第6話 自己紹介

 事件現場の目撃者であり――成り行きではあったけれど――犯人逮捕に貢献したということで、ハントたちは自警団の厚意もあり野宿は免れた。



 ◆



「今夜はいい日だな。だってほら、君のその左手のによって宿無しは回避できた。君が勝ち取ったものなのだから、もっと嬉しがったらどうだい?」


 一躍有名人じゃないか、と嗤うハントにアリィは困った顔をする。


「そんな、わたしは……」

「……まあ、なんでもいいけど。とりあえず座りなよ。疲れただろう?」

「あ、はい、ありがとうございます」


 ハントはアリィを自分の横に座らせようと、宿のベッドをポンポンと叩いたが、彼女が動く気配はなかった。


 出会って数時間の男女。

 それも、主人と奴隷のような関係の二人。


 互いに距離ができることは当たり前だとしても、いつまでも傍に来たがらないアリィにハントは少々苛立ちの表情を浮かべる。


「……警戒しなくてもいいよ。何も僕は君を取って食おうだなんてこれっぽっちも思ってなどいないんだから。横が嫌なら前の椅子に座ってくれないか? 立っていられると、落ち着かない」


 そこまで言って、アリィは首を縦に振った。

 おそらく、彼女には自分の意思が無い。自分で決められる物事が少ない。今まで生きてきた中で服従する側にいることが多かったのだろう、その目にが感じられなかった。


 ハントは深いため息をついた。ああ、目的のためとはいえどうしてこんな娘を買ってしまったのかと。


 あのクソ画商が、許せなかったのかもしれない。

 同情、したのかもしれない。


 揺らぐ足元に、ハントは動揺を隠せなかった。


「……そうだ。今更と思うかもしれないけど自己紹介をしよう。まだちゃんと、僕たちは互いのことを知らなさすぎる」


 そこでハントが思いついたのは自己紹介だった。あの画廊からこの隣町まで、ハントはアリィについて何も訊かなかった。ただ、《魔女の四肢》を手に入れた、という事実が彼の思考を満たしてしまった。


「僕はハント・ダックアーツ。見ての通り貴族だけれど、家は昔に没落してしまっているからあまり裕福ではないよ。と言っても貧民街においては大金持ちに見えることに変わりないだろうけどね。歳は二十六、男性。よろしく」


 ハントは最後に偽物の笑顔をアリィに見せた。利用し、いつかはこの手でほふり去るかもしれない。気は許すな、という彼なりの自己暗示が見て取れた。


「わたしは……アリィ。歳は十五、です。女。貧民街では画家……のようなものをしていました。…………以上です」


 分かってはいたことだったが、あまり大した情報は出てこなかった。


「じゃあ質問タイムといこうか。どうして貧民街に? 生まれがそっちなのかい?」

「いいえ。気づいたらあそこにいました。それまでの記憶はなくて……あ、記憶がないというのは自分のではなくて、自分がどうしてあそこにいたのか、その経緯のことで……」

「自分がどうやってあの貧民街にたどり着いたのかが分からない?」

「あ、はい。そんな感じです」

「おかしいな。ならどうして自分の名前を憶えてないんだい?」

「それは……」


 ハントはアリィの次に紡がれるであろう言葉に集中する。彼にとってその答えは吉と出るか、凶と出るか。ハントは彼女を睨みつけるように、前のめりになって答えを待った。


 しかし、返ってきたのは奇妙な話だった。


「名前は、憶えていないんじゃなくて、んです」

「? 親はいるだろう? 兄弟や、親に呼ばれたりは?」

「記憶の中では、呼ばれたことは、一度もありません」


 ハントは本気で目の前に座るアリィが分からなくなっていた。いったい今までどんな生活をしてきたのか、その背景が全くと言っていいほど見えないのである。

 もしも仮に、あの《青薔薇の魔女》が娘たちに名前をつけていなかったのだとしたら、アリィは娘と言っているだけであって、人であることすら疑いを持ってしまう。


(……人か魔物か……。魔女の実験道具……と仮定すれば《魔女の四肢》と呼ばれる者があることも頷けるが……)


 果たして目の前の彼女が本当に魔女の娘の一人なのかどうか、その確認ができないことにハントは頭を抱えた。


「……わたしも、聞いてもいいですか?」


 不意打ちの質問にハントは素で驚いた。まさか聞かれるとは思っていなかったのだ。ハントは平然を装いつつ「ああ、いいよ」と頷いた。

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