第4話 希求の黒杖

「はあっ!? 夏が削られただと? …………まったくあいつは、なにを考えているのだ」

「夏の気質そのもの、というような御方ですからね……」

 そのようなことはわかっている、とトーン・ヴァヅラは報告してきた従者を睨んだ。鮮烈に輝く青色は突き刺すような鋭さで従者を捉えるが、その瞳には苦労人のような疲れも浮かぶ。

「自分の季節を揺るがすなとあれほど言ったではないか」

「ヴァヅラさまのお言葉通り、冬のうちに遊ばれていたようではありますが」

「けっきょくそのツケが今、回ってきているのだ。意味がないだろう」

「おっしゃるとおりで」

 従者の同意には盛大な溜め息のみを返し、ヴァヅラは思考を切り換える。

(とにかく、あれを叱るのは後回しだ。まずは損なったという血を回収せねば)

 明星黒竜の一族の中でも季節の名を冠する四柱の一端としてこれは見逃せない事態だ。その瞳が季節でもっとも明るく輝く星となるのだから、前の季節が終わる頃には万全な体調でいるべきである。血を損なうことはおろか、軽度の病でさえ患っている場合ではない。

 休暇中であったはずの冬の明星黒竜はもう一度、深い溜め息を落とした。


       *


 かくしてヴァヅラがやってきたのは、人間の作り上げたあらゆる悪意の掃き溜めとも称される夜会だ。

 人間が人間のために開催しているもので、ヴァヅラのような人ならざる者であっても――むしろ、そうであるからこそ損なわれやすくなるような魔術がそこかしこに敷かれている。

 それは人間のかたちをとった程度でどうにかなるものではなく、ヴァヅラは今回のためだけにこの夜会へ参加するにふさわしい人間を喰らった。今の彼は正真正銘、とある砂漠の国で王に忠義を誓いながら裏の顔をも使いこなすやり手の伯爵なのである。

(この場にあるのは確かなようだ。……ふむ、まだ出てきてはいないか)

 件の血は魔術具の杖に加工され、今宵の夜会にて取引の道具として登場するという。たとえ人間の質を受け継ぎ表に出していても同族の血の気配というのはわかるもので、ヴァヅラは注意深く周囲のようすを探った。

 ここで飛び交うのは金でも言葉でもなく、魔術だ。人間たちは会話の、また仕草の端々に滲ませた悪意でもって相手を翻弄する。

 魔法を使う明星黒竜にとっては慣れないやり取りではあるが、最終的に杖を手にした者へ近づき、強大な力で押し流せばよいだけだ。それまでは適当にいなすか、さらに身を安定させるためにそこらの人間を喰らってしまおうかと考える。

(夜会へ潜むにふさわしい人間を喰らったからか、思考がそちらよりになっているのだろうな)

 それでも自分が削られるよりかはよほどいいと心の中で頷く。

 明星黒竜の血肉は、その由来から生きとし生けるものすべてが目指すべき、そして求めるものとしての質を帯びているのだ。上手く使えば相手を意のままに操ることも容易くなり、かつてはその血肉を巡った争いが絶えない時代もあったほどだ。

 ゆえに彼らは自身が削られることのないよう細心の注意を払うし、そもそも種族としての強靭な身体や深い魔法の要素も手伝って損なわれることがめったにない。今回杖が出回ったのは想定外のことであった。

 ――それも、明星黒竜の質をそのまま利用した希求の黒杖として。

 本人は夏の気質もあり刺激欲しさに賭けをして負けたようだが、静寂を好む冬の明星黒竜は呆れることを抑えられない。

(まったく、理解できんな。結局尻拭いをするのは私なのだ)

 小さくため息をつきながらも、彼のもとの青さが滲む瞳は周囲をくまなく観察していく。

 趣味の悪い夜会だともう一度吐き出された溜め息。しかしか弱い人間というのはこうして力をつけてきたのであるし、こういった場でしか手に入れられない代物があることも確かだ。


 せっかくなので、ひとまずは普通の食事をしてみようとヴァヅラは料理の並ぶテーブルへ向かった。

 そこには宝石のように輝くゼリー寄せや珍しい生き物の肉のコンフィ、美しい花の形を模したキッシュ、季節の果物をふんだんに使ったタルトケーキなど、こういった夜会ならではの手の込んだ品々が用意されている。

 いくつか適当に見繕って皿に載せただけでも、さながら高級レストランのような見栄えがした。当然、その味も一級品だ。

(なにが入っているのかさえ考えなければ、美味だな)

 自然をそのまま取り込む竜や魔女と違い、人間の魔術師は複雑で繊細な手順や他者を犠牲にして得た味付けを好む。今宵の料理だけでもどれほどの人間やそうでない者たちの命が損なわれたのだろうかと考え、しかし気の進まない方法まで使ってわざわざ来たのだから、これくらい楽しむのもよいだろうと冬の明星黒竜は食事を続けた。

