7-2:×××と茶番劇場


 ◆ ◆ ◆



 人の顔色を見て話すことは得意だ。

 そうしなければいけない人生を歩んできたから。

 人の顔色を見て、何が好きか嫌いかを判断することが得意だ。

 そうでもしないと何をされるかわかったものじゃないから。


 笑顔という仮面を張り付けて、へらへら笑っていれば誰の機嫌も損ねない。

 誰とでも仲良くしておけば、自然と様々な情報が耳に入ってきて、生きやすくなる。

 臆病者だと罵られても、それが事実であり、それが自分であるのだから否定はしないし、笑って頷いた。


 でも自分に笑顔という仮面を与えてくれた人については、一日たりとも忘れたことはない。

 忘れたふりをして、楽しく過ごしていた中で、しっかりとこの仮面の下に全てをしまっていた。

 冷たく、痛く、年月を重ねてどろどろになったこの感情を、皮膚の下で飼っていた。


 そして彼女を見つけた時、この仮面にヒビが入る音が聞こえてしまった。

 真っ先に心の中の自分がそうだと断定し、いやそんなはずはと仮面の自分が否定をする。

 それでも、真偽が気になってしまっては調べないと気が済まない。

 臆病者の自分は調べてしまい、彼女がそうだと発覚してしまったからには、選択肢は一つしかなかった。


 彼女には、この仮面の下を見てもらわなければならない……と。



 ◆ ◆ ◆



 真夏の日差しが照り付けるグランドを生徒が駆け、声を張り上げ呼びかけ合っている。

 彼らに蹴られたサッカーボールはゴール付近まで飛んで行ったが、横から出てきた誰かの足に妨害されてボールはコート外へと転がって行った。

 そんな光景を体育館の開放されたドアから眺めながら、氷樫は探していた人物を見つけて近付く。


「お疲れ様です、後舎先生」

「あ、氷樫さんお疲れ様。えっと、氷樫さんの競技は……」

「バドミントンだったのですが、もう終わってしまいました」


 期末試験を終えた生徒たちは伸び伸びと羽を伸ばし、期末のレクリエーションである球技大会で賑わっていた。

 本日は授業が一コマもなく、ただ球技競技をするだけの一日であるため多くの生徒はやけに元気だ。

 運動が苦手な一部生徒らは辟易としているが、あくまでもレクリエーションであるため手抜きをしたところで誰も怒らないし、成績に響くわけではないのが唯一の救いといったところか。

