最終章:×××と茶番劇場

7-1:×××と茶番劇場


 さあ、茶番を始めよう。



 ◇ ◇ ◇



「どうしたんですか、後舎先生」


 舞函高校の正門近く、後舎の背後から声がかけられた。

 まだ生徒たちの登校時間よりも早いため辺りに人は少なく、日中よりも気温の低いこの時間に登校するのは大人ばかりだ。


「あ、おはようございます。行田いくた先生」

「おはようございますー。で、どうしたんですか? そんなとこで立ち止まって」


 朝から辛気臭い後舎に明るく挨拶を返すのは2年生を受け持つ行田教師だった。

 今年から職員室での席が隣になったこともあり、若く明るく朗らかな彼は常時陰気な後舎にも親しく接してくれる貴重な人間である。

 校舎脇にある花壇の前で立ち尽くす後舎の背後から何を見ているのだろうと身を乗り出すと、そこには用務員が溜めているであろう雑草の山があった。


「……ここに鍵でも落としました?」

「いえいえ! そんなことはしてないです! た、ただ……春休みのことを思い出しまして」

「春休み……あぁー、ボヤ騒ぎですか。迷惑ですよね~春休み最終日だからって」


 行田の言う通り今年度の頭、春休みにここで軽いボヤ騒ぎが起きた。

 今後舎が立っている場所はゴミ収集車の駐車場所であり、その時も古紙や雑誌などのゴミがここに集められていたらしい。

 その紙の山に、夜遅く忍び込んだ何者かが花火をつけて騒動となった……とのこと。

 上る煙に気付いた通行人や近所の人間が急いで通報したため、火が回る前に消火できたらしいのだが、不法侵入と放火が重なり入学式後はしばらく校内もピリピリした空気が漂っていた。


「でも、被害も最小限だったみたいですし大きな事故にならなくてよかったですよね……。誰も怪我をしなかったというのがまた」

「後舎先生は相変わらず緩いですね~。まぁ犯人は捕まった……んですっけ? そういえば、その前後に近くのコンビニで強盗があったって話もありましたよね」


 この辺りも物騒なのかな~と行田はぼやいたが、彼は今年この学校に移ってきたばかりの教員だったので近辺の情報には明るくない。

 しばらく勤めている後舎は特別治安が悪いというわけでは……と思ったところで、近所の伝統的不良校の存在が頭をよぎり言葉を飲み込んだ。


「なるほどなるほど、後舎先生ぇ大丈夫ですよ。枯葉と違ってこれは燃えにくいですし、今はもう日のある時間も伸びましたから」

「そ、そうですよね……! 杞憂ですよね! ……いや、でももしかしたら春の騒ぎを知って影響された誰かがやらないとは限らないですし、学校とは人が集まるところですから誰彼構わずの迷惑行為で遊び感覚で火をつけてやろうなんて思わない人が現れなくも……僕がこの学校にいるせいで」

