6人目:武士と家守り

6-1:武士と家守り


 部屋の隅で物静かに、背筋を伸ばして口も開かず、じっ……と主人の命を待つ。

 まるで置物の鎧兜のように、化学準備室にはいつも「武士」がいる。

 だがその「武士」は主こそいれど、近くにいる時に気を抜いてはならない。

 主がいなくなり次第「武士」はその本能に忠実となる為、出来るだけ背を向けてはならないのだ。

 血に飢えている「武士」がその背中を斬りつけてくるかもしれないから。



 ◇ ◇ ◇



 部屋の沈黙は重く、コップを机に置くことすら躊躇うほどだった。

 昨日は週の初め、月曜日ということもあり我慢出来たが、二日目もこんな調子では三日後の金曜日まで耐えるなど気が遠くなる話だ。

 後舎から化学準備室の留守を任されてしまった円道は、早くもギブアップ寸前だった。


(あのテロリスト教師、よりにもよって何でオレに)


 悔しさと悲しさと、やり場のない怒りを静める虚しさ。

 円道はそれらの感情を何とか抑えながらも、ゆっくりと秒針を動かす時計を忌々しく見つめた。

 その時。


「今、何を考えていました?」

「はいっ!?」


 静かな低い声に脳天を殴られ、円道は背筋をしゃんと伸ばす。

 声の聞こえた方は準備室の隅。

 角にぴったりとくっつけた机に向かっている、一人の男子生徒からだった。


「何か、先生に対して失礼なことを考えていましたよね? 貴方」

「めめっ、滅相もありません! あ、アプリゲームの次の配信がえ、延期になったんで。早くしてくれないかな~なんて!」

「……」


 携帯を握って苦し紛れに誤魔化すと男子生徒はしばらくこちらを見つめていた後、また手元のノートへ視線を戻した。


(危ね~。はー……ホント、何でオレと先パイが)


 ことの発端は昨日の放課後。

 円道は化学教師の後舎に化学準備室へ呼び出された。

 準備室に入ると、散乱した書類や化学部の使い終えた実験器具を放置したまま、荷造りをしている後舎の姿があった。


「……え、帰るんすか? オレ呼ばれたのに?」

「あ、円道くん。いや僕はもう行かなきゃいけないんだけど、ちょっと頼み事が」

「何すか?」


 どうやら後舎には急ぎの用があるらしく、バタバタと荷物をまとめていくその姿を円道は脇にあった椅子に腰かけながら眺めた。

 そして一通り準備が終わるとようやく後舎は要件を口にする。


「きみにこれから一週間、この部屋の留守番をお願いしたいんだ」

「……準備室の?」

「鍵は持ってるでしょ?」


 準備室の合鍵を後舎本人から渡されている円道は「何の確認だよ」と呆れ気味に頷いたが、後舎はニコニコと笑って続けた。


「僕、今日から一週間色んな出張が続いててしばらくここに来れないと思うんだ」

「へぇ~一週間も。他のセンセー達に仕事押し付けられまくったんですか?」

「そうじゃなくて! たまたま被っちゃっただけだし、大学の方からも呼ばれて用事が出来ちゃったんだよ!」

「……いや、そうだとしてもオレが留守番する意味あります? 鍵かけとけばいいじゃないですか」

「だって、化学準備室なんて職員室に鍵があるし、誰でも入れるんだよ?」

「だとしても誰が入っても問題ないでしょう?」

「僕の爆弾ここのデスクに入ってるんだよ。だからその管理をしなきゃいけなくって」

「あんたがほいほい作るからだろーが!」


 しかし後舎からの〝頼み事〟というのは、基本円道に断る権利はない。

 後舎がこの部屋の留守番をしてくれと言うのなら円道はそれに従うまでだ。

 深いため息を吐きながら項垂れていると、まぁまぁと後舎が肩を叩く。


寺久保てらくぼくんがいつもここで勉強してるから。一人じゃないしいいだろう?」

「えっ。て、寺久保先パイ……と、留守番」

「? うん、よろしくね」


 じゃあと後舎は準備室を去ってしまい、円道はその寺久保という生徒と共に留守番を託されてしまったのだ。


(何で寺久保先パイここで勉強してんだよ!? いや何でって知ってるけど! だったら先輩だけで留守番しときゃいいじゃん!)


