7-4:×××と茶番劇場

 ◇ ◇ ◇


 

「それでは続いて生徒会長の挨拶です。氷樫さんお願いします」


 進行に呼ばれて氷樫が登壇すると、先程まで注意が散漫していた生徒たちの多くが彼女の方へと目を向けた。

 そこに立つだけで華のある彼女は多くの人の注目を集め、またそのカリスマ性と優秀さが多くの人の尊敬も集めている。

 こんなにも支持率と人望を集める生徒は滅多に見かけず、十年に一人現れるかどうかだ。

 それを知っている教師陣からも、彼女へ向けられる期待と安心は多大なものである。

 壇上に上がりマイクのスイッチを入れて一呼吸し、氷樫は口を開いた。


「生徒会長の氷樫です。皆さん、お暑い中ご苦労様。私からの話は手短に済ませますので、もう少々辛抱してください」


 氷の女王こと氷樫が笑うことはなく、どんな言葉を発しても終始眉一つ動くことはない。

 それでもそんな彼女への好感も抱いている生徒らは言葉だけの冗談にもクスリと声を漏らす。

 それだけで幾分か、体育館内の空気は和らいだ。

 氷樫からの挨拶は定型的なもので、夏休み中の過ごし方や勉学への取り組み方を生徒目線で語り、また夏の大会を控える部活動らへの激励を述べる。

 今年で生徒会長が3年目となる氷樫の挨拶は決まっており、教師陣や3年生らは流れを把握しているのでこれで挨拶は終わりだろう。いつもながら手短で素晴らしいものだと思っていた。


「さて、いつもならここで私の話は終わりなのですが……本日はもう一つ、お話しします」


 だが、今日の彼女は一仕事抱えている。


「実は、現在本校の生徒がストーカー被害に遭っているという話を聞きました」


 その一言で館内はどよめいたが、これはわかっていたことだ。

 氷樫は構わず続ける。


「たかが噂だと思っている方も多くいらっしゃるかと思いますが、これは事実であり、私は本人からこの話をする許可を得ています。ただし、未だ実害はなく、当該生徒は無事とのことです」


 もちろんこんな話を聞けば誰だと当事者を探したくなるもので、生徒らは自分の周辺へと目くばせをする。

 しかし今朝から噂になっていたゴシップとはいえ、その被害者が誰かということは誰も知らない。

 大きく広がっていく動揺を鎮めたのは、氷樫の「お静かに」というたった一言だ。


「犯人探しや被害者が誰という話をしたいのではありません。このような悲しきことが起きてしまったことが、私は何よりも許せない。私が誇るこの学校で、そんな酷いことが起こってしまったことが、まず哀れなことだと思うのです」


 文字だけでは綺麗ごとの羅列にしか聞こえないその言葉は、氷の女王の口から話されることにより何よりもの説得力となる。

 

「その生徒とはもう話をし終え、然るべき対処をすることとしました。ご安心ください。ただし、これを他人事だとは思って欲しくはありません」


 伏せられていた冷たくまっすぐな瞳が開かれ、その眼差しを浴びた生徒らは思わず息を飲んだ。


「皆さんの身にもいつ降り注いでもおかしくはないこと。決して他人事だとは思わず、常に危険は日常と隣り合わせだと、ゆめゆめ忘れないよう気を付けて頂きたい」


 私からは以上です、と氷樫が頭を下げると館内しんと静まり返った。

 教員らも唖然としているため、恐らく打ち合わせにはない突然の話だったのだろう。

 

 だが、たった一人だけ、今の話を聞いて固まっている人物がいた。

 その人物はどうしてこの話をわざわざ生徒会長が? このタイミングで? 何が目的だ?

