6-4:武士と家守り



 なにはともあれこれで指輪も無事に返って来た。

 指輪をつけ、爆弾を持ち上げてタイマーをリセットさせてことなきを得る。

 そして二人とも六時限目には授業に戻り、放課後には今まで通りの何事も無い留守番をして、無事に一週間を終える。

 指輪は職員室で拾ったとか何とか言い訳をして流せばいいし、円道の携帯はすぐに回収に向かったが、朝樋口教師と円道が話をしているのを覚えていた教師が「あの時に落としたんだろ?」と擁護してくれた。


(これであとは月曜に適当に誤魔化して、そしたら今度こそ解放される)


 よしよしと円道はコーヒー牛乳を啜った。

 そして定位置にいる寺久保の背をチラと見て、少し考える。

 嫉妬深い人だとは思っていたが、まさかあんな机の配置如きに怒るとは、と。


(いやオレだって先パイにとやかくは言わないし、好きにしてって感じだけど。ちょーっと理解は出来ないなぁ)


 後舎から合鍵を渡されている円道に対する嫉妬。

 指輪を確保したところで自分が運ぶんだと意固地になるところ。

 そして樋口と後舎の机が隣であるということに対する、嫉妬。

 寺久保は後舎に惹き寄せられた生徒であることは確かだ。

 この学校には彼以外にも幾人か危険因子がいるし、円道が知らないだけでまだ潜んでいる可能性はある。

 だが、その心酔っぷりを上げるなら彼の右に出る者はいない。

 尊敬、崇拝、憧れ、畏怖。それらの言葉はどれも当てはまるだろうが、彼のその心酔はまさしく〝恋〟と呼べるものだと思う。


(先パイみたいな綺麗どころがなぁ、あのセンセーにねぇ~)


 寺久保は指輪を収納した引き出しをしばらく見つめていたが、何か心配事や不安があるのか、浮かない顔でハァと短くため息を吐いていた。

 どうやら自分が紛失させた責任は、今になって感じているようだ。



 ◇ ◇ ◇



 休日を挟んで月曜日を迎えると、円道は放課後に再び化学準備室へと向かった。

 中へ入れば後舎が待ち構えている。


「円道くん! 先週はご苦労様ーこれでいいよね?」

「お、さっすがセンセーわかってる~」


 早速報酬のコーヒー牛乳を受け取り、先週の報告もあるのでそのまま腰を下ろした。

 だが彼のことを思い出して窓際へ目をやると、やはり寺久保もそこにいた。

 意識しないとすぐに忘れてしまうその存在感の消し方、一度習ってみたいものだ。


「どうだった? 特に変わったこととかはなかったかな?」

「え、あぁはい。センセーが爆破起こさなかったんで超平和でしたよ」

「あ……あ、うん。そうだよね……僕みたいなヒステリックは学校にいるだけで風紀が乱してしまうし他の人にも迷惑が」


 そう後舎がいつもの自虐を始めた時だった。

 ガタン、と珍しく寺久保が大きい動作で立ち上がる。


「先生、申し訳ありません。自分の失態のせいで、指輪のスペアを失くしてしまうというミスを」

(あ―――――――――!!! 何言ってんのこの人――――――!?)

「指輪が、失くなった?」

「失くしてねーしちゃんとあるし言わなくてもいいでしょうそんなこと!?」


 後舎はポカンとしたままだが、寺久保は誠心誠意深く頭を下げ、円道は机を引っ叩く。

 あの時のため息は責任を感じていたのではなく、これを告白しようと考えていたのかと今になってわかったが、今更彼を責めてもどうしようもない。

 こうなったら後舎に全てを知られてしまう前にうまく誤魔化さねばならない。

 爆弾が起動したことを第一優先に隠さなければ。


「先生。自分が、管理担当をしていた指輪のスペアの件で」

「いやあでも指輪がどっかにないかってオレ等校内中めちゃくちゃ探したんですよ! そしたらですね、寺久保先パイが見つけて来たんですよその指輪を!」

「え、そうなのかい? 寺久保くん」

「え、いえ……え?」


 どういうつもりだと寺久保に睨まれたが、構うものかと円道は進める。


「いやぁまさか他の先生がこの部屋から物運び出す時にわざわざ引き出しまで探して指輪の箱を落とすなんて思いませんよね~! そんでないないってオレ慌てちゃって、あの指輪があれば爆弾持ち出せちゃいますし。でも流石寺久保先パイ、センセーの手伝いしてるだけあって見つけるのも早くって」

「へぇ……そうだったんだ、寺久保くんありがとうね。スペアでもあの指輪なくなったら危なかったし、他の誰かが持ってっちゃうのもね」

「あ、その……いえ。自分は、ただ留守を頼まれていたので、善処を尽くしたまでです」


 後舎から礼を言われてしまえば否定もし辛いだろう。

 しめしめと笑いながら円道は鞄を肩にかけ、そそくさと準備室を出た。

 報酬さえ受け取れば今回の任務は終了。

 また後舎からの呼び出しがあるかもしれないが、その時はその時だ

 解放されて自由の身になれたなら、さっさとお暇するのがお決まりの流れ。


(とにかくもうちょいしたら夏休みだし。そうすれば先パイから命を狙われることもしばらくはなくな……)


 下駄箱を開くと、ガツンとすぐ隣にきりが突き刺さった。

 そこの下駄箱は誰かが今も使用しているはずなのだが。


「円道さん」

「……な、何でしょうか。寺久保先パイ」


 いつの間に背後にいたのか、神妙な面持ちで寺久保はこちらを見据えていた。

 後舎に対して嘘を吐き通したことにでも怒っているのだろうか?

