第4話 放火魔
「そういえば君、名前は?」
ハントは彼女と出会う前に買った果物を、彼女に投げ渡した。数回掴み取り損なって、やっと落ち着いた時彼女は頭の上に疑問符を浮かべた。
「いや、なんですかそれ、みたいな顔されても。名前だよ、名前!」
「わ、わたしには名前がありません。あなたに買われた……ただの物です。だから、あなたの好きなように呼んでください……」
「は?」
ハントは純粋に驚いていた。彼は、人には誰しも呼ぶ名があると信じて疑わない人生を送ってきたからだ。
しかしよくよく考えてみれば、主に名前を持つのは上流階級者で、一般階級者の中でも無い者は無いがその人口は少ない気がした。貧民街に生きる者なら尚更、そうだったとしてもおかしくない。
その考えにたどり着いたハントは頭を抱えた。
今まで沢山のものや動物を買ってきたとはいえ、人を買うのは初めてだった。それも自分とそこまで大差のないであろう少女。子供に名前をつけるのとは訳が違う。
「んー……名前は大事なものだ。適当につけるわけにはいかないから、僕に考える時間が欲しい。ああ、もちろん名乗りたい名があればそれでも構わないよ」
「ありません。……わかりません」
「オーケー。もうひとつ質問、いいか?」
「はい」
「その左手の手袋、どうして片方しかしてないんだ?」
「……」
なんとも言い難い間ができて、気まずい空気が流れ始める。
少しして彼女は口を開いたが、出てきた言葉は「小さい頃に酷いやけどを負って、それを見せたくないから」というものだった。
ハントはその言葉が嘘だと思っていたが、それ以上は何も訊くことはしなかった。
彼女は言われるがまま、ハントの後ろをついて行く。その姿は雛鳥のようで可愛らしかった。
どうしてこんな娘を買ったのか。誰が人身売買をしていたでもなく、かと言って娼婦のように買ってくれと言われたわけでもなかった。
彼の目的はあの日から変わらない。
この少女が――本物の《魔女の四肢》であるなら、何がなんでも取りこぼすわけにはいかなかった。
◆
貧民街の入口まで戻ってきた。ここから北に進めば、一般階級者が住む町に出る。野宿は考えたくないハントは今夜の宿はその町に決めようと歩く速度を気持ち速めた。
ハントはふと視界に映った少女の身なりのことを思い出した。ハント自身、あまり他人の身なりについて気にするような性格ではないが、彼が貴族であるがゆえにこれから行く先々で彼女が白い目で見られることは明白だった。
「もうすぐ町に出るからそこで少し休憩しよう。そのなりじゃ色々と不便だろうから、必要なものを買いに……」
火事だ――――!!!!
ハントの声は民衆の叫び声に掻き消される。あまりの大きさに振り向けば、何かが焼け落ちたような爆発音が地に鳴り響いた。音の正体は爆発によって崩れ落ちた瓦礫の音だった。
「あれは……放火魔か?」
業火を燃やし続ける建物の一階入口から、人影のようなものがハントの視界を掠めた。犯人と思しき人物は、今彼らがいる位置に向かって走ってきている。このまま行けば確保することは可能だ。しかし今動けば、この少女が逃げてしまう可能性もハントには捨てきれていなかった。
だがこの懸念は、一瞬にして吹き去った。
放火に気を取られていたので再び意識を少女に向けようと振り返ったハントは、思わず驚いた。
彼女が――左手の手袋を、脱ぎ捨てたのだ。
それは、ハントの記憶の中に息づいている《青薔薇の魔女》の顔を彷彿とさせた。
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