 こんな爆弾を落とす意味が分からない、一体何の目的で……。

 そう平静を装いながら考えを巡らせていると、はたとして整列している生徒たちへと目を向けた。


 あの女がいない。


 氷樫のスピーチにすっかり気を取られた。

 目を話した隙に、あの顔色の悪い女が群集の中から消えている。

 加えてその近くにいた女子生徒らがちらちらと後方を見ながら何かを話している。

 その方向からして体育館を出たのだと察しがついた。

 追いかけねば、何としても今日、この日に復讐を遂げてやるのだと。

 〝彼〟が足を踏み出した瞬間、耳を疑う言葉が聞こえた。


「と、堅苦しい話はここまでにして、サプライズとしましょう」


 は? と誰しもが耳を疑っていると、氷樫は足元に置いてあった黒いケースを持ち上げる。

 ケースから取り出したのは、氷樫の私物であるヴァイオリンだった。


「それでは明日からの夏休みへ向けて、一曲」


 彼女の声を合図にスピーカーからは伴奏が流れ、それに合わせて氷樫がソロ演奏を始める。

 曲はクラシックではなく、今流行りのJ-POPをアレンジしたものだった。

 多くの若者に人気の話題曲であり、明るく爽やかな曲調が夏にマッチしていてCMにも起用されている曲。

 全ての生徒たちは氷樫へと釘付けになり、それは教師たちも例外ではなかった。

 アレンジされた曲の長さは六十秒とない尺で、あっという間に素晴らしい演奏は終わる。

 ヴァイオリンの奏でるメロディの余韻が消えた頃、氷樫はマイクを手に言い放った。


「では、夏休みの始まりだ」


 氷の女王のその言葉と、誰も見たことがないと言われている彼女の〝美しい笑顔〟に体育館内は大歓声に包まれる。

 その歓声が上がるのと同タイミングで校庭から大きな音が聞こえ、開け放たれた体育館のドアから何だと校庭を見れば、誰もが見覚えのある爆破装置と空へ舞う無数のカラフルな風船が放たれている。

 誰が最初に駆け出したのか、次々と生徒達は校庭へ流れ出て真っ青な空へと舞っていくいくつもの風船を見上げて空を仰いだ。

 それはまるで卒業式や文化祭の催し物のように盛大なサプライズだった。

 

 〝彼〟、行田教師をただ一人除いて。


 氷樫の傘下を除く全校生徒が初めて拝んだ女王の笑顔は、確かに彼へ向けられていた。

 何故なら復讐対象である女子生徒を追おうとしたタイミングで、意図的に彼女へ足止めをされたから。

 彼の驚きと、焦りと、氷樫の笑顔が意図的に自分へ向けられているという謎への恐怖で染められた顔は、彼女のお気に召したのだろう。


 校庭で歓声を上げる生徒らを多くの教師たちはやれやれと見守っていたが、行田は構わず体育館から飛び出した。

 あの女を見つけなければならない。

 かつて学生時代にいじめに苦しめられた彼は、自分をいじめた同級生の姪に当たる三重野を貶めなければならない。

 誰に強要されているわけでもないし、使命があるわけでもない。

 彼を駆り立てるのは、心の中で育ち切った加虐心だった。


「どこに行った!? 三重野!」


 歓声にかき消されながらも行田は怒りと焦りで声を荒げる。

 温厚で人当たりの良い彼からは考えられない形相と怒号。

 思わずその声に反応して渡り廊下を歩いていた三重野は悲鳴を上げてしまった。

 向かう先は保健室だろう。

 三重野の傍らには、彼女を支えて歩く伊富貴の姿もある。


「い、行田先生……?」


 ストーカーの正体を知らない三重野はどうして行田教師が? という顔で固まっている。

 しかしそんな彼女の肩を抱いて、伊富貴は歩みを止めずに前へと進んだ。


「三重野さん駄目よ! 逃げなきゃ!」

「え? でも、行田先生って……え?」

「三重野、こちらに来なさい! 体調が優れないんだろう? 生徒間で解決しないで、こういう時は先生を頼りなさいと習わなかったのかい?」


 それでも進むのをやめない伊富貴と三重野にしびれを切らし、行田は彼女らを捕まえようと手を伸ばす。

 しかし、伸ばしたその手が伊富貴に届くことはなかった。


「アイツに何をする気だ?」

「っ!?」


 いつの間にそこにいたのか、声のする方へ反射的に顔を向けると行田の頬を重い拳が貫く。

 重い一撃によろめきながら行田は大神の姿を捉え、反撃をしようと腕を振るった。

 だがそれもまた別の人物の手により阻止されてしまう。

 足を払われ、腕を掴まれ、いとも簡単に行田の身体はくるりと宙に浮いてそのまま床へと叩きつけられた。

 何が起こったのかわからないまま目を回していると、腕を後ろ手に持っていかれすっかり組み伏せられてしまう。

 しかし大神は変わらず行田の前へ立ち塞がっている。

 では誰が今、自分を押さえつけているんだ?

