7-3:×××と茶番劇場


 ◇ ◇ ◇



 三重野という少女は、他人に弱音を吐くのが苦手な少女である。

 男兄弟に囲まれて育ったことや、スポーツの最中に邪魔な髪を短く切っていることが関係してか、彼女は比較的さっぱりした性格をしていた。

 口数は多い方ではなく、子供のころから体を動かすことが好きで、今は何よりもバスケットボールを愛している。

 同性の友人とお喋りをする際は聞き手役が多いし、異性の友人とも気兼ねなく話すことが出来、流行物には疎く、後は本を読むのが好きなくらい。

 特筆すべき特技や趣味はないが、平凡な生活を送っている少女だ。


 それが何が発端か、夏が近づいてきた頃になると背後に何者かの気配を感じるようになる。

 心霊関係が苦手なこともあり最初は幽霊か何かと怯えたものの、気配を感じるのは決まってまだ日のある下校の最中。

 しかし気配を感じるだけ、それだけだった。

 私物が紛失するだとか、陰湿な書置きが下駄箱に入れられるだとか、人伝に自分宛ての悪口を聞くだとか、そんなことは特に起きなかった。

 だから彼女自身も気のせいだろうと思っていたし、なるべく友人と下校したり、家の最寄り駅からは兄弟と帰るなど色々と手は打っていた。


 だが家族に話せば要らぬ心配をかけてしまうだろう。

 学校の先生に相談したところであしらわれたらと思うと勇気が出ない。

 なので、校内でも有名な聖母に相談することにした。

 聖母と呼ばれるその女子生徒に相談したことは必ず事態が好転し、解決するという噂は聞いたことがある。

 そんなにも多くの人の悩み相談を受けている人になら、同じ学生であるなら、口下手な自分の話も聞いてくれるかもしれない……そんな淡い期待を胸に相談を持ち掛けた。

 ただ、誰かにこの気持ちの悪い不安を聞いて欲しかっただけかもしれない。


 とはいえ事態は何も変わらなかった。

 不定期に現れる学校帰りのストーカーの気配は相変わらずするが、それだけ。

 球技大会を終えた今日も、背後の遠くに人の気配を感じる。


 いったい何の用だろう?

 私が誰かに何かをしてしまったのか。

 そんな覚えは今のところない。

 恐怖心に負けて振り返ることもあるが、その人物を目に出来たことは一度も無かった。

 しかし、ついにおかしな文が書かれた手紙まで下駄箱に現れた。

 尾行されるのは必ず下校中だけ、なら夏休みに入れば諦めてくれるかもしれない。

 そう相談相手の聖母に話したが、結局それは自分に言い聞かせた願望でしかなかった。

 どうしたら諦めてくれるだろう、どうしたらやめてくれるのだろう……。

 考えてもわからないが、どう対処すればいいかもわからない。


(いい加減、お母さんに相談しようかな……。でも、そうしたら明日はせっかく部活が長く出来るのに)


 電車に乗って痴漢にあったことはないし、ナンパされたこともない。

 自分には女性的な魅力があまりないことを彼女は自覚している。

 だからなおのこと、あのストーカーの心理が読めないでいた。


 頭の中でぐるぐると考えているといつの間にか自宅前に到着していて、三重野はほっと息を吐き出す。

 ここまで来ればもうストーカーは手を出せない、唯一安心出来るセーフゾーンだ。

 そう思い玄関のドアに手をかけようとした。


「あの」

「っ!?」


 ずっと遠く背後に感じていた気配はいつの間にか間近にまで迫っており、数歩後ろの距離から声をかけられて全身が跳ねる。

 この数週間、一度だって声をかけてこなかったストーカーが、どうして今日? 今?

 バクバクと心臓が音を立て、冷や汗が止まらない。

 どうしよう、振り返るべきだろうか。

 それとも無視して家へ入るべき?