 そんな楽しい行事に似つかわしくない陰鬱な雰囲気を纏う後舎の近くにはもちろん生徒は寄り付かず、彼の辺りには一定のスペースが保たれていた。

 そんな危険区域に氷樫はお構いなしに足を踏み入れ、周囲の生徒らの注目を集める。


「相変わらず、先生のことを理解しない生徒ばかりで悲しいですね」

「ん? 何の話?」

「いえ、こちらの話です」


 氷樫の所属する3年A組の担任教師は後舎であり、そして氷の女王と称えられる氷樫会長の尊敬する教師もまた後舎であった。

 彼女もまた、後舎という人物の持つ特異な気に当てられている人間/危険因子なのだが、このことは双方ともに気付いていない状態である。

 よって本人らにとっての関係は、優秀な教師と優秀な教え子でしかない。


「ところで氷樫さん、わざわざ僕のところに来たってことは……何か用事でも?」

「いえ、尊敬する後舎先生がこちらにいらしたので来ただけです。この球技大会が終わるまで私もやることがなくなってしまったので」

「えぇ!? そんな、あ、相変わらず氷樫さんは変わってるね……僕なんかにそんなことを言ってくれる人いないのに」

「いないことはないでしょう。いつもの彼だって随分と先生を慕っているじゃないですか」


 氷樫は謙遜する後舎の方を向いたまま、ちらと目線だけをズラす。

 その視線の先には誰もいなかったが、氷樫は誰もいないはずのそこから放たれる鋭い殺気を肌で感じていた。

 そんなに殺気立つのなら堂々とここへ立てばいいというのに、と呆れて目を伏せる。


「もしかして寺久保君のこと? 確かによく僕なんかの手伝いを進んでやってくれたりするけど、きっと彼も僕に気を使っているだけだろうし」


 眉をハの字にした情けない顔で後舎は笑い、氷樫へ向けられていた殺気は一瞬にして消え失せてしまった。

 何とも愚かでバカバカしい、と氷樫は心の中で悪態を吐く。

 まぁどうでもいいかと一蹴して、本題を切り出した。


「先生、雑談をしようと思ってこちらへ来たのですが、大丈夫でしょうか?」

「あ、うん。僕の担当は体育館なだけだから、大丈夫だけど……僕に雑談?」

「えぇ、雑談程度に聞いてくださって構わない話です。実は、一年生のある女子生徒がストーカー被害に遭っているようなことを聞きまして」


 そこで区切ると、氷樫と並び立っていた後舎の背がわずかに伸びた。

 いつも猫背な彼は丸まっていた背を起こし、本来の高身長を取り戻す。

 しゃんと背を伸ばしてみると、ひょろ長い彼でも多少の圧を出すことは出来るようだった。


「そんなことを雑談にしてはいけないよ、氷樫さん」


 滅多にしない真剣なまなざしでこちらを見る後舎を見て、氷樫はあぁやはりと悲嘆した。

 この人は本当に生徒思いな良き教職者であり、未来を担う子供という哺乳類を神聖視しすぎている、と。

 氷樫は心の底から後舎を尊敬しているが、こういうところだけは哀れに思っている。

 子供に夢を見る大人とは、なんとも悲しいものだ……と。


「これは失礼しました。しかし、聞くところによると今のところは実害が出ていないそうです」

「実害は出てない……というと?」

「ここ最近下校時につけられている気がする、という程度だそうで。物を無くしたり、不審なものが送り付けられたり、誰かにしつこく付きまとわれることはしていないそうです」

「そう……確かにそれは、なんというか」

「立証のしようがない、難しいところですね。本人の妄想や思い込みではと言われれば否定は出来ません。……とはいえ」


 些かこの学校では何かと問題が多いですね、と氷樫が零した。

 その小さな言葉に、後舎は内心びくりと反応する。


「春休みのボヤ騒ぎに、新学期早々の自殺未遂騒動。先生の模倣犯らしき生徒の試験妨害に、女子生徒の非行問題、そして運動部の生徒の怪我による大会出場辞退……ですか。夏を迎えるまでのたった四カ月でこれほどとは」

「……まぁ、問題がない学校なんてありはしないから一概にそうとは言えないけど。…………でも模倣犯は確かに僕のせいで僕が存在しなければ発生はしなかったわけで」

「あれはあの生徒の問題であって、後舎先生に非はありません。そう悲観しないでください」

「は、ははは……そ、そうだね。そうだといいな……いやそうじゃないんだけど」


 先程まで伸ばしていた背がまたみるみる小さく丸くなっていく様に氷樫は首を傾げたが、こればかりは後舎の言い分が正解であった。

 そうして後舎の身長が先程より更に小さくなったところで、また別の生徒が彼らにゆっくりと近付いた。

 その人物はすっかり疲弊しているようで、タオルを片手に氷樫の隣へと足を並べる。


「お、お疲れ様です……後舎先生、珠李」

「おや、愛。随分とお疲れの様子だな」

「珠李のせいでこんなに疲れてるんじゃない……もう」


 へろへろとその場にへたり込む伊富貴に、氷樫は手に持っていたペットボトル飲料を手渡す。

 伊富貴は迷わずそれを受け取り、未開封の蓋を開けて喉を潤した。


「伊富貴さんも終わったのかい?」

「え、えぇ……珠李にボコボコにされて、終わりました」

「私が圧勝して負かしました」

「な、仲が良くて何より……だね?」


 売り言葉に買い言葉なやり取りに後舎は戸惑いつつも、目の前の女子生徒二人は何事もなく普段通りなので一旦胸をなでおろした。

 校内では「氷の女王」だ「聖母」だと大層な呼び名がついている二人ではあるが、後舎からすれば二人ともまだまだ可愛い生徒に違いはなく、周囲の生徒たちから何やらひそひそと声が聞こえてくるがあまり気にしないようにしようと気をそらす。

 どうしてあの二人が、あのテロリストの近くに……?

 と、そんな言葉などは聞こえてはいない。聞こえていないのだ。


「あぁそうだ、ちょうどいい。愛、君が例の生徒から相談を持ち掛けられているんだったな?」

「例の生徒?」

「ストーカー被害に遭っているという生徒だ」

「あ、三重野さんのことかしら。えぇ、先生に相談しづらいからと最初に話を聞いたのはわたしだけれど……でも」

「?」


 雲行きの怪しい伊富貴の言葉に、後舎と氷樫は揃って首を傾げる。


「期末試験も終わったし、スクールカウンセラーの先生に相談してもいいんじゃない? って提案したら、もう夏休みにも入るし、その間に諦めてくれるかも……なんて」

「ふむ、随分と楽観的な生徒だ。やはり実害、……一度痛い目を見ないと実感が湧かないものなのか」

「違うわ珠李、三重野さんはそんな子じゃないの。それにあの子、『そう言われた』って言っていて」

「誰にだい?」


 後舎の問いに、伊富貴は一呼吸おいてから小さく答えた。


「その、ストーカーに……って」


 その被害者である三重野いわく、直接的な接触は未だないようだがどうやら期末試験最終日に「夏休みを楽しみに」とだけ書かれた手紙が下駄箱に入れられていたらしい。

 そんな言葉を信じるのも馬鹿らしいが、手紙が下駄箱に入れられていたというのもまた由々しき事態だ。

 登下校中のストーカーと聞けば犯人がどんな人物か絞り込むことは難しい、しかしこれは決定打である。


「学校関係者にストーカーがいる、ということか」


 部外者が真昼間の高校に侵入出来るはずがない。

 それに三重野個人の下駄箱に投函されていたということは、彼女の校内での行動を少なからず把握出来ている人物の仕業だということは明白だ。


「珠李は何か知らない? 校内で不審な動きをしている人とか、そういうの見るの好きでしょう?」

「それを好きかと問われると違うと反論したいところだが、この学校内の情報に長けているという自負があっても、個人間のいざこざといった小さなことまでは流石にな」


 この学校を丸々私物だと思っている氷樫は学校中に私物の監視カメラを配置しているが、このことを知っているのは自分と近しい生徒会メンバー、無害である伊富貴、それからお気に入りの円道のみだ。