 心の中でそう叫ぶが、寺久保はノートと教科書に向かったままこちらを向くことはない。

 寺久保という人物は先程から円道と共にこの部屋の留守番をしている男子生徒のことだ。

 三年C組、寺久保淳良あきら。文系選択の受験生。

 彼の特徴をあげるなら、口数が少なく目立った行動もしない生徒。

 真面目で勤勉で、よく化学準備室に入り浸っている。あげるとしたらそのくらい。

 男だが肩まで髪を伸ばして後ろで結っており、それが似合う端正な顔立ちをしている人物で、一部に隠れファンがいるとか聞くものの、彼のその真面目さ故とっつきにくさは学校イチだろう。

 因みに彼はその勤勉さと学力が比例しない悲しき生徒なのだが、運動に置いて彼の右に出る者はいないとのこと。

 他の二年生や教師に「体育祭は見物だよ」と聞いたことがある。


(でも、アレがなきゃなぁ。オレも他の人みたいに絡んだり出来んのに)


 円道が彼に対して妙に委縮している通り、彼は寺久保が大の苦手だ。

 いつも気難しそうに眉間にシワを寄せているからとか、ひどく短気で手が早いとか、頭が固い頑固者だとか。

 いつも化学準備室に、しかもいつからそこにいたのかわからないレベルで存在感を消していることだとか……。

 彼と同じクラスの生徒なら知ってるような短所が原因ではない。




 円道が寺久保と初めて会ったのは後舎と接触してから数日後だった。

 あの出逢いは忘れもしない、衝撃そのものだった。

 春先に円道は後舎から脅迫される身となってしまい、雑用等をやらされるようになったある日の放課後。


「……ん?」


 教室を出た時、何か虫でも顔の横を通ったのか? というくらいの風が吹いた。

 校内にはほとんど人が残っていない時間帯だった。


(どっか窓開いてんのかなぁ……)


 呑気にそう考えて教室のドアを閉めた時。

 ガンッ!

 と大きな音を立て、顔のすぐ横を通り過ぎて何かがドアに突き刺さった。


「……何で、ハサミ?」


 ハサミは金属製のドアを貫通し、深々と突き刺さっていた。

 慌てて振り返るもそこには誰もおらず、しかし絶対に誰かがいるはずだと足早に階段へ逃げる。

 一年生は四階に教室がある為、昇降口までは少し時間がかかってしまう。


「な、何だ? どっからハサミなん、てっ」


 カツンッ!

