4-3:聖母と予定調和


 ◇ ◇ ◇



 そしてまたそれから数日後。

 詳しくは三日後。

 藍原に降り注いだ大きな不運を経て、落ち着いてきた頃。

 彼女の脳内にはある言葉が居座っていた。

 「運命」という言葉が。


「本っ当にありがとう伊富貴さん! もう何回お礼を言ったって足りないくらい!」

「お礼なんて、わたしは何も」

「そんなことないわ! あなたに言われた通り、この足が『運命』だって受け止めて、それで仕方がないって諦めてたから“お母さんは助かった”んだもん」

「あれは、そうした方があなたの気持ちに整理がつくと思ったからよ?」

「ううん、やっぱり伊富貴さんに相談してよかった。私の足がこうなってなかったら大会に行っちゃってただろうし、そしたら……お母さんは」

「大丈夫だったんでしょう? 暗いこと考えたらダメよ」

「うん、そうだね……! でも本当に、ありがとう!」


 興奮する藍原を落ち着かせて、しばらくすると彼女は教室を後にした。

 まだ昼休みは二十分もある。

 今日はゆっくりお昼を食べられそうだと弁当を開き、水筒から注いだ紅茶が湯気が昇る。


「優雅ですね、伊富貴先パイ」

「あれ、いたの円道くん」

「オレがいたのわかっててここに来たんでしょう?」


 東棟四階、第三資料室。

 今日は一人で昼を過ごせるぞと意気込んで来て、だらだらと昼食をとっていたところに伊富貴と藍原がやって来てしまい、そこで円道の計画は崩された。

 残念ながら今日は他の資料室や講義室が埋まっていたこともあり、消去法でここに来たのだろう。

 何というタイミングの悪さか。


「聞いてましたけど、これでまた先パイの名前が売れちゃいますね」

「どうして? わたしはいつも通り、藍原さんの相談に最後まで乗っただけよ」

「さっきのリアクション、見てなくても聞いてりゃわかりますよ。やけに喜んじゃって、また信者が増えるんすね~」

「喜んでくれてたのはわかるけど、……わたしは何もしてないもの。助言をしただけ」

「助言しただけだから、有名になるんですよ。『聖母様からのお言葉』として」


 どんな悩みでも「聖母」に相談すればいい。

 そうすれば、事態は必ず良い方向へ転ずる。


 それがこの学校で囁かれている噂である。

 だからテストの点の伸び悩みでも、好きな人に恋人が出来てしまったという悩みでも、教師と暴力沙汰を起こしてしまい親から勘当されたという悩みでも。

 全て伊富貴に相談すれば、それは良い方向へ転がって解決する。

 そんなジンクスがある。

 というのは在校生なら大半が知っているが、その真偽を知る者は皆軒並み「信者」となってしまった。


「別にわたしがそうさせてるなんてことはないのよ。でも、皆幸せになってくれるから……いいんじゃないのかしら?」

「どこがっすか、むしろ気味悪いくらいですよ。さっきの藍原先パイだって」


 藍原の相談を受けた翌々日、陸上部地区予選の日。

 彼女が怪我のこともあり大会の応援に行くのはよしておこうと顧問に促され、自宅で待機していた時だった。

 彼女の母親が偶然交通事故に遭い、偶然意識不明の重体となってしまった。

 飛んで帰って来た父親に連れられて病院へ急行し、手術を終えた母の命の無事を確認した。

 しかし、意識はまだ戻っておらずこのままでは……と。

 言われたその時である。

 医者の言葉に反応して、母親が意識を取り戻したという奇跡が起こった。

 ドラマのような話だが、意識を取り戻した母親はしばらく入院を強いられることにはなったものの、奇跡的に目立った後遺症もなく今は元気にしているという。


「それを喜んだあと、気付いた。伊富貴先パイに『事故に遭って右足を怪我してしまうのは運命だった』と言われたことを。この足の怪我がなければきっと大会に出ていて、事故に遭った母親の元へ駆けつけるのも難しく、そのまま永遠に目を覚まさなかったかもしれない……なんて」