 首を回してその人物を確認すると、随分と華奢な男子生徒が自分を踏みつけていた。


「お、お前は……っ」

「お気になさらず、名乗るほどの者ではありません」


 さらりと長い髪を揺らして、寺久保は行田を組み伏せたまま淡々と答えた。

 行田がその手を解こうと藻掻く度に寺久保の手に力が入って握られた腕からミシミシと骨のきしむ音が聞こえる。


「もういいぞ、愛。どこの誰かは知らねぇが、後はこの先輩に任せとけばいいだろ」

「良かった……三重野さん、これでもう安心よ。でもやっぱり寝不足で貧血を起こしちゃだめだから、一度保健室へ行きましょう」

「そ、それは……はい」


 三重野一人を置いてけぼりにして話が進んでいく。

 具合が悪そうだった三重野に伊富貴は保健室へ行こうと声をかけて集会を抜け出し、それを見た大神も続いて遅れて体育館を後にし、寺久保に関しては別件でこの場に偶然居合わせた。

 行動へ移った行田を止める、という重大な命令の下に。

 身動きが取れなくなり詰んでしまった行田は無駄な抵抗を諦めたが、この異様な空気の中彼に近付いたのは伊富貴だった。


「行田先生、あなたの悩みを解消出来なくてごめんなさい」

「……は、たかが小娘が何を言ってるんだか。お前なんかが俺の何をわかって、何を解決して救ってくれるっていうんだ?」


 伊富貴は眉を顰め、そんな彼女を行田は嘲笑った。


「……そこの先輩、そいつもっと強く締め上げてくれません?」

「理由は」

「愛を侮辱したんで」


 注文通り寺久保が締め上げると、行田は悲鳴を漏らす。

 幾人もの子供からの仕打ちを受け、決まりの悪い行田はこの中で一番弱いであろう伊富貴に何か言ってやらないと気が済まないのか、締め上げられてもなおその口は罵声を続ける。


「だから俺は嫌いなんだ。聖母だ何だと子供のくせに煽てられて、薄っぺらい言葉で思ってもない同情の言葉を吐くお前が」

「そんな……先生」

「お前に先生なんて呼ばれることすら気味が悪い。今回だって三重野を救った気でいるんだろう? 弱者の欲しがる言葉を与えて、それで愉悦に浸ってるんだろう!」

「先生、わたしは」

「見下す人間たちから愛されるのはさぞ気分がいいだろうなあ! 誰もかれもがお前の言いなりでっ」

「わたしと先生は、同類じゃないですか」


 温かい声音で奏でたその一言に、行田は静止する。


「先生にお伝えしましたよね。『あなたは自分が可愛いのね』って……それはわたしも一緒、わたしたち同類なんですよ。だから先生のその感情は、同族嫌悪というものなんです」


 ね? と笑顔で語りかける聖母の口から、聖母らしからぬ言葉が次々と紡がれる。

 行田と三重野は呆気にとられ、大神は静観し、寺久保は興味が無いと目を伏せていた。

 気持ちの悪い静寂の中、伊富貴は続ける。


「先生だって同じことをしてきたのでしょう? 相手の欲しがる言葉を与えて、誰しもの味方になってあげて、いつも笑顔を絶やさず、誰も愛さず、可哀想な自分だけを愛してきた。……そうでしょう? わかりますよ、先生のこと」

「……お、お前に、何が」

「でも先生、一つだけ見当違いなことを言っているわ。わたしはたくさんの人を導いたり、従えたりしたいわけじゃないの。多分、わたしはそういうのはどうでもよくて……ただ皆の力になりたいだけなの」


 皆の力になる、わたしが好き。

 