 瞬時に判断することは難しく、三重野はその場に硬直した。


「……あの、すみません」


 固まる三重野に、背後の人物は再び声をかける。

 頭が真っ白なまま自然と振り返ってしまったのは、その声が同年代の少年のものだったからだろう。

 不快さも嫌悪さも感じさせない、いたって普通のその呼びかけに、彼女は振り返ってしまった。


「三重野さん、ですよね?」


 彼女の顔を見て、その少年は彼女の名前を呼んだ。

 同じ学校の制服を着た少年。その顔はどこかで見たことのある顔だった。

 確か、やけに校内で顔が広いとか、そんなことを言われていた……情報通の。


「オレ、円道って言います」


 口元だけで笑う少年は、そう名乗った。



 ◇ ◇ ◇



 一学期の最終日を迎えた舞函高校は朝から妙な空気に包まれていた。

 その原因はどこかから流れてきた「ある生徒がストーカー被害に遭っているらしい」というゴシップ

 当事者の身元も噂の出どころも不明瞭ではあったが、その噂は妙な信憑性がついていた。

 どうやらその被害者の生徒は、あの聖母へ相談していたらしい。

 彼女に相談したなら大丈夫だろう、聖母に悪い噂は聞かないし。

 そう囁くのは信者たち。

 いち学生に相談したところで何が解決するのやら、さっさと警察に行けばいいのに。

 そう眉を顰めるのは一般生徒たち。

 楽しい楽しい夏休み開始を数時間後に控えた生徒たちでも、眼前の噂という御馳走を見逃すことは出来なかった。


 そして、廊下を歩いている〝彼〟にとってこの状況は望ましいものではなかった。

 既に多くの生徒たちは終業式のために体育館へと向かった。

 あと数十分もすれば終業式が始まり、その式が終われば生徒たちは晴れて自由の身。

 生徒らの成績表が保管されている職員室はしっかりと施錠され、教室に残っている生徒がいないかと教師たちも気を張っている。


「あ、やっと見つけた」


 〝彼〟もまた体育館へと向かう最中であったが、自分へ向けられた柔らかい声に足を止めて振り返る。

 自分を呼び止めたのは例の噂の関係者でもある人物、「聖母」と呼ばれる女子高生だった。


「最近お話が聞けてなくてずっと探してたの、忙しかったのかしら?」


 彼女の問いに答える義理はない。

 〝彼〟は返答せずに止めた足を再び前へと進める。


「あら……悲しいわ。わたし、そんなに嫌われるようなことをしたかしら?」

「……」

「でもいいの。あなたはわたしの特別なのだから、あなたがわたしを避けてしまっても、わたしは好きよ」


 どの口が、この嘘吐きが。

 そう悪態を吐いてやろうかとも一瞬考えたがやめておいた。

 こういう人間には何を言っても無意味だと、大して長くもない人生で既に学ばされている。

 〝彼〟はそれから一度も歩みを止めず、振り返ることもなく渡り廊下へと向かう。

 背中に視線を感じるが、あんな女になんと思われようとも関係のないことだった。

 今の自分にはやるべきことがある。

 なさねばならないことがある。


 復讐、復讐をしてやらなければならない。

 

 〝彼〟は常に仮面をつけている。

 その仮面さえあれば誰とも仲良く出来、どんなに悲しいことがあっても笑顔の仮面のおかげで涙を流すこともなく、辛いことも酷いことも何もかもを忘れて毎日を楽しく過ごせていた。