 その身に降りかかった事故や困難が、最終的には幸せな結末へと辿り着く。

 すると、不幸の反動でそのハッピーエンドがより輝かしく見える。


「伊富貴先パイに相談すれば全ての悩み事が上手くいく、この噂は本当だったんだ。本当に、彼女は『聖母』たるべき人物なんだ……すか?」

「でも、結局は全てが偶然重なっただけで、足の怪我自体は不幸じゃない」

「そんな不幸があっても結果的には幸せが訪れてハッピーエンド。そういう『運命』なんすよ、先パイがね」


 伊富貴愛が関与する全ての物事は、必ず彼女に利益をもたらす運命にある。

 それはこの学校内でも円道しか知り得ないことだ。


「見事なまでの強運、それも他人にまで影響する豪運。気味悪いくらいっすけどね」

「そういえば、友達のやっているゲームのガチャを引くと、大体狙っていたものが出るわ」

「それだけなら可愛いもんすけどね」


 円道が呆れると伊富貴はクスクスと楽しそうに笑った。

 はたから見れば彼女の強運とは恐ろしいものだ。

 彼女の周りがどんなに不幸になろうとも、それが彼女が原因だとしても、全てがひっくり返されてしまう。

 仮に彼女が何の怨みもなしに人を殺したとしても、その被害者を調べれば死に値する過ちをしてきたと明かされるだろう。

 それくらい伊富貴という少女は、神に愛されている。

 異常なまでに。


「でも、もしもよ? そんなにわたしに強運が備わっているっていうなら、誰かの為に使えば皆も幸せになるんじゃない?」

「…………」

「……円道くん?」

「それ、本気で言ってます?」


 円道がそう問うと伊富貴は逡巡し、そしてニコッと笑った。

 言葉による返答はない。


「いい加減先パイも自覚持って欲しいですけどね」

「そんなこと言われても、円道くんに指摘された今でもよくわからないの。〝何が嘘で、何が嘘じゃないか〟が」


 今、目の前にいる男子人気ナンバーワンの、文化祭にはミスの称号を与えられ、誰からも頼られる相談役として「聖母」と名高い少女は。

 自分が嘘を吐いているという自覚がない。


 さながら息を吐くように、自覚なく、後ろめたさの欠片も持たず、嘘を吐く。

 体質とも言えるほどの、大の〝虚言癖〟。

 伊富貴本人に自覚が無ければ彼女の両親も、友人も、クラスメートも担任教師も彼女の言葉のどこに「嘘」が組み込まれているか、それとも初めから全てが「嘘」なのかがわからない。

 そもそも彼女が虚言癖だということさえ誰も信じないだろう。

 唯一気付いたのは円道だった。

 彼女と知り合ってから何度か彼女の相談に居合わせることがあり、その幾つかを見聞きしていて気が付いた。

 彼女が発言する言葉のほとんどは「嘘」であり、「心にも思ってない言葉」だと。


「でもね、わたしが嘘吐きだとかそうじゃないとかは、あんまり気にならないって最近気付いたの」


 これは多分本当。


「わたしの言葉で誰かが救われたり、助かったりするというのなら。わたしはどんな人の相談でも聞きたいと思うわ」


 これは嘘。


「だって、皆の役に立つことが何より嬉しいから」


 これは本当。


「……先パイは、皆の役に立つことじゃなくて、皆の役に立てている自分が好きなんでしょう?」

「そうよ?」


 本心を即答した。

 虚言癖に、自愛症ナルシズムと来たものだ。

 天は二物を与えずというが、恐らく伊富貴の場合はこれでプラマイゼロになっているのだろう。


「そこに関してはとことん素直ですよね」

「だって、他の人に言われたことないんだもの。わたしはわたしが大好き、それは昔からちゃんと自分でわかってるのに」

「他人に言うようなことでもないですしね」


 伊富貴はフフフと笑って、先程藍原が座っていた場所に腰を下ろす。

 そしてうっとりとした表情で、静かに口を開いた。


「今回は藍原さんだったけど、彼女の役に立てているわたし。彼女に頼られているわたし。頼られるように相談役をこなせているわたし。彼女の欲しい言葉を的確にくみ取ってあげられるわたし。そして、彼女と言う一人間を見事に救ったわたし」


