【没落貴族】ハント・ダックアーツは呪われの左手姫を買う〜《魔女の四肢》とかりそめの恋〜
KaoLi
第1話 “幸せだった”世界
冷たい床、吹き抜ける風、寒い、部屋――。
温かい食事、幸せな時間、あったはずの、笑顔――。
けれど今、彼の目の前に広がるのは。
全てを覆い尽くすかのごとく燃える、一帯を呑み込んでしまうほどの炎の海だった。
◆
旧大国――【ガスタール】――ダックアーツ邸
彼の目の前には冷たい床があり、彼の目の前にはぬるい液体が広がっている。
そして、今。
彼の最愛の妹が《魔女》の手によって奪い攫われようとしていた。
《魔女》がダックアーツ邸を去ろうとしたので、彼は追いかけるようにして邸の外に出れば、ガスタールの領民の屍人の山とむせ返るほどの血と、その燃える臭いが一帯に充満していた。
どこからか泣き叫ぶ声や、崩れる音が地響きを起こす。人々の声が地を揺らす。《魔女》はこの小国ごと炎海に沈める気のようだ。
彼の
その中で彼だけが、のうのうと息をしていた。
息をしているのなら、発せ。届かずとも喰らう気でいけ。
彼はなんとも言い難い感情に身を任せながらも、本能で《魔女》に向かって叫んだ。
“――――待て、《青薔薇の魔女》!!”
彼の妹を抱きかかえ歩みを進めていた《魔女》が歩みを止め、ゆっくりと彼に振り返った。妹の意識は無いのか体は力なくだらりと揺れるばかりだった。彼は怒りに身を任せ、持っていた小銃を《魔女》に向けた。
“…………憎い? 私を、殺したい?”
黒いスカートの端に地面に溜まったが吸い上げられていく。じわじわとスカートに赤色が淡く滲んでいくその光景は心奪われる何かがあった。
夜の帳が落ち切ったこの暗がりでは顔は見えないが、女性と思しきその血染めの人物は父、ダックアーツ伯爵の客人だったはずだ。
伯爵が招いたのは、ガスタールに伝わる国の統治王――《青薔薇の魔女》。
“…………ああ、今すぐにでも殺したいね”
“なら、私の願いを聞いてもらおう”
カツ、カツ、とスカートから覗くブーツ音に脳が揺さぶられて、血の臭いと相まって吐き気が込み上げる。恐怖による緊張で手も足も震える。
逃げ場などない。彼はこの女の言うことを聞くことしかできない状況にあった。
不意に目の前が陰る。顔を上げて《魔女》を見ようとした瞬間、右目の辺りに火傷を負ったような熱い激痛が彼に走った。
“――――ッッッあああああああああ‼”
彼はすぐに《魔女》の手を払い、目元を触れた。
何をされたのかは明白だ。彼は《魔女》に、右目を奪われたのだ。
“美しい……。これが、ダックアーツの誇る【
《魔女》はあろうことかそのまま彼から抉り抜いた右目を飲み込んだ。ゴクリと喉が鳴り、嚥下された右目が《魔女》の腹部に到達するのが分かった。
痛みと熱と、《魔女》の奇っ怪な行動に、彼の思考はついに働くことを放棄した。
“私の娘たちを探して、私の許へ来て。そうすれば、私を殺してもいい。――待っているわ。私の愛し子”
《魔女》の顔が彼に近づき、声が彼の耳を掠める。
耳打ちをされた内容は、嫌でも脳に刻み込まれた。
◆
“私は《青薔薇の魔女》――永遠の命を持つ者。さあ、私の願いを聞いてもらおう。ハント・ダックアーツ。お前と、妹の命を賭けて”
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