 後舎は何の話だろうと疑問符を浮かべながら話を聞いているが、氷樫という一生徒会長が校内事情にやけに詳しいことは彼でも把握している。

 きっとこの学校が大好きなんだろうな……なんて、そんな呑気な考えをするのがこの哀れな男であるのだが、その男があることに気付いてあれと声を上げた。


「そういえば、氷樫さんも学校内のことに詳しいけど、円道君もやけに詳しいよね。彼もこのことは?」

「あ、そうなんです! 円道君! 円道君のこと知りませんか?」


 伊富貴もこの話は情報通である円道に共有しようと思ったらしいのだが、どうもこの数日彼を捕まえられていないらしい。

 そして彼を探している中で、あることにも気付いたのだという。


「円道君、本当に学校の色んな情報を知っていて、沢山の人と仲良しで、顔が広くて。……でも、いつも円道君って向こうからやってくるばかりで、わたしの方からあまり探したことがないなぁって思ったんです」

「ほう、それは面白い話だな」

「そうなの?」

「簡単なことだ、メッセージを一言送れば秒で現れるぞ」


 それは君だから出来ることでは……と後舎と伊富貴は口にしそうになったがぐっとこらえた。

 彼女と円道の関係を詳しくは知らないが、ただの仲良し先輩後輩とは言い難いものがある。


「一生徒に何か出来るとは思えんが、どうする? 呼ぶか?」

「う、ううん! 大丈夫よ!」


 あとは送信ボタンを押すだけで呼べるぞと氷樫はスマホの画面を見せてきたが、伊富貴は頭を振って遠慮した。

 流石に「体育館」とだけ書かれたメッセージを可愛い後輩へ送ることは躊躇われるし、何よりこの言葉を見た時の円道の気持ちを考えるだけで申し訳ない気持ちになる。


「もしタイミングが合えば何か知らないか聞きたかっただけだから、大丈夫よ。どちらにしても明日は終業式だし」

「そうだね。とりあえず、今聞いた話は僕が職員室へ持ち帰ることにするよ。生徒だけに任せていい話じゃあないし、何より危ないからね」


 後舎の言う通り、一人の生徒がストーカー被害に遭っているというのは見過ごせることじゃない。

 「気のせいじゃないか」なんて言葉で片づけていいことではないし、不審な手紙まで現れたのなら尚更だ。

 一刻も早く学校内で注意喚起を出して、加えて三重野という女子生徒には警察へ行って相談してもらわなければ困る。


「明日の終業式の挨拶で私からも軽く話しておきましょう。犯人が分からない以上、警戒を怠るわけにはいきません」


 終業式では校長、生活指導担当、そして生徒会長の挨拶が行われる。

 明日も気温が上がると予報されているため、出来る限り早くに切り上げましょうと事前に氷樫は教師陣に掛け合っていた。

 この後後舎が職員室でこの話をしてくれるのなら、明日の直前の打ち合わせでも簡単な確認だけで済むだろうと氷樫は踏んでいる。


「注意喚起をすることしか出来ない……っていうのは、歯がゆいね」

「今日にでも警察に駆け込んでくれればいいんですが、どう思う? 愛」

「わたしからも勧めてはいるんだけれど……ちょっと難しそう」


 当事者が消極的であるなら外野が何とかしたいところではあるが、何分難しいところだ。

 せっかくの夏休みを目前に、なんとも穏やかじゃない話だと氷樫がため息を吐くと同時にチャイムが鳴る。

 それは球技大会の折り返しを告げるチャイムで、これからが後半戦という合図でもあった。


「おや、それでは私は生徒会の仕事がありますので。これで」

「や~氷樫さんはえらいなぁ……お疲れ様。僕も頑張って成績付けの追い込みしないと」

「明日が楽しみです」


 氷樫は相変わらずの無表情だが、どこか楽し気に告げると生徒会室へと足を向けた。

 その際すかさず伊富貴が立ち上がり、それじゃあ私もと移動する。

 伊富貴の行き先を聞く気はないが、どうせ余ったこの時間を使ってまたどこかの空き教室にでも入り浸るのだろうと氷樫は肩をすくめた。

 幼馴染であり親友でもある彼女だが、彼女の行う慈善事業だけは物好きだなと思うばかりだ。


「そういえば、珠李。このお水このまま貰っていいの? まだ口をつけてなかったみたいだけど」

「ん? ……あぁ、それはお前のだ」

「え!? 珠李がわたしに? な、なんて珍しい……」


 伊富貴は驚きのあまり口に手を当てて目を丸くしたが、氷樫は何をと眉一つ動かさず答えた。


「その感謝はお前の飼い犬にでも聞かせてやれ」


 それは体育館へ入る途中すれ違った人相の悪い大型犬に押し付けられたものだからな、と。

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