 とまた大きな音が背後で鳴り体をビクつかせて振り向くと、足元にはコンパスが刺さっていた。

 しかしまたそこには誰もいない。

 誰かが仕掛けたイタズラか? と思った矢先、肩からずるりと鞄が落ちる。

 鞄の取っ手が綺麗に切られていた。


「コンパスの、針……で?」


 冗談だろ? と頬は引くつき、声が震えた。

 誰だ? 用があるなら正面から、そして出来れば穏便に願いたい。

 そう思いながらまた階段を下りようと振り向いた。


「貴方」

「っ!?」


 階段の下からこちらを見上げる男子生徒。上履きを見てすぐに三年生だとわかった。

 自分と面識のない先輩だとわかるのと同時に、彼から向けられるその鋭い眼差しに寒気立つ。


「円道花之さん、で間違いありませんね?」

「え、あ、……そうですが。あの~」


 どちら様ですか? という言葉よりも。

 その手にあるカッターはどうしたんですか? と問いたかった。


「そうですか、初めまして。自分、寺久保といいます」

「は、初めまし……」

「では、消えて下さい」


 よく即座に足が動いたなと自分に感心したが、恐らく動物的本能とかそういうものが働いたのだろうか。

 鞄をそこに置き去りにして、円道は向けられたカッターの刃から逃れるため階段を駆け下りる。


「なっ、何なんすか!?」

「避けたらもっと痛いだけですよ」

「はあ!?」


 寺久保は体勢を立て直し、すぐにまた斬りかかって来た。

 円道はとにかく逃げようと階段をどんどん駆け下り、誰か人がいてくれないかと祈ったが職員室のある二階には人気がない。

 階段の手すりを軸に上手く体を捻り、ぐるぐると階段を下りる度に後ろからカツン、カツン、と音が聞こえてくる。

 カッターが壁に当たっている音に違いなかった。


「おわっ!?」


 やっと一階に到着したその気の緩みを狙ってカッターが振り下ろされる。

 慌てて腕を引っ込めるとカッターの刃は床に当たって折れてしまった。


「だ、だから何なんだよ!? オレに何か怨みでもっ」

「貴方は消えなければならない存在なんですよ」

「ひいっ!」


 カッターを持っていた反対の手が顔をかすめると頬に痛みが走った。

 何かで引っ掻いたような熱さに円道は顔を歪ませ、寺久保の手の中を見てみるとそこにはむき身のカミソリが光っていた。


「何でそんな物騒なもんばっか!?」


 寺久保に向かって体当たりしてみたがビクともしない。

 あんな細い体のどこに力が、と余計なことを考えながら下駄箱まで走ったがそこで追いつかれた。

 彼の拳が顔の真横を通り過ぎて思わず振り返ってしまい、カミソリを振りかざされると腕で顔、首、胸を庇ったが切り裂かれた腕に激痛が走る。


「いっつ……って、え!?」


 寺久保の拳が当たった下駄箱が異常な凹み方をしていた。

 素手で金属の下駄箱がここまで曲がるのか、普通。


「さて、それではっ……、首かっ、胸を……出してもらいましょうか?」


 息が上がっている円道とは違い、寺久保はまだ体力に余裕があるように見えていたが、様子がどこかおかしかった。

 体が不規則にビクつき、たまに身震いしている。


「な、何なんですかあんた。オレには何の覚えも」

「覚えがっ、ない……と? そんない、いわけっ、誰が」

「?」


 円道より背の高い寺久保の顔は夕日の逆光のせいで確認出来なかったが、空が雲で陰った瞬間彼の顔がようやく見られた。

 だが、見るんじゃなかったと円道はすぐに後悔する。

 先程までの、あの見るからに生真面目そうな顔はどこへと。

 口角はあがり、頬を赤らめて、自分の中の衝動と戦っているのか彼の額には汗が浮いている。

 微かに震える手が握るカミソリからには円道の血が付着しており、それが刃を伝って手の平を滑り落ちるとゾクゾクと背筋を震わせている。

 どこからどう見ても、何かに対して欲情している姿だった。


(何なんだこの人。ホントにどっかで会った覚えもないし、廊下ですれ違った……? それとも登下校で会ったとか!?)


 腕に走る痛みと、目の前の気色悪い先輩と、逃げ道を塞がれてしまったこの状況。

 眼前にあるカミソリは決して悪ふざけや遊びで見せているものではない、この男は本気だ。

 円道は何か打開策はと考えたが寺久保が自分の衝動に抗う時間も短く、頭を何度か大きく振ると理性を取り戻したようだった。


「お、覚えがない……何て、言わせませんよ。貴様、は」

「っ……?」

「あ、あの人に……近付き、すぎました。ゆ、許しま……せん」

「あの人?」


 今日までに会った人間なんて多すぎて絞り切れない。

 しかし三年生である寺久保が〝あの人〟と言うことは、恐らく年上か目上の人間のはずだ。

 そう考えると生徒会会長の氷樫か、化学教師の後舎くらいが目立った人物だろう。


「せ、先生の傍にいていいのは」

(後舎か!?)

「じ、自分だけ……でっ!」


 カミソリが再び振り上げられ、円道はその隙をくぐって逃げようとしたが寺久保の反対の手が胸倉を掴んで離さなかった。

 抑え込まれ、逃げ道が完全に断たれた。


(何でこんな人が学校に!?)


 腕ならまだ……と身構え、腹をくくった時だった。


「あれ? きみ達まだ帰ってな……って円道くんと寺久保くん!?」


 その言葉に寺久保はピタリと動きを止めた。

 あと一秒遅ければ、腕の肉を持っていかれたかもしれない。


「せ、センセー……今日も泊りっすか」

「ちょっ、寺久保くん! またきみはそういうことを」


 学校に残っていた後舎が偶然通りかかってくれたおかげで円道は一命を取り留めた。

 外で買って来たであろう夕食を後舎はその場に置いて、すぐに寺久保を円道から引きはがす。

 寺久保は口を閉ざしたまま大人しく後舎の言うことを聞き、腕を切り裂かれた円道はすぐに保健室へと連れて行かれた。

 保健医も帰る直前だったらしく何とか捕まえて処置してもらい、事情を話せば保険医も「またか」と笑っていたのは何故だろうか。

 寺久保との最悪の出逢いは、知りたくもない事実と共に振りかかって来たのだった。

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