第8話 悪夢
火の海が広がっている。
ゴウゴウと燃える恐ろしい音と、一歩進むごとにピチャと水の跳ねる音が交互に聞こえる度に、まるで”あの日の惨劇を忘れるな”と突きつけられている気持ちになる。
夢だと気づくのに、時間はかからなかった。何もかも当時のあの時のまま。瞼を閉じるだけで鮮明に描かれるこれは夢の記憶。
火が燃え上がり、足元には多量の血の海が流れ、むせ返るような血と人の焦げた臭い。中心部には今の自分が立っており、地面には自身を含めた家族が横たわっている。為す術なく意識を保つことがやっとだったハントの視界は片方が赤く染っていた。
一瞬、炎が揺らめいた気がした。……いや、すでに何度も見てきた光景だった。
揺らめく炎のその先に、あの魔女がいることも、ハントはすべて憶えている。
――「息があるのか」
《青薔薇の魔女》――そう呼ばれる、不死の魔女。
魔女は彼に興味があるのか、嬉々とした眼差しで横たわり彼女を睨みつけている記憶の中のハントを見下している。
ハントは魔女の顔を思い出そうとするが、何かフィルターのようなものがかかっていて、いつも不明瞭なまま夢が終わる。
だが、彼の記憶にも明瞭な部分はある。
それは、《青薔薇の魔女》は、その四肢と顔に血に塗れたような酷い赤い痣を持っているということ。
それだけが、現在のハントに与えられた《青薔薇の魔女》に関する唯一の情報だった。
――「さすがは【常世の碧】を持つ者なだけはある。虫の息ではあるが、生命力が強い」
記憶の中のハントは、魔女の放つ言葉すべてに耳を傾けていたが、意識が朦朧としているこの状況下で嚥下するのは至難の業であり、現在に生きるハントにも何を言われているのか音での判断はできても到底理解できていなかった。
どうしてこの魔女は
そして魔女が度々口にしている【常世の碧】とはいったい何なのか。
何故そこまで執着しているのか。
今となっては、分からないことだらけだ。
――「…………我が娘を、懐柔したか」
不意に、ハントと魔女の視線が合った。
ここは夢の中の世界で、ハントが一方的に見ているだけの世界のはず。しかし魔女はしっかりと今のハントの姿を捉えていた。
この魔女は、何らかの方法で今、ハントの夢に干渉している。ハントは少しの恐怖心と、対話の叶うこの状況に心躍らせ魔女と対峙した。
「懐柔しただなんて人聞きの悪いこと言うなよ」
ハントが魔女に言うと、魔女は少しだけ驚いたような仕草をした。まさか夢の中で話しかけられるとは思いもしなかったのだろう。微量ではあるが、彼女から動揺が見て取れた。
――「同じことだ。悪人から解き放ち手中に収める……。まるで美しい偽善だな」
「……偽善だろうが、なんだろうが、どうでもいいね。僕はお前を殺すためなら、あの娘をどう利用しようと、何も思わないのだから」
ハントは自らを偽り、復讐に生きることを誓った身だ。
ああこのまま、この魔女を殺す手段は無いのだろうか?
魔女はまっすぐハントを見つめ、何かを呟いているようだった。けれど、もうすぐ現実世界の彼の意識が目覚めようとしているのか、その声は水の中に這入った時のぼんやりとした音が途切れ途切れに聞こえるだけだった。
手の届く範囲に目的があるというのに、その場から動けないことが酷くもどかしく思えて、ハントは思わず苦笑した。
「……ああ……悪夢だな」
独りごちた彼の声は、業火の海に溶けていく。
◆
アリィはあの後特に何もすることがなく、早く寝ろというハントの言葉に従うべく入浴を済ませたところだ。
自分の活躍――と言ってもいいのか彼女には判断し難い気持ちがあった――がこうして宿を手に入れたというのは、アリィにとって
脱衣所を出て今夜の宿の部屋に戻る途中、何か呻き声のようなものが小さく、しかしハッキリと彼女の耳を掠めた。
そういえば隣の部屋にはハントが休んでいると聞いていたアリィは、失礼と思いつつ何かあってからではいけないので三回部屋の扉をノックしてからドアノブを引いた。
「……ハント様……?」
そこにあったのは、乱れた室内と胸元を抑えてベッドの上に横たわった魘されている――ハントだった。
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