 そうして彼が楽しんでいると杖に動きがあった。どうやら今夜の主が決まったらしい。


 明星黒竜として瞳に強い魔法を持つヴァヅラは、その気配を悟られぬよう視界を広く保ち、杖を手に入れた(であろう)人物とそれとなくすれ違うように近づく。

 人間ばかりとはいえ様々な人ではないなにかをその身に取り込んだ者たちが集まる中で、むしろ目立っている混じり気のない純粋な人間の男。その平凡な色彩を目にしたヴァヅラは表情を動かさずに感心する。

(よほど運がよかったのか、あるいはこの悪意の掃き溜めで有利にはたらく魔術具を用意していたのか……)

 しかし夜に紛れるような青墨色の髪を魔術の香に揺らし、その奥にひそむ黒壇を磨いたような瞳がこちらに向けてすうっと細められたのを見て、ヴァヅラはぎくりとした。

(まさか気づかれたのか? いや、そんなはずは)

 それともこれが男の実力なのか――。

 抱いた懸念はすぐに確信へと変わる。

「一杯いかがか?」

 すれ違う瞬間の、交差。いつの間にか男の両手には葡萄酒の入ったグラスがあり、片方がヴァヅラへと差し出される。

 たとえ毒が入っていたとしても、喰らった人間を今日限りで使い捨てるだけだ。瞬時にそう判断し、それでも魔術の繋ぎには用心しながらグラスを受け取ると、ふっと笑う気配があった。

 横目で見れば男は「目指すべきものに障りが出るようなことはしないさ」と口の端を持ち上げている。ヴァヅラは今度こそ目を開いて驚いた。

(私が何者か理解したうえで、話しかけてきたのだ!)


 さてどうしたものかとヴァヅラは思案する。

 正直なところ、古の時代より存在し強大な力を持つ彼にとって目の前の男を壊して一族の血を回収することは容易い。向こうから話しかけてきたのだからさっさと片付けてしまえばよい話だ。

 しかし、と人間ではないヴァヅラの、明星黒竜としての思考が簡単に終わらせることを強く否定していた。

 平凡な色だが、艷やかな瞳はひどく昏い。そして昏いまま、目指すべきものを見据えるように底光りするそのさまは、まさしく冬の明星黒竜たるヴァヅラの好む深さだ。

 男が優雅な仕草で葡萄酒を口に含むのに合わせてグラスを傾ければ、ふくよかな果実の香りとともにやわい角度で渋味が広がる。

「そういえば――」鋭く、しかし穏やかに均された人間の声は夜によく馴染んだ。「陽光綿毛の妖精の噂を知っているか?」

「知らぬ。夜を彩る者が陽のもとに在る話を知るはずもないだろう」

「さてな」

 これまでのやりとりだけで、この人間は夜に属する者なのだと見て取れた。だというのに肝心なことは口にしない男にヴァヅラは焦れったくなる。

「なにが言いたいのだ」

「急いたぶんだけ夜は長くなるが、いいんだな?」

 罠か、単なるお節介か。一瞬にも満たないはずの逡巡を見透かすように薄く微笑む男に、圧倒的な力を誇る明星黒竜はひとまず考えることをやめた。

「……急かしているわけではない」

「そうか。で、その妖精だが、今年の旅立ちに月光のものが混ざっていたらしいぞ」

「なんだと!?」

 反射的に身を乗り出し、さすがにみっともないと自身を落ち着かせるために葡萄酒を口に含む。一度息を吐いてから睨むように相手を見ても、男にさしたる動揺は見られない。

「どういうことなのだ……?」

「そのままの意味だ。夜遊びしすぎたのか知らんが、変質でもしたんだろうな」

「あの子たちがそのようなこと、するはずないだろう!」

 思わず反論してから、ヴァヅラはむぐりと口を噤む。陽光綿毛の妖精たちの印象を損なうような発言を許せるはずもないのだが、明星黒竜がこのように弱く可愛いものを愛しく思うことを知られるのもよろしくないのだ。

 夜明けや夕暮れのわずかな時間にしか見かけることのできない妖精。ふわふわと愛らしい姿で風に乗るようすを間近で見られたなら、そして自身の瞳に向かって空を渡ってくれたらどんなにいいだろうなどとは思っていないのだと、彼は首を横に振った。

 どう誤魔化すべきかふたたび考えることを始めたヴァヅラはしかし、またもや男の表情が変化していないことに気づく。

(これは――いや、先ほどのお節介・・・も含めて、代価のつもりなのか)

 この夜会に明星黒竜の血から作られた杖が登場することは簡単に調べがついた。それは人間にとっても同じだろう。初めから杖を手に入れるために夜会へ参加し、なおかつ明星黒竜が血の回収のために忍び込むことを見越していたのなら。

