第2話 美しき青年

「♪〜♫〜……」


 一人の青年が鼻歌を歌っている。上機嫌なのかその声音は高い。

 華やかな街並みに合わせて歌っているようにも思えたのだが、青年が今いる場所は、国の中でも最下層域のである。



 そこは魔女と人間が混同する【新大国】。


 およそ三百年前まで存在していた【旧大国】時代。魔女の統治していた小国が四つあり、魔女は互いの国を掌握せんと戦争を続けてきた。

 新大国とは、もとは旧大国の小国同士の同盟締結を機に合併し一つの国となったものだ。

 平穏な時代が続くかと思われた矢先、ある問題が発生した。

 それは各都市によるカースト制度の発足である。


 国には現在、三段階の階級制度が存在する。旧大国に存在していた小国の名残から、新大国でそれらは都市として発展した。

 富裕層の分類都市【リュト】の富豪格階級、庶民層の分類都市【カルラッタ】の一般庶民階級、そして貧民層の分類都市【ストヴァ】の貧民街階級の三つだ。


 読んで字のごとく、それぞれの階級に与えられる富は決まっており、貧民街ストヴァはその中でも上級国民から酷い仕打ちを受けていた。

 かなしいかな。いくら吠えようとも現国王の許ではこの情勢が変わることは無い。いつしか貧民街の者たちは声を上げることを止めた。

 そんな荒れた地に足を運び、鼻歌を歌う青年――ハント・ダックアーツは隣町での噂を頼りに、あるを探していた。



 ◆



 遡ること数時間前。


 貧民街に入ってすぐ、ハントは果物売りの老婆に声をかけられた。理由は至って単純だ。ハントの背格好が貴族に見えたからだろう。


 身に纏うスーツや外套マントは新品同様に汚れもほつれも一切見当たらない。手に持つステッキにも傷一つ無い。高そうな懐中時計が胸にぶら下がり、日の光を受けてはキラキラと煌めいていた。


 ブロンドの髪がサラサラと揺れ、身長もスラリとしており男性らしく高い。この貧民街では見かけない碧眼が印象的で、その美しさに息を呑む。貧民街の娼婦たちが起きていたら真っ先に食われるだろうとその老婆は思った。

 ただひとつ、隙のない彼の気になることを挙げるとするならば、それは右目の眼帯だろうか。


「……なあ、ちょいと、そこの若い旦那。そう、あんただよ。鼻歌を歌っている、あんた!」


 老婆は目の前を通ったハントに声をかけた。ハントは自分に言われているのだと気がつくとすぐに振り返り、老婆に笑顔を見せた。


「なんだいお婆さん。僕に何か用事?」

「わたしゃ果物売りだよ。どれ、好きな物を買ってくれないか?」

「ああ、商売? いいね。買ってもいいけど、代わりに聞きたいことがあるんだ」


 知っていればでいいんだけど、と言いながら彼は果物をひとつ手にした。



「――《魔女の四肢》って、知ってるか?」



 ハントの放った言葉に、老婆は目を見開いた。その反応は、知っていることを指す。ハントは笑みを浮かべた。


「どうしてそんなこと知りたいんだい」

「僕にとって必要なことなんだ。どんな些細なことでもいい。知っていることがあるなら教えてほしい」


 老婆は少し黙った後、ヒソヒソと声を潜めて話し始めた。


「あんたさんが欲しいその《魔女の四肢》の情報かどうか分からないが、妙な噂なら聞いた事があるよ。隣町に、なんでも恐ろしい絵を描く画家の少女がいるそうだよ」

「それはどんな?」

「詳しいことは聞いちゃいないが、動き出したり、噛みついたり……そう、まるででも生み出しているような絵らしい。彼女を買った画商が嬉々として語っていたのがどうにも癪でねぇ……」


 生き物を生み出す、と聞いたハントの左目がギラリと光った。彼の碧眼が、その情報が欲しかったんだと言わんばかりの輝きを放っている。「へえ……」なんて素っ気ない返事をしているが、ハントの碧眼は燃えていた。


「その画家の名前は?」

「すまないが、そこまでは分からんよ」

「なるほどね。……お婆さん、これいくら?」


 老婆が果物の値段を伝えるとその倍の金貨をハントは支払った。これほど貰えるとは思っていなかった老婆はギョッと目を見開いた。


「こ、こんなに……! いいのかい?」

「その情報は有力そうだからな。感謝するよ!」


 声を張り果物を齧りながら、ハントは老婆に挨拶をしてその場を後にした。

 有力な情報を手に入れた彼の足取りは、鼻歌を歌っていた時よりも、軽かった。

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