 わたしはわたしの全てが大好きなの。

 そう微笑む姿はなんとも美しいものだったが、この美しさに惑わされてはならない。

 彼女が口にする言葉に脳を直に撫でられるような、そんなむず痒い感覚に襲われても、それに酔いしれてはならない。


 彼女は、自分以外の人間なんて全てどうでもいいのだから。


「今日の放課後もまた誰かの相談会なんですか?」

「ううん。今日はお稽古があるから、相談は受け付けてません」


 円道はからかい気味に話を振ったのだが、伊富貴は両手でバツをして窓口を閉められてしまった。


「お稽古と言いますと?」

「ピアノとバイオリンとフルート」

「うわぁ、多趣味っすね~」

「そろそろ絵画教室にも行こうかな~って考えてもいるのよ」

「あ、それはやめた方がいいです」


 伊富貴の描く絵画は見た人を病気にするとひそかに有名だ。

 これに関しては一刻も早く自覚を持って欲しいことである。


「これからも何か面白いお話を見つけたら、是非教えてね。円道くん」

「オレじゃなくたって先パイのクラスに噂好きな人沢山いるでしょう? 女性の方がそういうの強いんじゃないですか?」

「確かに皆噂は凄く早いけど。円道くんはほら、特別じゃない」


 フフッと艶っぽく笑うその表情にドキリとした。

 だがすぐに冷静を取り戻して咳払いを一つする。


「特別なんて、オレは何もしてないですよ」

「特別よ! わたしが『嘘吐き』って教えてくれたのは円道くんだけだもの」


 なんだそっちか。

 だが円道が思うよりもはるかに彼女にとってそれは重要なのだろう。

 虚言癖の心の中は全く読めないが、心の底から楽しそうにしている時はかろうじて雰囲気でわかる。


「円道くんに教えてもらってから、皆に頼ってもらえる回数も増えたのよ」

「……へぇ?」

「わたしはわたしをもっと好きになれたし」


 つまり、それは虚言が上手くなった、ということでしょうか?

 正直、円道は彼女が虚言癖であろうと自愛症だろうとそんなことはどうでもよく、彼女のことを「聖母」とも思ったことがない。

 ただ少しばかり同情の念は抱いている。

 自分が「あなたはセイボなんかじゃない、ただのウソツキですよ」と教えなければ、彼女は要らぬ知恵などつけず、ここまで信者を増やすこともなかったはずだ。

 彼女を崇拝する人間が増えれば増えるほど、彼女を忌む人間も増えていくに違いないのだ。

 現在でも、そういう派閥があると耳にしている。


「もう少ししたらすぐに期末テストがあって、そしたら初めての夏休みね」

「え? あ、まぁ。そうですね?」

「円道くんの大好きな休みじゃない」

「サボり魔なのはオレじゃないですよ」


 そうだっけ? と首を傾げて、伊富貴は紅茶を口に含み、そして弁当の蓋を開けた。

 彼女が食事を始めるのを見て、円道は立ち上がる。

 手荷物をまとめ教室を出ようと伊富貴の横を通ると、すれ違った時に甘い香りが漂った。


「また教えてね。気付いたことがあったら」

「先パイは自分を好く代わりに自分の分析もしてください」

「円道くんにわからないことは、わたしにはわからないもの」


 ね? と小首を傾げる彼女を尻目に、教室のドアをぴしゃりと閉める。

 意志に反してドキドキと早まる鼓動を落ち着けるよう深呼吸を繰り返して、ドアを背に寄りかかった。

 何というか、これも無意識だろうが、男を扱うのも何だか上手そうに見えてしまう。

 滅多にそういうことをしない人だから、余計にそう見えるのだろうが。


「……やっぱり、失敗だったよなぁ。教えるの」


 あなた、人の相談を聞いている割には心にもないことや、思いつきの言葉ばっかり言ってますよね。

 なんて、教えなければよかった。


「はぁ、……戻ろう」


 第三資料室から出て来たことを誰にも見られないように、教室に向かった。



 ◇ ◇ ◇



 自覚のない虚言癖と自覚のある自愛症ナルシズムというのは、全くもって面倒なものである。

 円道は本当に、彼女には要らぬことを教えてしまったと、彼女の顔を見る度に思うのだ。

 去年は学年内でしか「聖母」という名は通っていなかったと聞いたのに、今年の春の間に全学年に知れ渡ってしまっている。

 そんな彼女のお気に入りとして円道の存在も徐々に知られているらしいし、何より信者に目を付けられるのは勘弁願いたいものだ。


 知恵の実リンゴを食べた彼女が、「聖母」のままでいるはずもないよなぁと。

 そんなくだらない比喩表現を頭の中でしつつ、円道は頭を掻いた。

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