第32話 アウト?セーフ?


「もっ漏れちゃうぅぅ!」

「お、落ち着け美波」


 いつもはクールな美波も、流石に尿意ばかりは我慢の限界が近づいて来ているようだ。

 ここで漏らされるのはかなり困るな。(いや、どこでも漏らされたら困るんだけれども)

 映画館の通路だから、近くのスクリーンの映画が終わるまで比較的客の目は少ないが……こんなところで漏らしたら終わりだろ、色々と。


「……ん、んんーっっ」


 ホットパンツからムチッとした内股を見せる美波は、顔を赤くしてやけに淫靡な声を漏らす。

 不覚にも赤面しながらモジモジする美波の姿がエロいと思ってしまった。


「ユウ……私、もうイッちゃう」

「え、エロい感じに言うな! ったく、この状況をどうしたら」

「ユウが飲んでくれれば解決するかも」

「余計に問題だ!」


 何がどうして俺がこいつの体内で生成されたらアンモニアを摂取せねばならんのだ。


「ユウのおパンツ貸して」

「嫌だ……ってか、もう漏らす前提かよ」

「わたしの人生、いっぺんの悔いなし」

「社会的に死ぬ気か」


 女子トイレはまだ列が出来てるし、かと言って男子トイレを使わせるのも……問題だよな。

 だからってこのまま漏らさせるのも問題だし、一体、どうしたら……ん?


 首を振って対処法を探していたら、俺はゴミ袋の中にあるカップが目に入った。


 ……と、とりあえずアレにさせる、か?


 誰も居ないスクリーンに飛び込んで、ゴミ箱にあるカップにさせるしか……ない。

 ここで漏らされるよりはマシだろ……?


「み、美波、あのカップにすることは可能か?」

「カップ?」


 美波はモジモジダンシングしながら俺が指差したゴミ箱の方を見る。


「あのカップになら、上手いことできるかもしれない……けど」

「けど?」

「女の子のおしっこは、男子のソレとは違って狙った場所に発射できない。すくなくとも座りながらしないとドバドバ溢れちゃう」

「な、生々しい表現するな! へんにイメージしちゃうだろ!」

「ユウ……もしかして、どさくさに紛れてわたしのおま●こ見ようとしてる?」

「んなもんに興味ないわ!」

「……ひどい」


 美波は嘘泣きする。

 嘘泣きしてる暇があったら、今にも下から溢れそうな涙の処理について考えて欲しい。


「ユウ、本当は私がおしっこしてるのガン見してハァハァしたいくせに」

「やかましい! 俺は漏らされたら困るだけで、お前の排泄には何の興味ないんだよ!」

「……嘘つき。見たいくせに」

「そんなこと言ってる場合か! は、早くしないと」


 いや待て。

 そもそもの話、映画館から出れば、ショッピングモールの別のエリアのトイレに行けるんじゃないか?

 でも一度出たら……再入場できるか分からないし、もしできなかったら遥を置き去りに……。


 どうする……今ここで再入場の可否を調べている暇はない。

 遥との映画を優先するか、美波の膀胱を優先するか。

 緊急性を要するのは美波の方なのは間違いないのだが、ここで遥を置いて出ていくのは、あまりにも遥に申し訳ない。


 一緒に映画まで来ておいて、映画館に置き去りにして一人で観ろなんて、イジメみたいなものだ。

 でも、それならどうしたらいいんだよ……!


 美波を漏らさせないためには、ここで別の階にあるトイレに向かうしか方法はない。

 でも……。


「ちょっとアンタたち、何してんの?」


 俺が困り果てていたその時——背後から遥の声が聞こえた。


「は、遥……?」

「アンタたちがあたしを置き去りにして、映画館を出て行こうとしてるんじゃないかと思って来てみたら……ちょっと内股で何やってんの美波?」

「……お、おしっこ、したい」

「はぁ……まったく。相変わらずね美波。ちょっと来なさい」


 遥は呆れ顔になりながらも美波の手をがっしり掴むと引っ張ってトイレの方へ歩き出すと、列に並ぶ女性たちの前で足を止める。


「すみません、この子さっきから限界みたいで。先を譲ってもらえないでしょうか」

「え……は、はい、いいですよ」


 遥は深々と頭を下げながら列に並ぶ一人一人にワケを話して美波を列の次の番に並ばせると俺の隣に戻ってきた。


「遥……」


 凄い行動力だと思った。

 一人一人に頭を下げながら事情を話して、ちゃんとお礼も言って。

 少なくとも俺にはできないし、自分が遥と同じ立場だったとしてもそれを行動に移すのはできないと思う。


「凄いな。お前」

「別に、たいしたことじゃないし、慣れてるのよ」

「慣れてる?」

「美波は昔からトイレ近いの。外出中とかは特にその傾向があって、子供の頃はよくあたしと宮子の二人でトイレ探し回ったわ。美波ったら、トイレ行きたくなっても無口だからいつもトイレ行きたいこと言わないのよ」

「……そ、そうだったのか」


 慣れだとしても、あの遥がこんなことをするのは意外だった。


「お前、度胸あるな? 列の人にあんな頭下げて事情を話すなんて……断られるのが怖くて俺にはできない」

「あのね、妹が困ってたら助けるのは当たり前なのよ。だってあたしはあの子のお姉さんなんだから」


 遥は優しい笑顔を浮かべながらでそう言った。

 お姉さん……か。

 ツンツンしてて性格に難有りだと思っていた昔の遥とは大違いだ。


「ふっ」

「ちょ、何笑ってんのよ雄一!」

「すまん。遥もちゃんとお姉さんしてるんだなって思ったらな」

「あ、当たり前じゃない。どんだけ美波から嫌われてても、あたしたちは姉妹……なんだから」

「遥……」


 素直に遥は偉いと思った。

 今回の映画の件で、美波や宮子からバカにされたばかりなのに、遥は決してやり返すことをしなかった。

 もし本当に性格が悪いなら、今ごろ美波が漏らすのを黙って眺めていただろう。


 遥からはイジメっ子だった頃の面影がなかった……。


「……お前、変わったな」

「何それ。褒めてんの?」

「あ、ああ。まあ」

「ふーん……褒めるなら、頭とか、撫でてくれてもいいんじゃない?」

「は? 頭?」

「……やっぱなんでもない!」


 遥はプイッと怒り気味に、俺を置いてスクリーンの方へ歩いて行ってしまった。

 どうやらすぐ機嫌が悪くなるのは相変わらずみたいだ。


「お待たせユウ」

「おお美波、やっと戻ってきたか。トイレは間に合ったのか?」

「無事。快便だった」


 その言い方……大も出たのかよ。

 ほんと、遥が来なかったらこの世の地獄を見る所だったな。


「お前さ、遥にもっと優しくしろよ」

「分かってる。遥姉さんは、味方。映画だって、結果的に私のおかげで遥姉さんは来れたわけだし」

「なら……宮子は敵なのか?」

「当たり前。宮子姉さんは行動原理が読めない。だから今こうしてる間も、何か嫌な予感するし?」

「嫌な予感?」


 美波はそれ以降何も言わずにスクリーンの方へ行ってしまった。


 まぁなんとかなったんだし、のんびり映画でも観るか。

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