「皆から愛されているかどうかはわからないわ。愛されたいからしているわけではないし、感謝の押し売りをしているわけじゃない」


 皆に必要とされ、力になって、感謝されるお利口なわたしが好き。


「だからね、先生。わたしはあなたに嫌われても仕方がないと思うわ。全人類が分かり合えるなんて、そんな夢物語は考えないから」


――あなたがわたしを避けてしまっても、わたしは好きよ


「あなたに嫌われるわたしも、わたしは好きだから」


 好かれる価値のない悪役に好かれてしまう自分も好きだけど、好かれる価値のない悪役に嫌われてしまう自分も、それはそれで可愛くて好き。

 とどのつまり、絶対的に自分自身のみを愛する伊富貴にとってはどうでもいいことなのだ。

 わが身可愛さから自分のために復讐を決行した行田と、わが身可愛さ故に自分以外の人間に興味がない伊富貴。

 同族同類、ただし性根の違いが露わになった。

 たったそれだけのことだった。


「ごめんなさい、先生。わたしを傷つけられなくて残念でしょうけど」

「……っ~~~~~!」


 そこにあるのは相も変わらず慈愛に溢れる優しき笑顔。

 どこまでも女性的で、包容力を感じさせる魅力。

 しかし結局、偶像というものは他者が勝手に作り上げ、勝手に祭り上げるもので、その当人の胸中は誰にもわからないものだ。


「……あんまり弁が立つ女はどうかと思うぞ」

「あら、これもダメ? 淑やかに強かを目指したつもりなんだけれど」

「わざわざ口にする必要がない。周知の事実だからな」

「そうかしら?」


 そう大神が伊富貴に文句を入れていると、複数人の足音が徐々に近づいてくるのが聞こえた。

 まだ校庭の方から賑やかな声が聞こえてくるため野次馬がやってきたとも考えられないが……と大神が振り向くと、そこには見知った顔がいた。


「犯人確保御苦労。ここからは私に引継ぎだ」

「ひ、氷樫会長!?」


 声を上げたのは三重野だった。

 ぞろぞろと現れたのは氷樫を先頭にした集団、氷樫の連れ立つ傘下達だった。

 彼女が現れたことによりそれではここは任せて、と伊富貴は三重野を連れ、大神もそれに続いて西棟へと消えていった。

 残されたのは行田と、彼を押さえつけている寺久保の2人。


「なるほど、引継ぎ先は貴女でしたか。氷樫さん」

「あぁ。いつもご苦労様、寺久保淳良。後舎先生の指示だろう?」


 氷樫が後舎の名前を口にしたことにピクリと寺久保は反応したが、今日ばかりは行田の確保以外に揉め事を起こすなと重々言われている。

 後舎からの言葉を何度も脳内で反芻しながら、氷樫の傘下へと行田を引き渡した。


「では、自分はこれで」

「あぁ、夏休みを楽しめ」


 氷樫の言葉の最中に寺久保は歩き出し、敵対心をむき出しにしながら立ち去って行った。

 球技大会のことをそこまで引きずるかと氷樫は呆れつつ、無様にも子供たちに負けた教師を前にさてと切り出す。


「私の庭で、まさか私怨から女子生徒を襲おうとは……なんとも醜い」

「校長か教頭にでも引き渡すんだろ? 御託はいいからさっさと連れて行けばいいじゃないか、氷樫会長」


 苦々しく行田はそう吐き捨てたが、その言葉を聞いて氷樫は笑い声をあげた。

 ただの女子高生の笑い声。

 少しばかり低めのややハスキーな声でも、それは少女の口から発せられたもの。

 それだけの可愛らしいもののはずが、どうしてこうも胸をざわめかせるのか、行田は当惑した。


「これはこれは、子供相手に、それもかつて自分をいじめた張本人ではなく、その姪であるだけの罪もない少女に復讐を働こうとした行田先生なだけあって。なんとも平和な脳みそをお持ちのようだ」

「……な、何故そこまで君が知って」

「いいでしょう。先生が望むのでしたら生活指導の樋口先生に突き出すこともやぶさかではありません。ですがそれはこの後ではない」


 それまで笑っていた氷樫の顔から突如笑顔が消え失せ、その冷たい目はまるで虫けらでも見ているかのような眼差しだった。


「聞くに、行田先生。水が苦手だとお聞きしました」


 庭を荒らした害虫を生かしておくわけにはいかない。

 氷樫のその言葉、声音、表情、眼差し、その全てから本能的に何かを察知した行田の体は無意識に震え出した。

 体格のいい運動部揃いの傘下達に両脇を抱えられ、彼らはプールの方面へと歩き出す。

 そしてそこから離れる直前、あぁと思い出して氷樫がどこへともなく声をかける。


「ご苦労だった。犯人は無事に確保して、待機の必要はもうない。帰っていいぞ、望永未来」


 誰もいないその場に言い残すと氷樫も姿を消し、静かな渡り廊下には何も知らない生徒らの楽し気な声がかすかに聞こえてくるだけだった。

 そうしていよいよ一学期終了を告げるチャイムもなり、上の階の渡り廊下でスマホゲームをしていた望永がふうと短くため息を吐く。


「ほんと、よくやるよ……ハルも」


 そろそろ太陽が真上に上り切り、その日一番の日差しが注ぎ始める頃だろう。

 望永は校舎の屋上の人影を一瞥して、屋内へと避難していった。

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