 恐る恐る振り向いて、円道は彼の言葉を待つ。


「先程は、すみませんでした」

「はい。……え?」


 あれ? と頭を上げると、寺久保が頭を下げていた。

 まさか、彼のこんな姿を見る日が来るとは。


「自分が責任を感じるばかりで、つい口走ってしまい」

「いや、……いやそれはホントっすよ。黙っとけばいいのに」

「しかし、自分は人へ貸しを作ることは嫌いなんです。それが先生相手であっても」

「……はあ」

「なので不本意ではありますが、そうですね。あまりにも今回の貸しは大きすぎるので、自分の秘密をお教えしましょう。貴方は〝情報好き〟と耳にしました」


 そんなに大きい貸しか? と思ったが、後舎が絡んだことだからか、とも納得する。


「秘密ですね、わかりました。先パイに関しては、今更そんなに大きな秘密があるとも思えませんけど」


 ハハハと冗談っぽく笑ってみたが、寺久保は相手にすることもなく続ける。


「なにぶん説明が難しいことなんですが、……あぁ。こうすれば信じて貰えるかもしれませんね」

「?」


 寺久保は自分のネクタイを外し、片手でボタンを外していく。

 何だ? 大きな切り傷があるとか、そういう勲章的なものか?

 と、円道は少しドキドキと期待を高まらせた。

 だが、全く別の秘密が目の前に提示される。


「自分は、本当は〝女〟なんです」


 開かれたシャツの下には〝さらし〟というものが巻かれていた。

 艶のある肌と女性らしい鎖骨とが露わになっていた。

 思わず絶句する円道だったが、我に返り手と頭を振りまくる。


「ちょちょちょちょ! なな、何してんですか!?」

「貴方に見られたところで何とも思いませんから安心して下さい。それに、こうでもしないと信じて貰えないでしょう?」

「先パイがよくても! オレが! ダメ!」


 早く閉じてくれと頼むと寺久保はシャツを整えネクタイを結び直したが、つまり。

 彼、いや彼女は男装をしていると?


「で、でも何で男装?」

「高等学校では異性の教師・生徒が二人きりで教室にいることが禁じられています。保護者からのクレームや生徒間の勘違いの火種になりますから」

「……まさか、後舎センセーの手伝いをしたいが為に、なんて」

「その通りですよ? 他に何か理由がいりますか?」

(発想のぶっ飛び方が驚きを通り越して尊敬に値する……!)


 心臓に悪いドキドキを味わったところで、円道は頭を抱えながらさっさと帰ろうと靴に履き替えた。

 もうしばらくは寺久保との接触を避けたいし、早くこの場から逃げたい。


「と、とにかく。先パイの超秘密情報、ありがとうございました。……つか、オレ以外に知ってる人いるんですか?」

「他には保健室の先生だけです。一年の頃からこの格好をしていますから、他の方は皆、自分を男だと思ってますよ」

(そりゃスペック的にそうですわな)


 普段背の高い後舎といるせいでわかりづらいが、寺久保の身長は百七十センチ以上ある。

 それに鍛えているのか体格も良く、男装なんてされたら誰も女だとは気付けないくらいだ。

 とんでもない貴重な情報というより、自分も知らぬままでいたかったという気持ちが大きかったが、余計なことは言わないでおこう。


「これで貸しは帳消しですから、お忘れなく」

「別にオレ、貸しなんて思ってないからいいんですけどね」

「何を言っているんですか。貴方に貸しなど絶対作りたくない。……それに」

「?」


 寺久保はそこで言葉を区切ると踵を返し、円道から距離を取ってから首だけをこちらへ捻った。


「先生の傍にいるべきなのは、自分ですから。それもお忘れなく」


 そんな捨て台詞を吐いて、寺久保はそのまままた化学準備室へと向かって行ってしまった。

 彼の背中が見えなくなるまで円道はその場に立ち尽くし、一人になると肩を落として頭を掻く。


「でも、やっぱり先パイが女の人でも、『武士』に変わりはないよなぁ~」


 義理堅さを改めて見せつけた武士だったが、決して仲が良好になったわけではない。

 貸し借りが成立しないと分かった今、これまで以上に彼の機嫌を損ねないように気を付けなければな……と。

 円道は気を引き締めるしかなかった。

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