「まーたスイッチ入っちゃったんですか、心配性なんですよー! それに後舎先生が何で原因になるんですか~!」


 先生が原因になるのは爆発だけでしょう!? と行田は笑い飛ばして後舎の背中を叩いた。

 それはそうなんですけど……と口ごもる後舎だが、そこに行田は釘を刺す。


「まぁまぁ、テスト期間で気分が落ち込むのもわかりますけど、あと数日したら夏休みじゃないですか。採点、成績付けと仕事が山積みですけど……この山を越えればですよ」


 だからさっさと行きましょうと行田に促され、後舎は足を動かした。

 この舞函高校は昨日から一学期の期末テストが始まっている。

 つまり、この数日間を乗り越えれば夏休みを迎えるのだ。

 生徒たちは手を伸ばせば届く夏休みによだれを垂らしながら、立ちふさがる期末試験という敵を何としても倒さなければならない。

 そんな誘惑と敵意と、憂鬱と怒りが渦巻くこの時期は、教師側からしても何とも言い難い空気だ。


「あと3日ですもんね」


 後舎は腕時計を確認して、生来の情けない顔を行田へと向けた。



 ◇ ◇ ◇



 登校時刻、望永未来はゆっくりと階段を上っていた。

 多くの生徒が次々と彼を追い抜き、テストへの愚痴や夏休みの予定を楽しく話し合っている。

 望永の両手は黒く小さな薄い板をしっかりと掴み、その両の目は画面を捉えて離れることはない。

 だが、階段の中腹にて視界の端に何かが映りこんで足を止めた。

 その何かは行く手を阻むようにこちらを向いている。


「……」

「歩きスマホは校則違反だぞ、望永未来」

「…………」

「何、没収なんて真似はしない。ポケットにもしまわなくて結構」

「会長サマが、俺に何か?」


 望永の前に立ちはだかったのは氷樫だった。

 試験期間の真っ最中。真面目に試験へ取り組む生徒や一夜漬けの生徒は、この朝の時間が一分一秒も惜しいものだが、ここにいる二人はその必要がない。

 望永は大の勉強嫌いであり、氷樫は文武両道を絵に描いたような人物である。

 そして今述べたように、正反対であるこの二人にはまず接点など欠片も存在しない。


「会長サマ、とは。円道花之の友人とは本当らしい」

「……女王様が俺に何の用か知りませんけど、今忙しいんで」


 どうせこの学校に出入りしている全ての事情を把握しているのだから下手な芝居は不要だ。

 そう、言葉にはせず望永はため息を吐いた。

 どうせ言わなくても全て伝わっているに違いないと踏んで。

 そしてそれはもちろん、その通りだと氷樫は冷たくまっすぐな眼差しで望永へ答える。


「……何もないなら、俺はこれで」

「まぁ待て、私が話しかけたということはそういうことだ。用もなくわざわざ1年生の階へは降りてこないさ」


 なら用件をどうぞ、と望永は視線を手元のゲーム画面へと落とした。

 この態度からわかる通り、望永もまた彼女の傘下ではなく支持者でもない。中立派の人間だ。

 しかし氷樫から言葉が飛んでくることはなく、代わりに望永のスマホの上にもう一台のスマホが並べられた。

 その画面にはゲームのアカウント情報が記載されている。

 そこに羅列している数字を他のアカウントが入力するとフレンド申請が出来る、そんな画面が表示されていた。

 そしてそのスマホは、氷樫の手に握られている。


「友達にならないか? 望永未来」

「…………」


 長い沈黙の後、望永はただ一言「正気?」と口にした。



 ◇ ◇ ◇



 大神瑠真が空き教室のドアへ手をかけようとした時、ドアは内側から開けられた。

 ドアを開けた女子生徒は大神の存在に目を丸くし、ごめんなさいと軽く謝って教室を出ていく。

 特に謝る必要もないはずだが対峙した人間をそうさせてしまうのは大神が自分を他者へそう見せているからかもしれない。

 自分の大切な人におかしな虫が近寄らないように、常に外敵を威嚇しているのだ。


「あら、どうしたの?」


 走り去っていく女子生徒を尻目に教室へ足を踏み入れると、乱雑に置かれた椅子の一つに腰かけていた伊富貴が声を上げた。

 彼女の向かいには先の女子生徒が座っていたであろう椅子が一つ置いてある。


「試験の日のHR前くらい大人しくしてたらどうだ。流石にそろそろ樋口当たりが口出してくるぞ」

「ヒグチって……学年主任の樋口先生?」

「生活指導の樋口だ」


 どちらも同じ樋口先生じゃないと伊富貴が口にすると、そういう意味で言ってるわけないだろと大神がため息を吐く。

 伊富貴本人が好き好んで行っている慈善事業、〝お悩み相談〟をすること自体は構わない。

 彼女にあれこれと自分の理想を押し付け、彼女を理想の女性にしようとしている大神もそこまで彼女の自由を束縛するつもりはない。

 というか、お悩み相談とはいえ所詮はおままごと。

 子供の遊びにルールを敷くほど彼も狭量な男ではない。