 力の差を理解したうえで、得意であろう罠を張ることもなく。ただ優位な立場の竜が許すというかたちを取るように仕向けるやりかたは狡猾な魔術師そのもの。

「……ふむ。ならば月の眩い夜に確かめてみるとしよう」

 しかしたったそれだけで黒杖を持ち去られるわけにはいかないのだ。

「ああ、そうするといい」

 夜をまとう魔術師も当然そのことをわかっているようで、大した感慨もなさそうにちらと周囲に視線を向けながら話題を変えた。

「……女が煩わしいなら、眼鏡でもかけたらどうなんだ」

 は、と意味がわからないというふうに息をこぼしたヴァヅラを見て、魔術師の男は心底呆れたように口もとを緩める。

「どんな奴を喰ったか知らんが、その容姿は目立つぞ。もとの色彩を薄めた程度ではとうてい隠しきれない瞳があるからな」

「……そうなのか。しかし、眼鏡など持っていない」

 ならこれをやる、と渡されたのは星の軌道を曲げて固めたような銀色の縁が美しい眼鏡で、硝子の透き通り具合を見ればそれだけで相当な値がつくだろうことがわかる。

 もはや彼がなにを出してこようと驚かない気がしてきたが、これだけは聞かねばなるまい。

「なぜそこまでする?」

「ここへは付き合いで訪れただけだからな。話したい相手もいないが、一人でいるつもりもない」

 そうしてもう一度周囲へと視線をやった魔術師に、ヴァヅラはようやく先ほど彼がなにを見ていたのか気づいた。

 格式高い音楽に乗せられるのは女たちの甘い囁き声。彼女らのまとう香水と、会場を漂う魔術の香の不安定な足場。人間を美しく飾る装飾品。磨かれ抜かれた体躯のあでやかさ。

 狙いの男へ群がる彼女たちの視線は時折こちらへ向けられて。

 なるほど確かに、目の前の魔術師は色彩こそ平凡であるが、造形はなかなかに整っている。ヴァヅラは自分のことを棚に上げてそう頷いた。

「お前のような奴と話しているほうが都合がいいのさ」

(人間の魔術師というのは、このようにして本音と建前を使うのだな)

 やはり彼の話をもう少し聞いていたいと、ヴァヅラは魔術師の好意をありがたく受け取ることにした。


 魔術師の話はこの夜会にふさわしく、決して清廉なものではなかったが、明星黒竜にとって悪い気のしないものばかりであった。

 初めこそこの男がどのようにして自分の目の前から黒杖を持ち出してみせるのか気になっていたヴァヅラであったが、その気持ちもだんだんと薄れてきた。

 商売の話でも、説得でもない。今宵の料理や酒の話、音楽の話、竜の使う魔法を聞きたがる姿は本心からのものに見える。

 とりわけ星の話には詳しく、魔法を扱う者と魔術を扱う者とで視点は異なるものの話はよく弾んだ。

(ああ、この者の思考は心地がよいな……)

 冬に輝く星はひたりと滲むようにして遠くを、先を見据えるものだ。

 己の求めるものをはっきりと認識し、それを得るための努力を惜しまず、また道を選ばない。そんな人間の生き様に興味を抱くのは当然のことだった。

(それにこの男は、目的が達せられたならあっさりと明星黒竜の血を手放すだろう)

 それからでも遅くない、とヴァヅラは思う。

 悪意はびこる夜会で他者を出し抜いたことや、今まさに明星黒竜と渡り合っている彼ならば、そうそう奪われることもあるまい。夏の明星黒竜に身体を損なうことの意味を教えるよい機会だと。

 なによりヴァヅラは、夜の魔術師が希求するものを、その未来を見てみたいと思ったのだ。

「ふむ」

「……なんだ?」

 これまで保っていた、ふたりのあいだにある距離を縮めてみても、魔術師は動揺することなく――むしろ愉快そうにこちらの出方を待っている。

 ヴァヅラはおもむろに魔術師の顔の横へと手を伸ばし、つうと降る星をそのまま結晶化したようなピアスに触れた。

 どこで見つけたものか、随分と古い、それこそ聖人が存在していた時代の激情を孕んだ星の要素が含まれており、それを上手く利用して指向性を与えているようだ。

 とても珍しく、そしてなにより明星黒竜の魔法と相性がよい。

 指先でなぞるように触れればそこから明星の涼やかな煌めきが宿っていく。

 直接見えてはいないであろう、けれどもなにをされたか理解したらしい魔術師の瞳が人間らしく無防備に揺れる。

 そんな彼の表情の変化を見られたことに、また竜の加護ともいえる自身の要素を身につける人間の姿に、冬の明星黒竜はひどく満足げに笑った。

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