 そう、この仮面をくれた人物はかつて〝彼〟を悲劇の主人公にしていたのだ。

 来る日も来る日も〝彼〟を虐め、虐げ、罵り、弄び、笑い者にした。

 〝彼〟がどんなに拒んでも、どんなに助けを求めても、許しを請いても、悲劇の主人公を責める悪役は決してやめてはくれなかった。

 だから〝彼〟は笑顔の仮面を手に入れることにより、悪役からの非道を耐えることが出来たのだ。

 笑っていれば皆が許してくれて、泣かなければ責め立てられることもなく、媚びへつらっていれば次第に皆は興味を無くしてくれる。

 その頃手に入れた仮面は〝彼〟の顔から剝がれることはない。


 しかし、ある日〝彼〟は見つけてしまった。

 その顔に張り付けた仮面をくれた、あの悪役の面影を持つ者を。

 悲劇から時間が経ってしまった今、〝彼〟はあの悪役にやり返してやれることはない。

 時間が経てば経つほど、あの頃こうしていれば、あの時ああしていれば……、そう思うのは人間の性だ。

 だが悪役の面影を持つ者、彼女を見つけた日から〝彼〟の世界には一筋の光が差し込んだ。


 あの悪役の代わりに、彼女へ復讐しよう。


 代役に仕返しをしたところで気が晴れるかはわからない。

 この顔に張り付いた仮面が剥がれてくれるかもわからない。

 それでも〝彼〟は、そうせずにはいられなかった。


 だからタイミングを見計らった。

 彼女の後を尾行して、彼女の住処を見つけて、名前を確認してみてやはりあの悪役の血縁者だと特定して。

 いつ、どのようにしてやろうか、毎晩毎晩考えて、楽しみで眠れない日々が続いたものだ。

 すぐに復讐を遂げてしまってはつまらない。

 自分が苦しんだ年月の分、同程度の苦しみを味わってほしい。

 そうしてこんなに可哀想な自分の気持ちを分かって、共感して、恐怖して、涙してほしい。

 だって自分はいつも、この笑顔の仮面の下で泣いていたのだから。


 そんな〝彼〟の思惑を感じ取ってか、何か気になるところでもあったのか、ある時あの「聖母」が接触してきた。

 何か悩みがあるなら聞かせてほしいと、慈悲深い笑顔と包む込むような優しい声で。

 上辺ばかりの空っぽな慈悲をこちらに差し伸べた。

 だから〝彼〟は胸の内を聞かせてやった。

 凄惨たる悲劇の数々と決して剥がれない仮面と、ようやく見つけた復讐劇への糸口を。

 これは他人に話していいものではないが、話したところでたかが小娘に何が出来るというのか。

 どうせ人の不幸話を食って生きているのであろう醜悪な聖母にかける期待も疑心もなく、〝彼〟は自身の素性をつまびらかに話した。

 そして返ってきた反応は大したことはない。


――あなたは自分が可愛いのね


 誰もが知っているような、ありきたりな言葉だった。

 思ってもいないことを口にする嘘吐きが、救う気もない癖に、何が慈悲深い聖母だ。

 そんな人が本当に存在するならば、どうして仮面をつける前に現れてくれなかったんだ。

 だから〝彼〟は聖母が大嫌いであり、今もこうして復讐に向かって足を進めている。

 

 時刻はちょうど。終業式が間もなく始まる。

 〝彼〟は自分の定位置へと着くと生徒の中から彼女を探し、そして見つけた。

 やや俯きがちで、顔色があまり良くない。

 これはもしかしたらチャンスではないかと思わず口角が上がる。

 具合が悪そうなら声をかけて、この集会から抜け出すよう促すことが出来る。

 この仮面がある限り、誰も〝彼〟の親切な言葉を疑うことはない。

 そうしてそのまま保健室にでも連れて行って、……遂に復讐を実行してやろうか。

 幸いにも彼女をねじ伏せることも、痛めつけることも容易い。


 〝彼〟が悪役に辱められたあの日も、いやに暑い夏休み前だった。


 せっかくなら彼女にも同じ傷を負ってもらって、傷の舐め合いをするのもいいかもしれない。

 獲物がすっかり弱り切った今、〝彼〟の加虐心は煽られるばかりだ。


 マイクのテスト音が聞こえ始め、終業式の進行をする生徒会の生徒らが動き始める。

 快晴、高い湿度が肌にまとわりつく、夏休み直前の待ちに待った絶好の復讐日和。



 さあ、茶番を始めよう。


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