 それでも今日という日は期末試験という厳粛な催し物が行われる日であり、厳粛ということはそれを取り仕切る大人たちは普段の数倍ピリついているのだ。

 加えて伊富貴は三年生、今年は大学受験の年である。


「俺は別に大学なんて行かなくていいと思うけどな」

「何言ってるの。今時そんなの古い考え、って言葉自体がもう古いじゃない。わたしだってしっかり勉強して大人になるんだから」

「なら〝皆から頼られる聖母役〟なんてやめて、とっとと〝真面目に勉強する学生〟に役替えしたらどうだ?」


 大学受験を控えた学生がいつまでも遊んでいるんじゃない。

 言葉は違えど、大神はそう言っている。

 しかしその言葉を聞いて伊富貴は目を丸くすると、くすくすと小さく笑った。


「それは出来ないわ」

「出来ない?」

「えぇ、だって。真面目に勉強するわたしも好きだけれど、それよりも皆に頼られるわたしの方が、わたしは好きだから」


 うっとりとした表情で、柔らかい髪を靡かせて、伊富貴は美しく笑う。

 それはまさしく聖母のようであり、大神が心から愛する女性そのもののものだった。

 しかし、そう思えても大神は首を横に振る。


「お前の好き嫌いに意見するつもりはない。が、大人になるんだろ?」

「えぇそうよ! 優しくて素敵な大人を目指します!」

「じゃあ学生の本分は忘れずに、とっとと教室に戻って試験前の最終確認をしろ」


 全く取り合わない大神へ伊富貴はむっと頬を膨らませるが、それでも首を縦に振ることはない彼はただ彼女へと手を差し伸べた。

 伊富貴はその手を取り、ようやっと椅子から腰を上げる。


「……瑠真くん、お父さんみたい」

「お前の親父さんと同じくらい優しくしてるつもりはないけどな」

「そうじゃなくて、なんかお父さんって感じ。パパはわたしに優しいもの」


 そっぽを向く伊富貴に構わず大神は空き教室から彼女を連れ出して、無人になった教室のドアをしっかりと閉める。

 教室へ向かう最中何人かの生徒とすれ違い、伊富貴の姿を目にした数人が話しかけようとしたものの彼女の手をしっかりと握った番犬の姿を目にすると、たちまち踵を返していく。

 そんな信者たちの姿を眺めながら、聖母とはそう気やすく話しかけられる存在だったろうかと大神は首をひねった。

 そして首をひねったついでに、先ほどのことを思い出した。


「そういや、今度はどんな面倒ごとに首を突っ込んでるんだ?」

「? 面倒ごと?」

「今朝のままごと相手だ。アイツ1年だったよな」

「あ、三重野みえのさんのことね。それが実は……ストーカー被害に遭っているらしくて」

「はあ?」


 そんなのいち生徒間で相談することじゃないだろと大神は足を止めたが、まあまあと伊富貴は彼の背中を押してそのまま教室へと向かう。


「実害が出たわけじゃなくて、そんな気がする程度らしいのよ。だから大人に相談してもどうせ相手にされないっていうので、わたしに不安を吐き出している……ってところかしら」

「そんなことで解決するなら警察なんて必要なくなるな」

「確かにそうかもしれないけれどね、瑠真くん。昔から人って、そういうものじゃない」


 三年生の教室の前へ到着すると、伊富貴は大神の手からするりと抜け出して一歩前へと踏み出した。


「人は辛い時、ありもしない偶像へ祈り、縋りつくものでしょう?」


 いつもと変わらない美しい笑顔で、伊富貴はそう呟いた。


「それじゃあ、また試験後ね」

「……あぁ」


 伊富貴が教室へ戻ると友人たちがどこへ行ってたんだと迎え入れていた。

 あと数分で朝のHRが始まり、その次のチャイムと同時に本日一つ目の試験が始まる。

 三年と一年の教室は階層が違うため大神も早めに教室へ戻らなければならない。

 階段へ戻りながら、先程の伊富貴の笑顔と言葉、そしてストーカー被害に遭っているらしい女子生徒のことを思い返して、ため息交じりに思わず舌打ちをした。


「ったく、人間の愚かさを説く聖母がどこにいるってんだ」


 去年までの彼女はそこまで物事を深く考えられる人間ではなかった。

 もっと浅はかで、人の感情の上辺だけを掬って、心にもない慈悲を注ぐだけの、完璧な聖母だったというのに。

 どこぞの蛇に知恵のみでも食わされたかのような、馬鹿な女でなくなってしまった。

 大神はその犯人を未だ掴めていない。


(タイミング的には春休みの直後……円道と知り合った後か? だがまさかアイツが愛に入れ知恵するような奴にも思えないし、アイツはもっと違う……)


 とそこまで考えたところではたとあることに気付いた。

 校内でも顔の広い、情報好きと呼ばれている円道花之という男の姿を最近見ただろうか? と。


「……まあ、俺にはどうでもいいことか」


 誰に向けたわけでもない独り言を吐き捨てて、大神は自分の教室へと戻って行った。

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