れている。

 だというのにその刀は、刀身に隠した脚を伸ばすと、自らの意思で音もなく近づき、喰らいついてきたのだ。

 ザンッ! と、彼の無数の脚が脚切に喰い千切られる。

 体勢が崩れ、彼の巨体は横倒しになった。その胴体に、滅殺と描かれたマスクをした少女が大太刀を突き立てる。


 ギッ――――


 彼は悲鳴をあげようとした。

 しかし、それすらも遅かった。

 突き立てた刃が、ぐるりと回転し、そのまま頭上へ向けて斬り裂かれる。

 斬り裂かれ2つになった目玉―――彼のコアの視界にあったのは、マスクの下で歓喜に笑む人間の姿だった。


 ぬいぐるみキノコが死んだ瞬間、世界が泡のように弾けて、全てが白い光の中に落ちていく。

 床の上に倒れたままだった花織は、光の中で、自分を助けてくれた少女の黒いセーラー服だけが浮かんでいるのを見た。

 何もかもが現実へと溶け出していく中で、セーラー服の少女は思い出したかのように振り返り、言った。


「チャンネル登録、よろしく―――…」




 その日、立花市の郊外の大型ショッピングセンターにて爆発事故が起き、行方不明だった十数名の遺体と、重度の疲労によって意識混濁している少女が一人救助された。

 何故爆発が起きたのか、何故行方不明者の遺体が現れたのか、その謎は、救助された少女だけが知って居るはずだった。

 だが、意識を取り戻した彼女の口から語られたのは、世にも奇妙な不可思議な話。

 都市伝説の異界へ閉じ込められ、そこでセーラー服の少女に助けられたという物語だった。

 だから、誰もそんな話を信じなかった。

 結局彼女は、極限状態で錯乱していたのだと判断されたという。

 謎は謎のまま、郊外のショッピングセンターで起きた事件は、ガス管の施工ミスということで処理され、有耶無耶のうちに民衆の記憶の底へと沈んでいった。



 後日、怪異抹殺系YouTuber めっさつちゃんねるにて、異界探索の特別回の動画が公開されたのだが、これも公開から2時間もしないうちに、削除されてしまったという。

 

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